今日久しぶりに家を出てサッカーをしました。1時間くらい青空の下無心にボールを蹴りました。僕にとって何気ない1日でした。9年前のこの日も僕のようにボールを蹴っている人がいて、何気ない1日を過ごしている人が大勢いたと思います。こんな何気ない日が一生続けばいいなと思っていたと思います。でもその何気ない日はどこで終わりを迎えるかわかりません。このことを毎年確認するために僕は毎年この日はボールを蹴ろうと決意しました。毎年毎年この日常があたりまえではないことを再確認するために。
3月11日を未来に伝えていくために。。
9年前の今日、私たちは今までに感じたことのない恐怖に
襲われました。
そして、今もなおその影響を受け続けている方々が
たくさんいます。
復興しているように見えて、実はそんなことないんです。
今日、黙祷のときに虹がかかったという話を聞きました。
悲しむ顔ではなく、笑顔を見せてほしいと言われている
ような気がしました。
思うことは人それぞれです。
前を向いて進む決心をした人。
その悲しみから抜け出せていない人。
未だに帰りを待っている人。
私たちに出来ることは何か。
日々考えながら生活してほしいです。
9年前の東日本大震災によって亡くなられた方々の
ご冥福をお祈りするとともに、一刻も早く被災地が復興
することを願います。
3.11を忘れない。
当たり前がつまらないと思っていたが、今回のコロナで当たり前の生活が何よりも幸せだと思った。早く世界中が当たり前の生活に戻れるように。
僕は9年前の今日は、小学一年生でした。当時は学級閉鎖だったので、学童で過ごしていました。14時46分、突然大きな揺れが起こって、しばらく続きました。その頃僕は、『地震』というものが何か全く分かっていなくて、学童員の方に早く机の下に隠れなさいと言われて、よく分からずも身を隠していました。地震が止むとすぐに外の駐車場に避難しました。震災当日、他の学年は授業があったので、帰りの会の途中でした。1時間ほどすると学校の坂から学童へ向けて多くの生徒が先生に連れられながら、降りてきました。中には泣いている人もいて、少しずつ地震の怖さを感じていました。家に帰るとテレビで津波到達のニュースを見て、とてもショックを受けました。車や船が町中に流されているのを見ると涙がでてきました。あの日の事ははっきりと覚えています。今日は、コロナウイルスの関係で家にいたけど、14時46分に黙祷をしました。震災で家族や友達を失った人もいると思います。いつ地震が起こるか分からないので、地震に備えようと思います。
今日、ふと外を見ると星が見えました。久しぶりに星をじっくりと眺めてみました。9年前のあの日、3月なのに雪がふり、夜は星がものすごくきれいに輝いていたんだそうです。当時私は3歳。でも、なんとなく覚えているんです。周りの大人が、ものすごく不安そうに遠くを見つめている姿を。あの災害が奪った命の分、私たち東北の人々や、日本中、世界のありとあらゆる人々が、努力して復興を目指してきました。それでもまだ苦しんでいる人がいます。私にできることは、このことを忘れないこと、そして、次の世代へと残して行くこと。そう考えています。
いつか、全ての人に幸せが訪れてほしいです。
コロナで学校休校して、めっちゃ暇なのに退任とはどういうことですか!?
ラジオが救いなんですよ!!
退任しても毎日来てください笑とーやま校長の声が聞きたいです!
ずっと面白くて笑える話をしててください〜泣
私の校長はとーやま校長しかいないです
この気持ち伝われ!!
センバツも中止ですか。たぶん今年一年終わりそうもないので、2020年はコロナのおかげでなにもない年になりそうやな…どうもホモサです。
今日は姉貴の家にあ母ちゃんと一緒に遊びにいってました。久しぶりに楽しかったです。ほんとに笑い転げました。姪っ子もいつも通りかわいかったし、今日はボールで一緒に遊んで最高の笑顔も見れて楽しかった。久しぶりに外歩いたおかげで夕方眠くて寝てもうたけど笑笑。
今日はウルトラマン見るつもりでいたけど、急な予定変更により見れなかった。明日昼飯食べながら見よう。
今日の一言。ウルトラマンは見損ねた
3.11を教訓に備えなければいけないし、未来に繋げていかなければならない
東日本大震災によって被害をうけたり、心を痛めた全ての人の少しでも元気になって欲しい!!!!!!
頑張れ!
昨日、目の手術をしました。
初めての手術だし、全部見えるので、怖くて怖くて怖かったです。
退院した今も、まだ違和感があります。
正直もう二度と受けたくありません。
でも、もうこの先の人生でこれ以上に辛い経験はないと本気で感じるくらいに(多分)強くなりました。
こうして前向きに考えれば、しんどいことがあっても、明るく生きていけるのかもしれないと思った今日この頃です。