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相談

相談したいのに、日曜に書くと見る人少ないやんって思うけど、少なからずも、奇跡的に見てくれる人に向けて相談します!
私はいま、やること(習い事)があるのに、怠惰な生活を送っています。ずっと頑張って来たことだけど、ずっと中途半端で、練習も結果も中途半端、努力も中途半端な毎日です。今しかない、こんな練習できる時間は大学生である今だけ、と思い立っても、どうせどんなに頑張っても、うちより凄い人はいるし、本番で自分を信じられなくて、自分を裏切ったり、自分への頼り無さを感じたりするんだろうな、と考え始めると、また永遠ループして、やる気が起こりません。
で、今しか練習時間はないって分かってるのに、なんか諦めてるというか。諦めるのも早いと思ってるのに、自分の人生に諦めがついてるというこか…。そんな自分に対しても、いやになって、やり切れなくて…。
たぶん、そこそこ努力はしてると思われます。でも、それが中途半端だと思ってるんです。まだまだ死ぬほど努力できる、と思ってる。だから、今のこの中途半端な努力の現実に肩を落としています。小学校や、中学生、高校生の時の方がよっぽど努力してた、と思います。だからこそ、今のこの環境、どこにいても、ここにいること自体間違ってる、こう考えてること自体パフォーマーとして終わってる、という思考回路になってしまいます。
努力の仕方も間違ってるのかもしれません。私ももっと頑張らないと、と気負いすぎてるのかな…私も頑張ろっと、くらいでちょうどいいと思うのに…。
そもそも、頑張らないと、と考えてること自体、パフォーマーとしての姿勢が終わってるのかな、と思ったり。好きでやってないのかな、と思ったり、目の前のこの現状について、受け入れる、受け入れない、そんなこと考えてること自体、拒否ってるのかな、と思ったり…。
自分に余裕がなく、自分に自信がなく、
そして、自信のある、自分を持ってる人、自分のカラーを前面に出してる人に、いいなーと羨ましいと思ってたり。
自分に対して、自己嫌悪してるのではなくて、自己評価がとても低くなりがちなこの頃です。

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考える。

私は、最近思うのは、言葉を言う時、ズバッと言わないと伝わらないと思った。言うのに躊躇することであっても、それでも言わないと伝わらないと思った。曖昧な感覚なんて、伝わらない人には分からない。
でもそれと同時に、これ言ったら相手はこう思うかなと考えるようになった。それがあまり良くないこと、これ言うと、相手を悪く言ってしまうな、と思ったら、それは的確な言葉を選んで伝える、というかんじ。
そういう判断が出来るようになった。仲良い子の前では自分をさらけ出してオッケーでも、繊細な話題ってある。そういう時は、言葉を選んで、丁寧に伝える。昔はなんでもかんでも思ったことサラッと言って、「それってつまり悪くゆうてるやん」って感じで知らない間に、違う意味で傷つけててりして、その塩梅が分かんなくて、苦労してたけど、最近分かってきたかな。
だから、悪く言わないように曖昧に伝えてた時期もあったけど、大学入って新しい友達が増えてから、今までのように感覚で伝えるのは難しいな、と思った。
だから、思ったことは、言いたいことは、ある時はズバッとストレートに言うべきだし、言ったらさっぱり気持ちかったし、うまく伝わった。
まあコミュニケ〜ションって難しいね。