息苦しい夜
外へ駆け出した
体が軽い
羽が生えたようだ
束の間の全能感
橋から身を投げ出して
自分が生きていたことに
初めて気がついた
酷い寝汗で目が覚めた
夢で良かったと心から思えた
そこには少年がいた。坊主頭に学ランをキッチリ乱さずに着ている、俺と同い年くらいの。まさに昭和の子供という様相だ。
俺は驚いたのと怖いのと意外な展開についていけないのとで、声も出なかった。
いやしかし、まだ生きた人間でないと決まった訳ではない。話してみれば分かるはず……。
「ええと……」
と思ったが、俺もそこまで社交的ではなかった。一度言葉に詰まるともう喉につっかえて何も出てこない。俺はどうしようもなくなって目を泳がせた。
「お前大丈夫か?忘れモンか?」
少年が心配する声が聞こえる。それに答えるべきだったが、いろいろな思考が頭の中をぐるぐるして、結局質問には答えずに、俺の方から問いかけてしまった。多分、今俺が一番気になっていることなんだろう。何しろ、このことだけ分かれば何もかも解決するのだ。
「……あんた、名前は?」
「お前分かってないで喋っとったのか。面白い奴じゃのう」
少年はハハハと声を上げて笑った。そして自慢気に告げる。
「甲斐田正秀だ。お前も聞いたことあるじゃろ」
それを聞いた途端、胸がざわついた。身の毛もよだつってやつだったろうが、ただ、少し興奮もしていた。一瞬、風邪を引いたような心地になった。
「かっ甲斐田正秀?じゃあ、あんた死んでるってこと……?」
「そうらしいのう。別に死ぬつもりはなかったが」
その言葉にゾクッときた。背筋に冷たいものが走ったという感じだが、笑いも込み上げてきて、要はテンションがおかしくなっていたのだ。
いや、待て。
現実的に考えろ。今俺の目の前にいるのは、ただ甲斐田正秀と名乗り死んでいると自称しているだけの男だ。彼が言っていることを信じられる証拠は一つもない。
俺はいつの間にか怪訝そうな表情をしていたらしい。少年は……いや、ここは(確信はないが)甲斐田と言うべきか。甲斐田は口を尖らせた。
「善」
少年の名を厳かに呼び直した。
少年の方は気持ちが落ち着いてきたのか前と同じように目を伏せている。
「お前、親友が……よく闘ってくれたらしいな」
部隊長は言葉をよくよく選んで、優しい口調で切り出した。
善は未だ何も言わない。
「善。よく聞くんだ。これからスパークラーをやっていれば仲間を亡くすことは間々ある。これは仕方ないことだ。親しい人間を亡くすこともあるだろう。だが、我々はそんなことで止まってはいられない。今だって、いつどこでカゲが発生するかも、それによって一般人がどれほど被害に合うかも分からない。だから、立ち上がれ。強くあれ。お前だって、そんなスパークラーの姿に憧れたんだろ?」
部隊長は善の目をずっと見ていた。善が彼のことを見ることはなかった。ただ、俯いたまま小さくだが口を動かして何かを言っている。
「どうした、善」
問うと、段々聞こえる大きさになっていった。
「か……は……和樹は……」
「和樹は、何だ」
部隊長はそれだけ言って、どもる善の目をジッと見つめ続ける。
すると、10秒程度経って善は顔を上げて、部隊長の目を鋭く睨んで叫んだ。
「和樹はまだ15歳だった!やっとスパークラーになれたって喜んでた!それを何で!何で守れないんだよ!何で死ななきゃいけなかったんだよ!」
善はずっと思っていたことを吐き出した。
和樹が死んで悲しかった。虚しくなった。カゲと闘うのが怖くなった。でも本当は、それで籠もって震えているのではない。
本当は、本当は――
Ⅲ
STI寮第3棟、204号室。まだ入学して間もない少年が一人、ベッドの上で膝を抱えたまま震えていた。
一年生の寮は基本的に四人部屋で彼の部屋も例にもれないが、彼がこの状態になってからは寝る時以外はルームメイトは戻ってこなくなった。勿論鬱的な状態の人間を見ることの嫌悪感はあるが、和樹を知る者は、彼のことが嫌でも思い出されて気が滅入ってしまうのである。
一日目のうちはルームメイトも善を元気付けようと努めたが、それも徒労で諦めてしまった。
帰ってきたときも善を刺激しないように静かに扉を開けて、向かって左側にいる彼を横目で見ながら静かに用を済ませ出ていく。
それ故、ここ数日善は本当に孤独であった。
バァーンッ!
寂寞の中に破裂音のような轟音が響いた。
暫く同じ様子だった善も流石にそれには驚いて、音のした方、部屋の入口に素早くかっと開いた目をやった。
扉が開いたのだ。
大きな音を立てて、誰かが入ってきたのである。
「へい新人、久し振りだな、元気してたか!」
そしてゲームセンターのアーケードゲームコーナーで会話するときくらいの大声で、見るからに元気ではない善に、その闖入者は挨拶した。
一時間弱前に少年と娯楽室で話していた青年であった。
「……部隊、長?」
善は唖然としてそう漏らした。挨拶には一切反応しない。しかし少し顔を上げたので顔を見ることはできた。
部隊長は善の顔を見つめると、拍子抜けしたというような顔をしてずかずかと善の前まで歩み寄る。そして驚きで目を見開いたままの善の顔に目前十数センチというところまで近付く。
「善お前、泣いてないんだな。まだ一度もか」
善の顔には水滴などはついていないどころか泣き腫らした様子もなかったのだ。普通、ここまで参っていると少しでも泣くものだが、彼にはそんな様子はない。善自身も部隊長の問いにぎこちなく首を横に振った。
すると、部隊長は訝しげな表情を苦笑に変え、手を縮こまった少年の頭にやろうとした。しかしハッとして手を引っ込め、口を真一文字に結んだ。