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見えなくても声が届かなくても…

まだ小学生だった僕。怖くて走って学校から帰り、家族みんなが無事だったことに安心しました。あの年の11月。被災地へのボランティアとして気仙沼市に伺いました。津波で海から何百メートルも内陸に運ばれてきた、マグロ漁船。沿岸の火災により、黒こげになっていた歩道橋。ほんとにこんなことがあったのかと信じられないような光景を見ました。それから4年半ほど経ちました。僕は高校3年生になろうとしています。もちろん、東北の同世代の人たちも同じように大人に近づいていってるんだと思います。5年目を迎えるにあたり、若者としての僕が見るべきだと思うのは、今見えてるものの先にあるもの。計画されている復興予定のその先にある日本の姿、原子力開発の未来。物理的なものだけでなく、例えば被災した方々と触れ合う機会があれば、その人だけでなく、その人の、さらにその先にいる誰かのこと。そうやって繋がっている人みんなの心の幸せこそが復興の証なのかと思います。易い言葉かもしれません。原発で作られていた電気を使っていた関東の人間です。特別な人を失ったわけでもないです。お前に何が分かるんだって言われるかもしれない。でも、東北の方々に分かってほしいのは、震災を通して日本中の国民が考え方を改めた始めたということ。それが行動として動くのは、もっと先で、僕たちの子供の世代かもしれない。それでも、僕は変わることを信じたい。そのためには、人が人を信じることが大切だと思うんです。辛くて誰も信じることができないような状況かもしれないけど、どこかの誰かを信じて生きていくしかないんだと思う。見えてるもののさらに向こう、声を届けた場所のさらに遠くの場所へ自分の思いを伝えることができる。このラジオを今日聴けて良かった。

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10年とは。

僕は福山雅治先生の23年続いたラジオを聞いていたので、school of lockが10周年と聞いても、正直その程度かと思う自分がいました。僕がこの学校に通い始めたのは今年の3月です。とーやま、あしざわ世代しか知りません。この学校にどんな歴史があったのかもしりませんでした。しかしされど10年。僕には10歳離れた姉がいます。その姉は今年の9月に結婚しました。姉が今の僕の年からこの学校は毎晩10時に開校していたんですね。逆に考えてみると、10年とは、今高校2年の僕が、1夫として一家を支える存在になるということ。今の僕には想像もつきません。さらに驚いたのは昨日の放送で、この学校の卒業生にすでにお子さんがいらっしゃるということ。10年なんてあっという間かもしれませんが、人が成長するには十分な時間なのかもしれません。お子さんがいらっしゃるゆうらんさんも、高校生の時、悩みを抱え、この学校に鍵を探しに来たのだと思います。昨日の放送を聴いて確信しました。この学校には未来の鍵があるのです。100万人生徒がいれば100万通りの鍵があると思うのです。そして、僕たちの子どもの世代にも孫の世代にも、末長く愛され、頼りにされる学校であってほしいのです。ここで改めて言わせて下さい。school of lock、そして職員のみなさん、卒業生、在校生のみなさん、10周年おめでとうございます。この学校が10年間、人々に鍵をもたらしてくれたのは、歴代の5人の校長、教頭。そして、多くの女子生徒のみんな、偉大なるアーティスト講師陣のおかげです。そして、この学校がさらなる10年、そして未来永劫続いていくには、我々生徒が登校し続けることが必要なのですね。10代の今だからこそ分からない、辛い、どうしようもないことがあると思います。その思いを、この学校で叫ぼうじゃありませんか。同じ10代が、そして10代のカリスマが一緒です。青春だからこそ味わえる、苦味や甘酸っぱさがあると思います。答えは、すぐには見つからないかもしれません。でも、あとになって振り返ると、必ず回答が分かる鍵が得られるはずです。そう信じて僕は今日も明日も明後日も夜10時に登校し続けます。今日も明日も明後日もよろしくお願いします!
長文失礼しました。