国際情勢がきな臭くなり、中国との戦争という暗い影が日本国民に忍び寄りつつある時代に帝都・東京に続いて商工業の中心地大阪でも球団が産声をあげた。
そんな大阪のタイガースが生まれた後も名古屋や東京をはじめ全国各地にプロ野球(当時の名前では職業野球)のチームが生まれた。
そうして合計8球団で春秋の2部でシーズンを戦い抜いたのが日本初のプロ野球だ。
余談だが、そんな大阪タイガースにも巨人やドラゴンズの前身となる名古屋軍と同様に球団を応援する専門のテーマソングが開幕前後の時期に生まれた。
しかし、他球団のテーマソングはチームの運営会社や時代の変化に応じて曲そのものが変わったが、このタイガースの球団歌は約90年経った今でも冒頭の1番の歌詞の最初の単語から六甲おろしという名で親しまれて歌い継がれているのだ。
閑話休題、そんな生まれたばかりの球団を初年度から支えた主力選手の一人に藤村という男がいる。
彼は野球王国・広島県出身でのちに記録することになる数々の功績からプロ野球選手最大の名誉と呼んでも過言ではない永久欠番という特別扱いを受けることになるのだ。
この永久欠番とは、特定の背番号を過去につけた特定の選手の偉業を讃えてその選手以降にその背番号を使わせないという制度で、その背番号は球団によって異なる。
しかし、タイガースではこの制度により欠番となっているのはいるのは10、11、23だ。
ところが、この藤村選手の背番号10を除くといずれものちに日本を覆う悪夢の様な戦争が終わった後の平和な時代で活躍した2人の選手のものであるのだからプロ野球黎明期のタイガースを支えた藤村選手の功績の大きさは計り知れない。
藤村は投手と野手の二刀流という、のちの令和の世では世界的に有名な日本人選手しかやっていないけれど当時としては当たり前のプレーを通じて、日本プロ野球に残る初めての記録をほぼ総なめする形で球界を沸かせた。
藤村が打撃の人ならばタイガースを支えた投手のエースに景浦という選手がいる。
しかし、のちに起こった戦争に軍人として参加するも生き残って戦後も野球界の発展に向けて最善を尽くした藤村とは対照的に、その戦争で亡くなった景浦は平和や命の尊さを教える貴重な存在として戦後も語り継がれている。
「僕が彼女の視界を封じている内に、早く逃げて!」
霞さんの言葉に、わたしはまさかと呟く。
霞さんはそのまま続ける。
「僕の異能力は”一定範囲内の視界を霞ませる”能力だから、下手に移動すればあのヴァンピレスって子の視界を封じられなくなる!」
だから、僕を置いて逃げて!と霞さんは叫んだ。
「そんな…」
わたしが困惑する中、耀平は置いてけるかよ!と声を上げる。
「そんなのできないよ‼」
耀平がそう抵抗すると、霞さんのごめん耀平くん、という声が聞こえた。
「今日は会えて嬉しかった」
でも君や、君達を、誰かに傷つけさせるわけにはいかないと霞さんは続ける。
「だから逃げて!」
霞さんの言葉に耀平は押し黙る。
しかしそれに対し、そんなのダメと黎の声が聞こえた。
「お前が傷ついたら、耀平もきっと傷つく」
自分を犠牲にしないで欲しい、と黎はこぼす。
「でも、それじゃ…」
「大丈夫、自分が何とかする」
だから協力して、と黎は霞さんに声をかける。
霞さんは暫く考え込むように沈黙していたが、やがて…うん、分かったと言った。
胸の扉が開かれた
記憶の断面が浮かび上がり
心はクレセントに身を任せ
パズルはあなたが創る
私はそれを見守る
大丈夫よ
あなたには「自由」という名の鍵ある