今回の旅で二日分の疲労が溜まっている感じがする。普段インドアなのが仇となり、同伴者二人の見えないところで疲弊は着実に私の足を重くしていった。
とはいえ動けないほどではないけれど。というか妹の前でなよなよした姿はさすがに見せられないだろうということで、地味に踏ん張りどころでもあるのだけれど。
現在時刻は午後四時四十分頃。月涙花唯一の群生地である氷枯村までのバスの発車時刻の二十分前だ。
「そういえば圭一さんって」
バス停でバスを待つ間、私と陽波は圭一さんを質問攻めにしていた。普段会わない間柄であり、何より大学生という未知の存在ということが彼への興味を引き立たせたのだ。
「なんで大学に入ったんですか?」
街は閑散としていて人気はない。晩夏の長い陽が、それでもそろそろ赤くなり始めた夕日が私たち三人を照らし出す。
「なんでって」
夕日は町全体をも真っ赤に染め上げ、私はあふれ出す夕日の洪水に飲まれている。口や目を開けていれば夕日が体に流れ込んでくるので必要なとき以外は閉じた。
「……そういえば、なんでだろうねぇ」
らしくもなく歯切れの悪い言葉が返ってきた。彼を見ると目はまっすぐ前を向いている。どうやら真剣に悩んでいるらしい。
「でもなんでかわからなくても勉強さえできれば入れるからね、大学って」
ああ勿論、AOや推薦とかは理由があった方がやりやすいけどね。
「何か興味のあることはなかったんですか?」
と、今度は陽波。興味のある事ねぇと思案顔の圭一さんは、少し俯いた。
「ないことはなかったよ。でもわざわざ大学にまで入って研究したいほどの興味はなかったかなあ」
「じゃあなんで」進学しようと思ったんですか。
「……どうしたの、何か将来についての不安でもあるの?」
圭一さんは少しおどけるように言った。その様子を見て話したくないなら話さなくてもいいんですがと言おうと思ったが、それを言うより先に再び圭一さんが口を開いた。
「大学の志望理由なんて、好きな人一人いればそれでいいんだよ」
夕日のせいか、こちらを向いた圭一さんの目が翳る。
妹と圭一さんはすでに店外に出ていたようで、しかしさほど待っていたようでもなかった。さしずめついさっき出てきた、というところだろう。
ふたりは何か話しているようで、店から出てきた私には気づかなかった。
「目当てのものは買えたかい?」
私がふたりに近づくと圭一さんが気付いた。隣を見ると陽波が小さな子袋を持っている。察するに何か買ってもらったようだ。後で礼を言わねば。
「ええ、おかげさまで。時間は大丈夫ですか?」
「……問題ないよ。十分間に合う」
圭一さんは腕時計を確認する。ちらりと見えた時計はいかにも大学生っぽい、大人な感じのデザインだった。少々イレギュラーな予定を詰めてもらったわけだが、どうやら計画に支障はないらしい。そのことにほっとすると今度は妹のことが気になる。私は陽波に視線を合わせると、何買ってもらったの? と訊いた。しかし彼女はただにんまりと笑うだけでなにも答えない。
「なんでも”お姉ちゃんには秘密”なんだとさ」
圭一さんが面白がるように教えてくれた。姉に秘密にするものとは何だろう。少なくとも圭一さんが妹に買い与えてもいいと判断したものなのだろうけど。
「漫画とかでしょうか?」
陽波は文字ばっかりの本は読まないが、絵本や漫画なら好んで読む。気になる漫画でもあったのかと思ったが……。
「さあね。直接教えてもらいなよ」
「できないから聞いてるんですけど……」
さっき”秘密”といったばかりではないか。嫌味な笑いをしている圭一さんを軽く睨んでおく。
まあいずれ分かるんじゃないのと曖昧な答えを出す圭一さんは、やはりどこか楽しそうに笑った。
いつだって
他人の幸せに気付けても
自分の幸せには
気付けてないんだよね。
「その二足買った人、すげー興味あるわ」
「ところでお客様、どんなものをおさがしで?」
「ここにある靴じゃないことはたしかだね」
「こちらのハイヒールいかがですか? 彼女へのプレゼントに」
「あいにく彼女はいないんだ。いたとしてもサイズが合わなきゃどうしようもない。それじゃ」
出て行こうとすると、若い女が入ってきた。俺好みの、細面の美人だった。
俺は振り返ってたずねた。
「そのハイヒール、いくら?」
「八〇万円です」
「八〇〇〇円しかない」
「八〇〇〇円でいいです」
俺はハイヒールを持ち、女に近づいた。
「よかったらこの靴、履いてみませんか?」
女は躊躇なく椅子に腰かけ、ハイヒールを履いた。俺は女にきいた。
「サイズは?」
「ぴったりです」
女と俺は見つめ合った。言葉は必要なかった。俺は女の手をとり立ち上がらせ、腰に手をまわし、店を出た。
会社帰り、ふと、靴を新調しようと思い立ち、G駅で降りた。たしか老舗のシューズショップが駅周辺にあったはずだと歩いていると、それらしき店が見つかった。
「いらっしゃいませ」
アーティストふうの女性が元気よく声をかけてきた。店内を見まわして俺は首をかしげた。
「すみません、この店は……」
「当店はガラスの靴専門店です。わたしは職人兼オーナーの、シンデレラ佐々木と申します。ハイヒール、ローヒール、コインローファー、スリッポン、モカシン、ウイングチップ、ストレートチップ、スニーカー、とにかくすべての靴がガラスで作られております。ご覧になっていってくださったら幸いでございます。どうぞごゆっくり」
俺はウイングチップをじっくりとながめた。ちゃんとガラスを貼り合わせて作られている。
「ひもは何でできてるの?」
「もちろんガラスでございます。グラスファイバーで作りました。スニーカーの生地もグラスファイバーで織られたものです」
「サイズはあるのかな。二六センチなんだけど」
「サイズはすべてワンサイズだけなんですよね。履いてみてフィットしたらラッキー、みたいな」
「ほんとのシンデレラサイズだね。……このスニーカー、履いてみても」
「履くと皮膚が切れます。ガラス繊維ですから」
「……履けないんじゃ意味ないでしょ。ちなみにいくら?」
「そちらのスニーカーは七八万円になります」
「さすがに手が出ないな。邪魔したね。どうも」
「じゃあ七八〇〇円でいいです」
「ずいぶん下がったな」
「開店してから一年になるんですけどトータルでまだ二足しか売れてないんで」
「投げ売りじゃないか。その二足は、定価で売ったの?」
「もちろんです」