生ぬるい風に溶けそうな英単語も、
その横顔を見つめながら唱えた公式も。
明日みんなが集まる空気の中で、
あの時 君とふたりだったということを。
繋ぎとめるものであって欲しいし、
でも誰にも気づかれないでいて欲しい。
甲斐田正秀の噂は、俺が知らなかっただけで校内では結構知れた七不思議だった。入学して半年やちょっとの我々1年生の間にも十分広まっていた。ただ、『七不思議のひとつ』として語られてはいるが、7つ全て知っている者はいないらしい。それどころか噂としては甲斐田正秀の話しか存在しないとみられる。何度か安っぽい子供騙しにもならないような噂話が発生してもすぐに自然消滅する。
しかし甲斐田正秀の話は違う。現れては消える並の噂話と同じような陳腐な話。安っぽいし、救いようがないし、バカバカしい。なのに何故か惹かれる、みたいなキレた魅力もない。本当に取るに足らない。でも、今まで根強く残ってきた。件の先輩も、彼の先輩が先輩から聞いた話を教えてやると言った。
……もしやこれは本当なのではないか?
俺は中学一年生のガキで、そしてバカだった。
「それで、善くん。彼自身の心身もそうですが、やはり業務に参加しないのも問題ではありませんか」
少年が質問すると、部隊長は「ふうん」と溜め息を吐いて立ち上がった。代わりに今まで座っていた場所に磨いていた獲物を放り投げる。いつも少し訓練中に目を離しているだけでこっ酷く怒られているので、それを見て少年は反射的にビクッとした。
そんな様子も気にせず彼は窓際まで行って、巡視当番のスパークラーがせわしなく辺りを見回す様子を見下ろした。ここは5階なので地上にいる人間がずいぶん小さい。
「では君、この2日間、彼がいないことで業務に支障が出たことはあったか」
至極冷静に訪ねた。窓の外を向いていたので、表情は見えない。
「そ、それは……」
部隊長が何ということもないように投げた問いに、言葉が詰まった。
そうだ。自分でした問いながら、本当は答えは出ていたのだ。
もともと善は補充枠ではなく追加枠で入隊してきた者。その上9自成隊は人手不足だった訳ではない。今回も補充枠から溢れた人員をおおよそ名前の順に割り当てていったと、そのパターンであることは想像に難くない。また、単純に彼は新人だ。つまり、善が業務に参加しなかったところで、何ら問題はないのである。
それでも、少年は引き下がりたくなかった。善は15歳。まだ子供だ。そんな未熟な人間に一人でこれを乗り切れというなど、余りに酷だ。自分と年も近いため余計他人事とは思えない。
「行ってあげましょう。こんなの、善くんには耐えられません」
少年は半ば懇願するような口調になる。
「行かねえよ。言ったろ、ほっとけって」
しかし部隊長はいとも容易く申し出を突っ撥ねる。
「じゃあ自分が行きます」
「いや、それは駄目だ」
「何故です」
「命令だからだ。子供は黙って優秀な大人の言うこと聞いてればいーの。さ、分かったら自分の部屋に帰った帰った。分かってなくても帰ったー」
そう言って部隊長はシッシといい加減に片手で追い払う仕草をして、そっぽを向いてしまった。少年はまだ少しも納得していなかったが、言い返すこともできず「失礼しました」と娯楽室を出た。
「避けて!」
真っ先に気付いた水晶の声と共に、加賀屋隊の面々は散開する。
「%>“\*+‘$\‼︎」
咄嗟に手持ちの銃器型P.A.のトリガーを引き、5人は歩道橋に飛び込んできたカゲを仕留める。
「まだ来る!」
巴が手元の端末を見ながら叫ぶと、水晶は思わず立ち上がる。
「兄さん達は⁈」
石英と狙撃手が待機している建物の方を見ると、もうそこには多くのカゲが群がっていた。
「このままじゃ」
水晶はポツリと呟く。
「‘|+#$<$<$$‼︎」
「伏せろ加賀屋!」
寵也の声にはっと我に帰ると、水晶の目に数十メートル先にいる塔のようなカゲが光線を放とうとしている。
瞬時に水晶が伏せると、歩道橋の壁を光線が掠めていった。
「あいつ、もう来てる!」
「狙撃手はどうなったの⁈」
「そんなん知るか!」
「まだ来るわよ!」
弾、紀奈、寵也、巴はそれぞれ言いながら歩道橋に攻め込む小型のカゲ達を屠っていく。
水晶も拳銃型P.A.を連射していったが、ふと手を止める。
「加賀屋さん?」
巴が聞く頃には水晶は立ち上がっていた。
「え、みあきち何考えてるの⁈」
「そうだよそんなことしたら…」
紀奈と弾が心配そうに言ったが、水晶は気にせずこちらへ迫り来る大型のカゲに向かって拳銃型P.A.を向ける。
「ワタシの光の力は見ての通り悲しいほど低くてね。この機械を動かすだけで精いっぱいだよ。けど、君は違う。君の光の力は人並み外れているからね、君なら使いこなせるだろう」
「さっさと言えよ、オプションとやらの内容を」
ぼやきながら、吉代はデバイスを腕に巻く。同時に画面が起動し、ほぼ完全に残った状態の緑色のゲージと『1138』の数字が表示された。
「ああ、もう一つのオプションはね、『素手によるカゲとの格闘戦を可能にする効果』だ」
「……は?」
光の力は、カゲから身を守りカゲを倒すことができる力である。しかし、その真価はP.A.(Photonic Arms)を媒体に出力しなければ十分な効果を発揮できず、基本的にカゲと格闘戦を行うことは不可能なのだ。籠手やメリケンサック型のP.A.を用いれば有効打を与えることも可能ではあるが、素手となるとカゲとの戦闘は不可能と言って良い。
それを理解しているからこそ、吉代の反応も訝し気なものだった。
「おや、信じてないね?」
「いやプロフ、あんたの技術は信じてんだ。けどなァ……流石にこれまでの常識を無視し過ぎだろ」
「うーん……ちょっと説明するとね……これと同じなんだ」
言いながら、明晶は机に立てかけていた猟銃型P.A.を手元に引き寄せた。
「いや全く分からん」
「君も使ったことあるから知ってるだろうけど、銃器型のP.A.は、光の力を弾丸に変換して射撃できるんだよね」
「それは知ってるけど……」
「よくよく考えてみれば、おかしくないかい? これらの武器が示す通り、光の力は『直接叩きつけてカゲにダメージを与える現象』に変換可能なんだよ。それなのに、その性質が飛び道具でしか発生しないなんて……」
「けど実際そうだろ」
「まあね。実際作ってて分かったよ。弾丸みたいな小さくて一瞬で着弾・消滅する物体に変換するまではどうにかなるんだけどね。格闘戦のためには、手足をエネルギーで包み込み、その状態を維持しなくちゃならない。これがなかなか結構難しくってね……」
「……それで?」
「大量の光の力を消費させることで、力づくで解決した」
「これはひどい」
【目標沈黙、侵食、群発共に確認されません。これより避難民の帰宅整理に移る】
『了解。輝士班2名帰還します』
【了解。出口4.5番を開放します。そこから出撃ルート4.5番で帰還してください】
『了解』
2人は揃えてそう言い、通信を切った。
「帰ったら…どうせ説教だな」
「だよね〜…」
指定された出口に向かいながらのんびりと話す。
「まぁ怒られるの大半お前だけどな」
「なんでよ!手こずったのも最後連携やめて勝手したのもあんたじゃん!」
「よく言うよ、放っから俺を風穴としか扱わなかったくせに」
「それは…」
自覚はあったようで少しホッとしている。
「でも!最後のセリフはいらなかったかなー」
「うるせぇ!」
自分でも突発的に出た癖のようなものでそれなりに後悔してたのでいらなかったと言われると耳が痛い。
「あ、でも私このままライブだ!」
美空は用事を思い出して笑顔になった。
「じゃあ説教は1人ずつ、つまり時間で怒られる量はわかるな」
パッと出た笑顔が一瞬で曇る様は滑稽だ。
「説教を中断してライブに行けば…」
「やめとけよ、ライブも大事な仕事だろ、みーたん?」
高田美空は光の力をアイドルにも使う。
愛称は[みーたん]
元来のスタイルと戦績も相まってかなりの人気だ。
「出口だ、ちゃんとライブ行けよ?」
ジョーはそう言い残して止まることなく出口に入った。
「わかってるよ、私だって行きたくないわけじゃないし…」
美空ももう言い返す相手がいないとわかりながらも言ってから出口に入った。
「おかえり、お疲れ様」
「お疲れ様、ナイスコンビネーション!」
出撃ルートを抜けた先で迎えてくれたのは2人の同期だ。
・津上利樹(つがみとしき)
・大幡有日菜(おおはたゆいな)
「! りょーかいしたァ!」
電話からの指示に答え、宗司は向かってきたカゲのうち1体の頭を片手で捕まえ、もう片方の手に持った戦槌と共に振り回し、カゲの群れを殴り倒した。
ヌシの叩きつけようとした拳は、灯が家屋の壁に撃ち込んだワイヤーの上を滑り逸らされ、その隙に初音が心臓の辺りを剣で刺し貫いた。
「駄目、手応え無い!」
言いながらすぐに剣を抉るように縦に向け、腹まで斬り開く。
「コアが無いんだけどこのヌシ!」
「馬鹿言え、相手はカゲだぞ! 無いわけ無いだろ!」
灯も脇腹の辺りにワイヤーを撃ち込むが、ヌシは怯む事無く次の一撃を放とうとする。
「そうだそうだ、既に俺たちの攻撃は十分に『絞れている』んだ。そう焦るこたァ無え」
宗司の投げた戦槌が、ヌシの右肩を貫く。
「……行けるな?」
灯が携帯電話に向けて問いかける。
『もちろん。みんなありがとう』
真理奈の狙撃が骨盤の辺りを貫き、ヌシのバランスが大きく崩れる。更に続けて4発の弾丸が腿、胸、肩、首を順番に貫通し、いずれかの弾丸がコアを破壊したのか、脱力してその場に斃れた。
光を見る私と、光に当たっている貴方。
羨望はこのような普遍性を持っている。
羨んで、羨まれて。
誰かには見える私の光。私には見える貴方の光。