「いや、アンタは面倒臭いからそういう友達ができないだけでしょ」
「うっ」
ネロが嫌みっぽく言ってきたので、わたしはついうろたえてしまった。
「まぁそうだろうな」
「仕方ない、そういう人って中々いねぇし…」
耀平や師郎も同意する。
「まぁいいや、これで事情聴取は終わり」
あとはもう好きにして良いよ、とネロが言った。
「やっと終わりか」
耀平はそう言って立ち上がった。
「この後どうする?」
ゲーセン行く?と耀平はネロに尋ねる。
「うーんどうしよっかな~」
ネロもそう言いながら椅子から立ち上がる。
師郎もそろそろ行こうかね、と席を立とうとした。
皆がそれぞれ立ち去ろうとする中、ネロがわたしに聞いてきた。
「そう言えばアンタはどうすんの?」
取り調べも終わったしさ、とネロは続ける。
きこえますか、わたしを生かしたひと。
遠くいつかの星々、雨音がよぶゆめ、朝焼けのいとしさとおそろしさを、ただ叫んでいたころ。宛名のないまま行き交うことばたちが、確かにわたしの影をつくっていた。
手探りも大人のふりもやめられずにいる、けれども知っていたはずのうたは、神さまではなく灯りになった。さみしさは決してこわくない、それを伝えるすべがないことばかりが、ときどき後ろを振り向かせる。
わたしの底にかけらを埋めた、なつかしいひと。いまなにを見ていますか、孤独にふるえる日はありますか。いのちが、こころが、健やかであることを、あなたに宛てて祈ります。
校長も教頭も太陽みたいに眩しくて
職員の皆さんも明るくて優しくて
辛い時に心の支えになってくださって
「いつか一緒に働きたいな」と思いながら
今から何をすべきか分からず悩んでいる日々
「だってコイツ、俺達に出会うまでネコ位しか友達いなかったし…」
そう言った所で、黎は物凄く恥ずかしそうな顔をする。
「あー確かに」
「そう言えば、おれ達と出会ったばかりの頃の黎はネコに夢中だった…」
ネロと耀平はそう言ってうなずく。
「だから一緒にいても嫌がられないんじゃね?」
なぁ、と師郎は黎の方を見たが、当人はテーブルに突っ伏していた。
皆はその様子を見て沈黙する。
「…こりゃ当たりみたいだな」
耀平がそういうと、ネロはだね、と答えた。
「黎にとってはみんなの事が大切なんだろうね」
わたしは思わず呟いた。
「…」
黎はちょっとだけ顔を上げる。
急にどうした、とネロが聞いてきたので、わたしはええとね、と答えた。
「…一緒にいても苦にならないって事は、それ程居心地が良いんだろうな、大事なんだろうなって」
わたしにもそういう友達がいたらなって、とわたしは笑った。
「ぬるま湯に浸かって育った」「平和ボケ」
これらの言葉は今や罵倒の意味しか持たなくなった
危機感がない、現実を見ていない
そんなふうに言われ否定されている
でも
ぬるま湯の何が悪い?
平和ボケで何が悪い?
最近そう思うようになった
「百聞は一見にしかず」
という言葉も体験を通してしか得られないものがあるという意味ではない
「一見」に「百聞」で足りないなら「二百聞」でもいいじゃないか、体験のためにリスクを犯すのが果たして平和のためになるのか
ぬるま湯の人間がそのぬるま湯を保つためにお湯と水をちょっとずつ足し合って、そうやって平和を作る
なぜそれを否定するのか、
なぜぬるま湯を熱くしようとするのか
熱いお湯にしか居場所がないから?
もしそんな人がいるなら今の社会を変えられるのは
きっとその人を受け止められる人だ
真の平和とは
願いという熱を受け止めた冷静なぬるま湯なのかも…