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もうひとつの

もうひとつの卒業式。
もうひとつの卒業証書授与式。
本当はそこで行われるはずの卒業式が
"もうひとつの"と言われるのは
とても寂しいし悲しいことというのを今痛感した

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あぁ。

遠山校長とやしろ教頭の声だ……。

落ち着く声なんだよな〜。
安心できる声なんだよな〜。

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覚えている

当時、このラジオ聴いてたの覚えている。
住んでたところは被災地だけど私のところは比較的安全で、でも現実的じゃないことが起こっていて。
何をすれば良いかもわからずぼーっとして。心がここにないような感覚。
ぽつぽつと連絡が取れるようになって友人の何人かはボランティアに行ったり動いていた。私はなにもしてなかったなぁ、、。あの時の私の何もしなかったという行動が少しだけ後悔がある。
そんななかラジオでSOLを聴けて、皆んなが被災地のことを心配してくれて、当時の校長教頭の声が、少しだけ当時の自分を慰めてくれたような感覚があった。あの日から10年。私に今何ができるのか考えよう。
おじさんが失礼しました。

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繋がり

離れ離れになったみんなが卒業式で会うなんて素敵だな

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その後

わたしは当時から8月くらいまでカセットテープにSOL!を録音していました。

いつか、この日々を聴けなかったどこかの誰かと聴けたらいいなって。


まだ安否がわからない、わたしの大切なレスをくれてたクラスメートと聴けたらいいなって言う

そういう気持ちで。

それがあの時わたしにできる、唯一だと思ったから。


カセットテープってね、なかなか偉大な発明品だと思うんです。まだ聴けますし。

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10年前のあの日とSCHOOL OF LOCK

この学校が開校し、やましげ校長・やしろ教頭時代から聴いています。

10年前、大学受験で近畿地方で過ごしていました。滞在先で震災のニュースを見て、怖かったのを覚えています。

震災があって数日後、
当時のとーやま校長とやしろ教頭が、
涙しながら僕らにメッセージをくれました。

やしろ教頭が
「この学校の生徒が亡くなったら、その子は「自分は死んでしまいました」と掲示板に書き込みはできない。その子たちは悔しいだろうし、だから少しでも彼らのことを思い浮かべてあげてほしい。」と涙ながらに話していたことを覚えています。

10年前のこの時期、このラジオが
どれだけの生徒の心の支えになったでしょうか。

今、自分も医療従事者として働いています。
社会人になっても2011年3月11日は忘れません。
コロナもあり大変な世の中ですが、
みんなで頑張っていきましょう。

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東日本大震災の後の地震の多さ

東日本大震災の後には、ずっととは言わないけど、3日間くらい、何回も何回も揺れて、はっきり言って具合悪くなるくらい揺れて気持ち悪かったです。
あんなに地震って経験するのか?
っていうほど揺れてました。

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記憶が繋がった。

私の誕生日は4/7なんですけど、誕生日お祝いして貰ってその夜、寝てたら大きい地震(余震)がありました。
そして懐中電灯を持ったお母さんや、近所の友達と外に出て………

そこまで覚えてます。


その日の誕生日ケーキはコージーコーナーで売られてると思われるプリキュアのショートケーキでした。凄く嬉しかった記憶があります。
最高で最悪の誕生日でした。

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絶句した

ゾワッとした。言葉が出ない。逆電の最中に地震なんて事があったんですね……
私は地震をほとんど経験した事がないのもあってよりリアルに伝わって来た気がする。

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3.11

なんか、いつもは掲示板にいいねするのに、今日はいいねできないわ…。本当に胸が苦しい。