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好きな子(?)

大森先生こんばんは!いきなりですが、相談です。
私は今年度の夏休みに付き合ってる人がいました。
クラスと部活(吹部)が一緒で、大学の志望校も学部も夢も同じで、よく一緒にいることが多かったんです。
しかし、「重たい、やっぱり友達の方が良かった」と言われました。重いことした記憶はないし、付き合ってから2人で遊んだこともありません。
その後も付き合う前のようにいつも一緒で仲良くしてるのですが、やっぱり好きだなって思うことが最近増えました。好きな物を覚えてくれていたり、楽譜でほっぺをつついてきたり反則ですよね?!別れた原因は多分相手が本当は好きではなかったのではないかと思っていて少し希望はないことも無いのですが、あんな風に別れたのに復縁ってできるんですかね、、、
大森先生は告白しますか?待ちますか?諦めますか?

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反抗期?

大森先生こんばんは!
最近反抗期なのか分からないですが、人の意見を素直に受け止めることができません。それが原因で学校の先生にちょっとだけ反抗しちゃって、その先生は大好きな先生だから謝りたいけどなんて謝ったらいいのかわからなくて。自分の意思では無いことをしてしまったり、言ってしまったりそんなことばっかです。大森先生は反抗期ありましたか?
あとどうやって謝ったらお互いスッキリするのでしょう。

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最近の悩み事

大森先生こんばんは。
初めて書き込みします。
最近誕生日を迎え、25歳になりました。
「25歳の壁」と言うものをよく耳にし、
それなのかはわかりませんが、
幼い頃からプライドが高いくせに自尊心が低い自分に心底疲れてしまいます。
きっと自分を認めてあげることが楽になるんだろうなあ、とわかってるものの、
他人の評価が自分の評価になってしまっていて
プライドが高く後悔することが多いです。
大森先生はこんな経験ありますか?

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誰にも言えない悩み

大森先生こんばんは。
今将来についてとても悩んでいます。というのも、今私は中学2年生なので、卒業後の進路などを色々考えているところなんです。
私は、自分で言うのはちょっと、、だけど芸術的センスがあると思うんです。なので、小さい頃は美術系の仕事に就きたいと思っていました。でも、大森先生に出会ってから、私も自分の音楽を世に出したい!と強く思うようになりました。自身はあります。だけど、現実離れした夢だし、諦めた方がいいのかななんて思ってしまいます。それに、音楽の仕事をしたいことは伝えていませんが、親は安定した仕事について欲しいと言っています。でも他にやりたいことがどうしても見つかりません。このことを考えすぎて、毎晩のように泣いてしまいます。大森先生、私に助言をください。お願いします。

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哲学的!?

大森先生こんばんわ! 僕は3月に入って19日にある卒業式までもう授業がないのですが、最後にやった国語の単元で『誰かの代わりに』というのをやりました。それにはすごく哲学的な事が書かれていたのですが、その授業をやっている時に僕も哲学的(?)なことを考えてしまいました。 それは、友達みんなが言っている『好きな人作んないの?』や『彼女(彼氏)作んないの?』という言葉に対し好きな人や恋人という者は作るものなのか?一緒に生活や遊ぶ中で結果的に好きという概念にたどり着くというのが元々の好きな人のいみなのでは?と思いました。友達にそれを言うと共感してくれる友達もいましたがほとんどが『そうゆう哲学的な事言ってないから』と批判されてしまうのです。大森先生。『好きな人』とは一体どのような意味なんでしょう?

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人を本当に安心させられる言葉

先月、本当に恐れていることについて「大丈夫」「怖くないよ」と言われるとさらに不安になるという書き込みをしました。人を心から安心させられる言葉はあるのだろうか、そう思っていました。
先日学校の先生に悩みを相談した時に、「(そのことについて)いつでも話してくれて大丈夫だよ。」と言われて、すごくあったかい気持ちになりました。安心させたいという気持ちがあれば伝わるのかな、と感じました。その先生にはたくさん感謝を伝えたいです。

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人生プログラミング説

大森先生こんばんは。大学受験を終えた高校3年女子です。私は受験期、数多くの悟りを開きました。その中でも珠玉のものが、「人生プログラミング説」です。簡単に言うと、「人生で起こる全ての出来事はあらかじめ決まっている」という説です。○月✕日にダラダラと過ごしてしまい一日を無駄にしてしまったような日があったとします。この説に基づけば、その○月✕日は生まれた時からダラダラと過ごすようにプログラミングされていたということです。逆も然りで、○月✕日、テキパキと一日を有意義に過ごすことが出来たとすると、その日は元々有意義に過ごせるようにプログラミングされていたということです。〇時‪✕‬分にお腹が空いたからご飯を食べることも、昨日友達に誘われた映画に今日行くことも、逆に昨日友達を映画に誘ったことも、生きている中で起こること全て初めから決まっているという考え方です。ある大きな目標があったとして、その目標が叶った場合、その目標が叶うようにプログラミングされており、それを叶えるに足る努力ができるようにも決められている。逆を言えば、目標が叶わなかった場合、それは元々決められていた事で、叶えるに足らない努力でプログラミングされていたということです。この場合、「目標が叶わなかった」という事実がその先歩む道に必要だった、ということになります。このように考えると、多少の失敗や後悔が、自分の中で肯定できるようになると私は思います。大森先生は、この「人生プログラミング説」をどう思いますか。