「わらわ達をよく思わない者は、わらわが記憶や異能力を奪ってしまえばいい」
そうすればわらわ達は傷つかないし、わらわ達の扱える異能力も増えるわ、とヴァンピレスはわたしに背を向ける。
「と、いう訳でどう?」
貴女、わらわと協定を結ばない?とヴァンピレスはくるりと振り向いた。
「貴女もわらわも損することのない、素敵な協定よ」
ヴァンピレスの提案に、わたしは目をぱちくりさせる。
ヴァンピレスはあら、と首を傾げる。
「貴女、乗り気じゃないの?」
「えっ、あっ、いや…」
乗り気じゃない、というのがわたしの本心だが、あの恐ろしいヴァンピレスの前でそれを言うのはかなり気が引けた。
うっかりしていれば、何をされるか分からないし…
そう逡巡するわたしを見ているヴァンピレスは、もしかして迷ってらっしゃる?と聞く。
わたしはびくりと飛び上がり、あ、え、えー…と目を逸らした。
するとヴァンピレスは、まぁ仕方ないわと腕を組む。
もう行くときが来たのね。
はぁもう行かねば。
スーツケースを持って僕は、みんなと違う道へ行く時が来たようだ
もう準備できた。
よし、行こう。
大切な友達には別れを告げずに、去ろうか。
じゃあね。
じゃあね。
ばいばい。
僕にとって大好きみたいな友達よ。ごめん。
僕にとって大切ないつメンよ。ありがと。
でも言わない方が良いと思ったからさ
だからもう行くよ。
じゃあね。
じゃあね。
ばいばい。
あぁ、でもなんかやっぱ寂しいや。
楽しかったな。
まだ居たかったな。
あぁ、でもだめだ。
もう行かなきゃ。スーツケースを引いて。
じゃ、じゃあね。
ばいばい。
元気でね。
またどっかで会えたらいいな。
だけど会えないか。
どっかで会えるなんて奇跡中の奇跡だもん。
そんなこと考えないで行こう。
僕はスーツケースを引いて長年いた場所をあとにしていく。
じゃあね。
ありがと。
ばいばい。
さよなら。
私は人間を
生き物を守る
たとえ私よりでかい存在でも
それが大きな龍でも
壮大な宇宙も
私は皆に助けられたから、
この身を盾にして
守るから
君を知りたい
知りたくない
知られたくない
でも、知りたい
いや、知りたいかもしれない
甘い香りに誘われる花
ダフネ
この季節に咲く珍しい花だ
別名、沈丁花ともいう
まず、繰り返しになるが苦痛がなかった。全くの無とは勿論言えないが、直前のあの一瞬だけの痛みであるから、比較的宜しい。
次に転生を果たした。死後の恐ろしい無はなく、早死にの未練で現世にしがみつく怨みや何かはなく、両親より先に死んだ罪障もない。これは非常に宜しい。
また、今まで歩んできた人生のことを思っても文句はない。勤勉な父上の馳駆によって食うに困ったことはない。几帳面な母上によって家庭環境は整備され、私は幼少の頃より剴切な情操教育を享受していた。良師、良友にも恵まれ、国立大学進学も叶った。
就職も順調に行き、地方企業でプライベートを保障された独身貴族生活を送り、上司にも恵まれた。
私の周囲は人格者ばかりで、しかし私自身は大した劣等感もなく、万事上首尾であった。その中で死んだのだから、これは非常に宜しい往生である。これ以上の高望みは足るを知らなすぎるというものだ。
さて、転生したのちの話をしよう。
私は人間には転生しなかった。
人文学的には人類として分類されると言うが、生物学的には爬虫類として分類される。赤褐色の硬い鱗で身を包む、二足歩行の巨大蜥蜴。それが私の転生した高知能爬虫類コマ=リャケットである。恥ずかしながら異世界に知見がないため、現世でこれに当たるモンスターやクリーチャーを知らないのだが、読者諸君が想起しているもので正しいと思う。
語意的な話をすると、コマ=リャケットの言葉で、コマが『人』、リャが『蜥蜴』、エットが『大きな』の意を示す。
この言語では被修飾語となる名詞の直後に修飾語を追加していくが、『リャェット』は大きな蜥蜴という単語として存在しているため前記のように分けている。
前世で言うところの『c』の発音が『〜のような』を示すらしく、それでは種族の自認として『蜥蜴ではなく人間だ』というのがあるのかと始めは思っていた。しかしよく聞いてみるとコマの後にも『c』が付いていたので、どちらでもないというのが自認として正確なところであろう。
多分我々は蜥蜴も人間も大した違いのないように感じているのだとも思う。
読者諸君には突然で申し訳ないが、私は死んだ。
私にとっても突然のことだった。
駅のホームで、酩酊する青年にぶつかって、入ってきた通過電車に轢かれて死んだ。大した痛みはなかった。それは本当に良かった。自分は死というのは一体どのような心地であろうかと無意なことを人生の中で時折考えたものだが、そのときはいつも、できるだけ苦痛なく、かつて読んだ小説の主人公が思い描くような当にそのような死に方をしたいと思っていた。現実に死に際し、苦痛を伴わずに死ねたことには、神や仏や、もしくはそれ以外の死を司る者らに深い感謝の念を抱かずにはいられない。
とは言えども、その後が問題である。
人は死んだ後どうなるのか。様々な説が飛び交っているが、持論を言わせてもらうと、それらの説の殆ど全てが正しいと考えている。結局はどれに当たるか、という問題なのではなかろうか。それが偶然にしろ必然にしろ。
では私はどれに当たったのか。
私の場合は転生だった。
読者諸君の恐らく大部分が今頭に浮かべた『転生』の意で取ってもらって問題ない。巷では『異世界転生』といって、非常に大きな市場規模を誇るエンターテイメント・ジャンルの一つであり、若い頃には一度は皆憧れたであろうトピックである。私も幾分か読んだし、ある一作は我が短い生涯の愛読書となった。私は今、その渦中にいるのである。正直なところ、満更でもない。
確かに私は寿命を全うせずに死んだ。親の死に目にも会えないままだ。当然ながら友人らに挨拶して廻った訳でもない。やり残したこともここらある。
しかしながら、今のところは最大限に幸福だという自信がある。