まだ10年だから、経験した/覚えている生徒さんも多いけど、段々と、リアルタイムでは知らないひとたちが増えていくんだなって感じる。
私たちにできるのは、忘れないこと、知ろうとすること、少しでも伝えていくこと、なのかな、って思います。
東日本大震災から10年。あのとき私は小学2年生でした。
たまたま通院のため学校を休んでいて、普段は単身赴任でなかなか会えない母といました。
その日は朝から兄とケンカして、100パー兄が悪いんだけどいつまでも不貞腐れてるなって怒られて機嫌が悪くて、家族に嫌なこと言っちゃってもやもやしていました。
震災の被害はあんまりなかったけれど、発災時はここが震源でみんなしんじゃうんだもう会えないんだ、あんなこと言わなきゃよかったってとても後悔したのを覚えています。
みんな無事でした。母とお迎え行ったときめちゃくちゃ泣いた。
テレビから流れてくる映像はどれも現実味がないくらいひどくて、見ていられませんでした。
そんなとき支えになったのがラジオでした。
SCHOOL OF LOCK!!では生徒の皆さんの生存報告や励ましの声が流れてきて、本当にあたたかかったです。
それからBUMP OF CHICKEN、藤原先生な弾き語りしてくれたガラスのブルースが印象的でした。
私のところは被害はそうでもなかったけれど、ずっと続いている余震や地形が変わるほどの被害を連日見続けて怖かったし、家族や友人を亡くした被災者の方を思って悲しい思いをしました。
でも実際、家族も家も無事な私が怖いとか悲しいとかって、本当につらい思いをしている被災地の方に失礼じゃない?って悩んだりもしました。
「分けられない痛みを抱いて
過去にできない記憶を抱いて
でも心はなくならないで
君は今を生きてる
ちゃんと生きているよ」という原曲とは違う歌詞。
私の怖いとか悲しいも正しくて、そう感じられること、生きていることを認められた気がして、救われました。
できればもうあんな災害は起きて欲しくないと思いつつ、毎年この日に防災リュックの確認をしたり家族で災害、防災についての話をするよい機会になっています。
あのとき、怖いと泣くだけで守られていた私も、誰かを守る立場になりつつあります。
いざというときに少しでも落ち着いた行動を取れるように、日頃からの備えが大切ですよね。
備えがある、というだけで少し心強い、少し安心できるので、災害の有無に関わらず継続していきます。
リクエスト
BUMP OF CHICKEN「Smile」
当時3歳とかの子たちが状況とか心境を踏まえて此処に書き込んでくれていること。
こういうのはほんとうに、ほんとうに、ほんとうに
わたしは嬉しくて尊くてなんだかすごい。
そのときは知ることができなかったことが
今知ることができてる。
年代関係なく。
そしてそれは、
そういう月日なんだなってことなんだな。。。
明日僕は中学校を卒業します
小学校、中学校9年間同じだった仲間ばっかりなので別れるのが辛いです。
どんな日も笑いあって、楽しく過ごしてきた仲間がバラバラになってしまいます
悲しいですが、高校生活も楽しんでいきたいと思います。
全国の卒業生の生徒の皆さんも、進路先などで頑張っていきましょう
リクエストお願いします ヒッピーさんの「君に捧げる応援歌」おねがいします。
あとは、少しでいいので、いろんな著名人の方々が情報を発信しています。
例えば、
宮城県出身の乃木坂46 久保史緒里さん、
サンドウィッチマンのお二人など、
いろんな方がブログで震災のことを発信してくれています。
個人的に乃木坂の久保ちゃんのブログを読むと、心に刺さるものがあります。
皆さんが知っている著名人の方も被災してる経験を書いています。
是非見てみて欲しいです。
経験がない子にも、自分ごとにしやすいと思います。
2時46分、今年は東北の人たちを思って黙祷することがちゃんと出来ました。来年もしっかり黙祷したいな。あ、あとLINEとYahooで検索したら10円募金できるのもしました。こんなことしか出来ないけど自分の出来る無理はする…どうもホモサです。
今日は、自分にとっては心地よい日でした。仮面ライダークウガ特別編を見終わり、ほんとにクウガが終わったなと感じました。
今日の一言。久しぶりにファンモンの3人を見られて、やっぱりこの3人がいいなと思いました。あとひとつ、ありがとう、ちっぽけな勇気の3曲を歌っている時は力が湧いてくるようだった。俺も負けねえぞと思える、そんな時間だった。
終わり。父に歌上手くなったと褒められた!嬉しい!伊達に今まで色んなところで歌ってきたことが着実に力になっているみたい。
#今日の作文
何年ぶりかのように、掲示板を数分おきに見に来たりいろいろ校内をみています。
10年前の今日から3日後の3月14日に、
SOL!が再開しました。
ラジオも携帯も。そう、当時はスマホじゃなくて、携帯電話でした。
必死にみんながつながろうとしてて、
どう声をかけていいのか迷って、
大人生徒ちゃんたちがほんとうにいろんなところでメッセージくれていたりして。
それでも最初のやしろ教頭の「待たせたなっ!」
に安心したのと待ちわびてたのともういろんな感情があって
放送最後のことばも、ほんとうに心に在るし。
二人と、この場所、他の職員、生徒たち、講師の先生たち
言い出せばきりがない。
ラジオとは。緊急時とは。大人とは。心とは。
生きるとは。
結構当時はドライバーさんたちの話を、書き込みとか逆電で聴いたりして
道のありがたさとか、運転手さんのありがたさとか
今まででのライフライン、水、食料、電気、ガス以外の物事に意識が向いたのをよく覚えています。
ラジオは耳が聴こえる人にとっては、ありがたいツールかも知れない。
ツイッターは目が見える人にとっては、ありがたいツールかも知れない。
それでも、決していいことばかりでは無い。
極限状態に陥った時は特に。
過剰な情報提供はかえって不安だったり迷惑だったり、過剰な心配もあったり。
中越地震の時に手話サークル関係で被災者の方にに情報提供などをするお手伝いをしていて、
当事者の方に指摘されたことを機に、3.11ではそういうことをしませんでした。
文字も音声も図も映像も。はたまた他の手段も
需要はあるのだから、その時によって、違う伝達方法はあるのではなかろうか。
そんなことも、意識できるようになりました。
電池残量も心配してたよね。
この辺って実は
結構葛藤しちゃうんだよなあ。
10年前のあのとき
何があったかは人それぞれ違う。
「人に立場になって考える」って言うけど「人の立場」になるって実際は不可能だから、
だからこそ「人の立場になって考えようと努力をする」ことは大事なんだろう。
私は10年前直接的に被害にあった訳じゃないし、私にできることは少ないけど、
できることがあるなら、
それは10年経った今でも、これからも震災を忘れないでいることだと思う。
そして、震災を知らない人に伝えていくことだと思う。