私そういえばいらなくなったおもちゃとか洋服を段ボールに詰めてってお母さんに言われて被災地に送ってくれる家まで持って行ってたな、微かな記憶だけど、、
それくらいしかできることなかったんだよな
10年前私は8歳でした。私が住んでたところは少し揺れただけだったから、テレビをつけたら地震のニュースばかりで被害の大きさを実感してた。日本に大きい地震が来るたびに地震って怖いなと思い知らされる。
みんなの話し、泣きそう。気持ちわかる。私も震災を経験してる。震災、津波は、大切な物や人を奪っていく。当たり前の日常が変わってしまった。震災、津波が怖い。
ここ数年、この日が近づくとだんだんそわそわしてきて、11日になるとどうしてだか言葉に表せないような複雑な気持ちになっている。
今日も1日、複雑な気持ちを抱えて生きている。
やしろ教頭。よしだ教頭。あしざわ教頭。
みんな本気で寄り添ってくれてるけど、
とーやま校長なんだよね、この十年をずっと見てきて寄り添ってくれたのは。
すごい。
福島第一原子力発電所事故が発生して根も葉もないデマが流行したり、店先から軒並みマスクやトイレットペーパーが無くなったり、阿呆らしいけど災害と伝染病で何ら変わらないんだなと思った。パニックになってる時に「落ち着け」って言われたって無理だけど考えて見つめ直すことなら出来るような気がする。
あの頃、15歳。中学の卒業式前でした。1人で家にいた時に起きた地震。テレビで見る津波の映像、中学生ながら思うことがたくさんありました。埼玉に住んでいますが、余震や速報、計画停電、経験した事ない出来事ばかりが怖くて、眠れなかった記憶が残ってます。ただ、被害が大きかった地域の方々は私が感じてるより、何倍も表せないくらい、辛く苦しい思いをしたのだと思うと、10年経った今でも涙が出ます。自分の無力さが悔しいとも思いました。こういう事があったという事実を語り継いでいく事が今の私にできる事だと思います。
10年は一つの区切りだと思うけれど、20年、30年、100年後の子供や孫の代までこの教訓を伝えていけるかが僕たちに託された運命であり、宿命だと思うから、これからも思い、笑い、泣き、伝え続ける。
これまでの逆電の生徒の皆さんは、とても輝いてるように感じた。
10年前に大きな悲しみ、恐怖を感じているはず。
今でもその傷は残っていると思うし、時には傷口が開くこともあると思う。
でも、皆さんはその全てを受け止め、両手に抱えて前へ進んでいる。この教訓を次の世代に伝えるために、動いている。
本当に力強くて、美しいです。
そんな先輩達がいることは、とても心強いです。この人達についていけば大丈夫だって思います。そして、この人達に協力したいって思います。私にもきっとできることはあるはずだから。
これから探していきたいです。