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なりたい大人になるために

小学6年生12歳だった僕は高校3年生18歳の男になりました。純粋無垢でいい意味で綺麗なことしか知らなかった男の子は、日常の闇みたいなこと、人の間にはびこる影みたいなもの、世間に潜んでる嘘を少しずつ知って、大人の男になってきました。その中でつくづく思うのは、経験と出会いが人を作り上げていくということ。日本は東日本大震災という経験を六年前にしたけど、どうしても物理的な被害差が生まれてしまっている。それは6年の間に人の記憶に刻まれる差にも繋がってきている。
僕は今でも地震が起きる度に、あの時の記憶が蘇ります。学校で習うとおりの方法で、ドアや窓を開け、ガスを止め、ラジオを付けて情報を手に入れる。そうやって自分や家族を守ろうとしてます。それは、あの時の経験があったから。あの経験が、幸か不幸か頭にこびりついて、悲しい思いをした人たちの話を聴いたから。まだ死ぬわけにはいかないし、大切な人にもいなくなって欲しくないから。
ただ、最近思ったのは、震災のことを忘れるとか忘れないとかより、まずは矛盾のない、文句の言われない大人になるべきだということ。ネガティブな言い方だけど、矛盾だらけな大人や苦しい言い訳をしている大人が東京の真ん中にたくさんいるのが日本の現状です。こんなこと書いたら偽善者だって言われるかもしれないけど、何も考えずに自分の私利私欲のためにズルする大人よりマシだと思います。
4月からまた歩みを進め、僕は大学生になります。それでも、進む上で大切なことは小学6年生までに習ってたこと。「人を騙して傷つけてはいけない」、「人にされて嫌な事を、人にはしない」、「ありがとうとごめんなさいをきちんと言える大人になる」。いくつになっても心に刻んでいなきゃと思います。

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居場所

School of lock11周年本当におめでとうございます。僕がこの学校に登校し始めてから2年ほど経ちましたが、つくづく思うのは本当に分け隔てなく、誰もが生徒であるということ。中学や高校に入ると成績だったり、見た目だったり、男女だったり、文系理系だったりと、いろんな場面で同じ学校の生徒なのに分けられてしまいますよね。それがあるせいで、友達との間に歪みが生まれることもあるし、ぎくしゃくすることもある。気まずい空気になったり、なんとなく他人の嫌なところを見たり、自分の不甲斐なさに気づくこともありますよね。
でもこの学校は分けられることはないです。ましてやクラスさえありません。ラジオのチューニングを合わせ、10時から聴けば、それだけで生徒なんです。そこに成績や見た目や年齢、男女、理系文系は関係ありません。顔も見えないし、学校も分かりません。校長、教頭が言ってたように、来たい人が、来たい時に居場所を求めて来る学校がここ、School of lockです。流れているのは音楽。そして、その音楽も年齢、性別、人種を問わずして楽しむことのできるものです。
縛られたり、仕分けられたり、勝手に決められ枠の中に入っている1日の最後に、少しだけそこを抜け出して、1人でラジオを聴く。1人で聴いているけど、孤独ではない。電波違う生徒の元へも届いていて、東京FMをキーステーションにみんなが繋がれるんです。こんな素晴らしい学校はありません。今ではかけがえのない僕の居場所の1つです。本当にありがとう。ボクはまだ少し、ここで未来の鍵を探させてもらいます。