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祖父との最期

土曜日の昼過ぎ、自分の祖父が長い闘病生活の末
天国へと旅たちました。

どうしようもないくらい涙が流れました。
祖母を除き、子供、孫の中で最後に会ったのは 自分でありました。

祖父の遺体は、その日は家へと帰りました。

自分も、その日は祖父母の家に泊まり
悲しさを紛らすように寝ました。

そして深夜、フワフワとした感じのまま廊下を通り、祖父が寝ている部屋を通ると、うーんと、そ祖父が上半身だけ、起き出してきました。
慌てて、祖父に近寄り
「起きたんね!?」
祖父は、笑顔で頷きました。
「ちょっと待っててな。お茶と飯でも持ってくるから。あ、ばぁちゃんも読んでくるから」
また、笑顔で頷き、自分はキッチンへと歩きだしました。

そして、次に気がついたのは深夜、布団の中。
「(あぁ、お茶とか出した後、また俺、寝ちゃったんやな。茶碗でも回収しないと。)」
そう信じて疑いませんでした。

そして、意識がしっかりした頃
「(ん?、じぃちゃんの寝てる部屋って、ばぁちゃんも寝てたよな…なんで、あの時ばぁちゃんの布団が無かった??)」
そう、夢だと気づいた時、涙が流れました。

今までだって、別れ際はいつだって笑顔でした。
おそらく祖父は、自分に何も言いませんでしたが、笑顔でお別れを言いに来たんでしょう。
その証拠に夢に見た祖父は、病気で痩せた顔ではなく、元気だった頃の、にこやかな顔でした。

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それでも世界が続くなら。

ここ数日間の話をさせてください。

先週の水曜日、20日にこの学校にも来校されたことがある「それでも世界が続くなら」さんのライブに行って来ました。
このバンドを知ったのは今年で、ライブに行くのは初めてでした。

私は音楽が大好きだから、沢山のライブに行って来ました。でも、こんなにも心動かされ、疲れたライブは初めてでした。

私はつい先日、あるテレビで、自分の関わらせて頂いている不登校の活動が取り上げられたことで、本当に沢山の人から、「頑張ってるね、すごい。応援してるよ。あなたのやってることは影響力あるし、同じ立場の人は励まされると思う」と言われました。
ほんの少し、自分が存在していい理由を見つけた気でいたんです。

でも、それせかのライブでボーカルのしのさんは言いました。「生きてる意味なんて最初からない。良い人になる、社会貢献する、それって、悪いこととは言わないけど、生きる意味の答えになってるのか?」って。
私の溜めてた想いが全て溢れ出しました。

私は、中高時代、いじめられていました。そして、学校に行けなくなり、家や親戚の家に行くと、優秀な兄弟と比べられたことにより、私は、生きていてはいけない人間、不良品なんだと思うようになりました。だから、必死に周りに気を使い、役に立つ人になることが、生きてていい理由だったんです。

だけど、それせかの全力のライブを、そして、しのさんの言葉を聞いていたら、いや、違うんだって思えました。もっと、自分に正直であっていいし、自分のために生きることをしたいって思ったんです。

そして、周りを安心させるために、 「元気だよ」と沢山の嘘をついてきたことを、家族に友達に大切な仲間に話しました。

散々泣き、苦しみ、痛かった数日間だけど、大切なことに気づかせてくれた本当に私にとって大切な人たち。それでも世界が続くならさん。

私の大好きな「参加賞」「弱者の行進」
ここにも自分より周りを大切にする優しい生徒さんが沢山います。そんな方に聞いてほしい。
もっと、自分の人生を生きてほしい。もっとわがままになっていい。

年末だからこそ、来年、素敵な年にするためにも、今年頑張ったみんなを讃える意味でも流してください!!校長!教頭!お願いします!!