表示件数
0

歴史談義黙示録30・31

あけましておめでとう‼︎
今年もよろしく〜
ではやっていきます
山本 五十六
・帝国海軍 元帥
・新潟県長岡市出身
・海軍兵学校を192名中11番で卒業
・少尉候補生のまま装甲巡洋艦 日進に乗船
・日露戦争の日本海海戦で敵の砲弾により中指と人差し指を失う
・海軍水雷学校普通科学生として4ヶ月の教育を受けた
・海軍大学校を卒業後 ハーバード大学に留学
・日本人で史上2番目にモナコのカジノを出禁になった
・軽巡洋艦北上副長、海軍大学校教官になる
・大日本帝国海軍27代連合艦隊司令長官に就任
・日独伊三国同盟や日米開戦には反対派
・真珠湾攻撃を指揮して成功させる
・ミッドウェーで敗北後、前線視察中にブーゲンビル島上空で、乗機が撃墜され戦死

小沢治三郎
・帝国海軍 中将
・宮崎県児湯郡高鍋町出身
・海軍兵学校第37期生 同期も有名人揃い
・卒業後二等巡洋艦宗谷に乗組 こちらもかなりの有名人が乗っていた のちの首相とか元帥とか
・駆逐艦 島風重巡 摩耶 戦艦 榛名 艦長
・開戦時は南遣艦隊司令長官として陸軍と共闘
・陸軍と海軍は犬猿の仲だが 小沢艦長は陸軍と関係は良好だった
・南雲忠一の後任として第3艦隊司令長官となる
・不幸に不幸が重なって大鳳と翔鶴を失う
・航空機を使って敵のレンジ外から攻撃するアウトレンジ戦法を考案するがうまくいかなかった
・レイテ沖海戦では囮を務める
・その後トンデモ作戦を色々考えるが実行されなかった
・最後の連合艦隊司令長官を務めた

0
0

歴史談義黙示録26・27

今日で全員強制の補習が終わったー
部活は午前があるが 俺たちの自由(午後)が戻ってきた‼︎
では今週は戦時中の提督をやっていきます
山口 多聞
・提督海軍少将 死後に中将に昇進
・戦時中の提督と言えばこの人
・多聞という名前は楠木正成の幼名 多聞丸からとっている
・兵学校は次席で卒業
・海軍大学校は首席で卒業
・普通にエリートな気違い
・爆撃機を出撃させたため大きな損害を出し「人殺し多聞丸」と呼ばれた
・大相撲 戦艦伊勢部屋の親方
・日本が世界に誇る胃袋の持ち主 大和ホテルのフルコースだろうがたやすく食べる
・多分飛龍のボーキはこいつが食ってる
・太平洋戦争では南雲機動部の第二航空戦隊司令官として空母蒼龍を旗艦に参加した
・ミッドウェー海戦では飛龍を旗艦として参加
・空母 赤城 加賀 蒼龍が沈む中飛龍は最後まで戦い続けたが敵の攻撃を受け大破してあえなく雷撃処分
・もしかしたら異世界に行ってどっかの国の客人提督になってるかも

森下 信衛
・帝国海軍 少将
・戦艦大和 4代目艦長
・我が愛知出身‼︎
・大学だったりホテルだったりする大和を戦艦にした男
・大和の艦長の前は結構有名な軍艦に乗っている
・操艦の名手どころではない もう神の領域
・敵が魚雷を撃ち敵機銃弾が飛び交う中、もっとも狙われやすい艦橋トップの防空指揮所において防弾チョッキもつけず、くわえ煙草のまま指示を出した
・この戦いで大和型戦艦の2番艦、武蔵は敵機の激しい攻撃を受け、シブヤン海に沈んだ。
・この戦いを終え森下艦長は、大和艦長を有賀幸作大佐にゆずり第二艦隊参謀長となる
・そして、沖縄への水上特攻時にも参加した
・だが駆逐艦冬月に救助された

0

歴史談義黙示録24・25

クリスマス‼︎いつもと変わらん
なんかカップル(女)がハリーハリー言ってた
ヘルシングのアーカードの旦那かよ
ではやっていきます
島津 忠久
・戦闘民族島津の祖
・鎌倉時代の武将
・母が頼朝の乳母子だった
・やっぱりこいつも戦闘民族
・頼朝より摂関家領島津荘下司職任命される
・こっから明治維新まで戦闘民族は薩摩を拠点に活動する
・一応信濃の地頭でもある
・源氏vs藤原氏の奥州合戦にも参戦
・大隅国・薩摩国の守護に任じられる
・薩摩に領地をもらったが鎌倉で活動して生涯を終える
・ちなみに三代目島津久経が元寇を機に薩摩に本格的に移住する

島津 斉彬
・幕末の薩摩の大名 幕末に活躍する人材を育てた
・薩摩藩の富国強兵に成功した
・曽祖父の影響もあり洋学大好き
・この事が原因で藩が二つに割れる・・・
・お家騒動が起こり幕末に仲介してもらい藩主になる
・洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などを作らせる
・ジョン万次郎を保護 部下に造船法を学ばせる
・下士階級出身の西郷隆盛や大久保利通を採用する
・黒船来航後は公武合体・武備開国を主張する
・琉球王国を介して、フランスとの兵器購入・交易を画策
・幕末に流行したコレラで亡くなる
・最も早く写真に撮影された大名
・義弘様さえ薩州に帰られたなら決まりきっちょる島津は徳川家ば滅ぼした何十年何百年かかったかは知らんじゃっどん必ず島津兵子が滅ぼした

では来週は戦時中の提督をやります