週末の夕方にしか行けないの
お母さんにも秘密なんだから
小さなサンドイッチと
瓶に入ったお酒ばかりが
西陽にきらきら揺れている
流行りのお菓子はひとつもない
つまらないコンビニ
電気もつけてくれないの
わたしに来ないで欲しいのね
自動じゃないドアを開けると
バタバタ急いで火を消すの
あまったるいのが好きなのね
家からも学校からも遠い
個人経営のコンビニ
買いたいものはひとつだけなの
夕暮れのコンビニ
「セルゲイ、こっちだ」
「久しぶりだなアンドレイ。……君は考えていることも個性的だがファッションも個性的だ」
「ありがとう。いまどき、ファッションは個性的だが中身はステレオタイプなんて奴ばかりだ。しゃべりで気を引けないから見た目で気を引こうとしているだけなんだ」
「気を引くためのファッション、威嚇のためのファッション、いずれにせよファッションは表現だ。……やあ、アレクサンドル。……君はいつも謙虚だな。無知で世間知らずで劣等感の強い人間というのは、自分の立場をおびやかさない人間に対して尊大に振る舞うことで自尊心を満たそうとするものだが」
「俺は無知じゃない」
アレクサンドルがぼそり、つぶやく。
エカテリーナがまた泣き出す。彼女は常に情緒不安定で、暇さえあれば泣いている。
筋肉は男らしさの象徴だが、見せるために筋肉をつけようとするのは女性的な行為である。
そもそも見た目で気を引こうとしている時点でそいつは男らしい奴ではない。
わたしは長いこと社会がマッチョ化していると感じていた。よく考えたら社会はマッチョ化しているのではなく女性化しているのだ。
見た目で人とつながれるのは男女問わず若いうちだけである。
アレクサンドルとエカテリーナもそんなタイプだった。
あまり流行らないまま死後になってしまった用語に変換すると、マイルドヤンキーだった。
二人は引かれ合い、ひとつになった。
具体的に言うとマトリョーシカになった。
マトリョーシカはしばらくして子マトリョーシカを次々と生み、子マトリョーシカは、やがて地に満ちた。
錆びた線路の上を歩く
風と音楽に身を任せ
僕はもっと遠くに行こう
午前中の日差し
いつもと違う建物の流れ
僕の気持ちは高鳴った
息もできない暮らしから
少しの間でも離れようとして
今日は学校をサボります
電話は済ませた
これでいいんだ
考えるのはやめよう
色褪せた自販機でソーダを買う
誰も知らない独り旅
ちりばめられた自由を拾う
もっと遠くに行きたくて
もしかしたらあの街に行きたくて
きっとあいつに会いたくて
そうさ僕は歩いて行く
「あばよ。」
昼間に月が見えるのは
日の明るさに掻き消されないほど
月が光をはね返しているから
見逃してくれた桜の代わりに
降り注ぐ紙吹雪が
私の楽園を鎖ざしてしまった
ぱっと顔を華やかせ
真っ直ぐに私の元へ駆け寄る
あの子の笑い顔が好きでした
夕陽色の車内
狸寝入りで凭れた肩が
優しく傾ぐのが好きでした
好きでした
あの子をお慕いしておりました
けれど父様からは奪えない
あの子の掌には楽園の日々
在るもの全て 掛け替えない
甘美なだけとはいかなくとも
せめてこれだけはお赦し下さい
心を託したスカーフだけは
誘惑に陥らなかった 私の代わりに
アザラシを飼いたい。
お金も場所もないけど。
アザラシのグッズか
アザラシになるか
アザラシになるほうが手っ取り早いかなぁ
…なんて