表示件数
1

忘れるわけないよ、校長

今日をもってついに校長が退任ですね。
校長、私のスタートラインはあなたと同じ時期でした。
10年前に高校を自宅での療養生活を開始するために中退して、自分の人生を見失った時に校長が新校長として4月からSOLにやって来たんです。
最初は少し頼りない感じでしたが、常に生徒に誠実に向き合う姿勢は伝わって来てましたよ。

この人が立派な校長になる頃には私の病気も少しはよくなるのかな?校長と私、どちらが先に未来の鍵を握るのかな?といろいろと校長のパーソナリティとしての成長と障害者としての自分の成長をよく比較してました。

でも、校長が凄い勢いで成長していく姿は頼もしかったですが、私の成長はほんの「少し」。

実は昨年は障害者として自分を邁進させるために障害と向き合うために「教育入院」をしてました。
結局結果としてはあまり成長できませんでした。でも、心の中にある「核」はなんとか取り戻すことができたので、少しは自分を誉めてあげたいです。

何が言いたいかというと、校長は私にとって最強のライバルでしたよ。ずっと!!

あなたがいたから、私は成長することを放棄しないで今を生きてます。

とーやま校長、幸せになってください。
今まで本当にありがとうございました!

0

忘れるわけないよ、校長

今日をもってついに校長が退任ですね。
校長、私のスタートラインはあなたと同じ時期でした。
10年前に高校を自宅での療養生活を開始するために中退して、自分の人生を見失った時に校長が新校長として4月からSOLにやって来たんです。
最初は少し頼りない感じでしたが、常に生徒に誠実に向き合う姿勢は伝わって来てましたよ。

この人が立派な校長になる頃には私の病気も少しはよくなるのかな?校長と私、どちらが先に未来の鍵を握るのかな?といろいろと校長のパーソナリティとしての成長と障害者としての自分の成長をよく比較してました。

でも、校長が凄い勢いで成長していく姿は頼もしかったですが、私の成長はほんの「少し」。

実は昨年は障害者として自分を邁進させるために障害と向き合うために「教育入院」をしてました。
結局結果としてはあまり成長できませんでした。でも、心の中にある「核」はなんとか取り戻すことができたので、少しは自分を誉めてあげたいです。

何が言いたいかというと、校長は私にとって最強のライバルでしたよ。ずっと!!

あなたがいたから、私は成長することを放棄しないで今を生きてます。

とーやま校長、幸せになってください。
今まで本当にありがとうございました!

3
10

ごめんね。

昨日全てを捨てました。
大好きなわたしの命綱であったCD、沢山の友達やファンレターの返事などの手紙。本。
そして、ラインにメールにツイッター全てやめました。

全て捨てたら、心も捨てられると思った。
けど、そんなことなくて、
CDも携帯の中の音楽も無くなっても、頭の中には音楽が流れてくるし、いやでも友達の言葉やいろんな救ってくれた人たちの顔が浮かんで、
心を揺るがせました。

自分の人に危害を与えてしまいそうになる、心と、死にたいほど苦しい気持ちから、もう逃れたくて、
親から言われた「入院しよっか」って言葉とともに、病院へ行ったのですが、

精神科の先生から言われた言葉は
「親に迷惑かけないよう静かに家に入れるよね?家に帰りましょう」
「あなたは精神疾患ではなく、性格と人格の問題です。大人になりましょう」という言葉。

これまで三年間、いやもっと、うつ病、おかしいって言葉に縛られてきたのに今更、あなたは普通、甘えてるだけです。そんなん言われたって、気持ちはついていかないし、しんどくて、どうしようもないから、助けを求めてるのに、そう言われてしまうとやっぱりしんどくて。

でも、そういわれたから、もう普通に、毎日予定びっしりの生活を3月もしようって普通に戻ろうって思って、
バイトも行ったし、ラインも新しく作り直し、友達とも繋がり直しました。

ごめんねって言った私に、「ごめんじゃない、生きててくれてありがとうだよ」っていう周りの人。
そんな優しくしないでっておもう。
頑張らないとって思っちゃうじゃん、生きなきゃって、生きたいと思ってしまうじゃん。

いつまた、衝動がくるかはわからない。
けど、助けてくれる場所はもうない。
もともとない。
だから、立ち上がらないと。ちゃんと。

2

祖父との最期

土曜日の昼過ぎ、自分の祖父が長い闘病生活の末
天国へと旅たちました。

どうしようもないくらい涙が流れました。
祖母を除き、子供、孫の中で最後に会ったのは 自分でありました。

祖父の遺体は、その日は家へと帰りました。

自分も、その日は祖父母の家に泊まり
悲しさを紛らすように寝ました。

そして深夜、フワフワとした感じのまま廊下を通り、祖父が寝ている部屋を通ると、うーんと、そ祖父が上半身だけ、起き出してきました。
慌てて、祖父に近寄り
「起きたんね!?」
祖父は、笑顔で頷きました。
「ちょっと待っててな。お茶と飯でも持ってくるから。あ、ばぁちゃんも読んでくるから」
また、笑顔で頷き、自分はキッチンへと歩きだしました。

そして、次に気がついたのは深夜、布団の中。
「(あぁ、お茶とか出した後、また俺、寝ちゃったんやな。茶碗でも回収しないと。)」
そう信じて疑いませんでした。

そして、意識がしっかりした頃
「(ん?、じぃちゃんの寝てる部屋って、ばぁちゃんも寝てたよな…なんで、あの時ばぁちゃんの布団が無かった??)」
そう、夢だと気づいた時、涙が流れました。

今までだって、別れ際はいつだって笑顔でした。
おそらく祖父は、自分に何も言いませんでしたが、笑顔でお別れを言いに来たんでしょう。
その証拠に夢に見た祖父は、病気で痩せた顔ではなく、元気だった頃の、にこやかな顔でした。

4

それでも世界が続くなら。

ここ数日間の話をさせてください。

先週の水曜日、20日にこの学校にも来校されたことがある「それでも世界が続くなら」さんのライブに行って来ました。
このバンドを知ったのは今年で、ライブに行くのは初めてでした。

私は音楽が大好きだから、沢山のライブに行って来ました。でも、こんなにも心動かされ、疲れたライブは初めてでした。

私はつい先日、あるテレビで、自分の関わらせて頂いている不登校の活動が取り上げられたことで、本当に沢山の人から、「頑張ってるね、すごい。応援してるよ。あなたのやってることは影響力あるし、同じ立場の人は励まされると思う」と言われました。
ほんの少し、自分が存在していい理由を見つけた気でいたんです。

でも、それせかのライブでボーカルのしのさんは言いました。「生きてる意味なんて最初からない。良い人になる、社会貢献する、それって、悪いこととは言わないけど、生きる意味の答えになってるのか?」って。
私の溜めてた想いが全て溢れ出しました。

私は、中高時代、いじめられていました。そして、学校に行けなくなり、家や親戚の家に行くと、優秀な兄弟と比べられたことにより、私は、生きていてはいけない人間、不良品なんだと思うようになりました。だから、必死に周りに気を使い、役に立つ人になることが、生きてていい理由だったんです。

だけど、それせかの全力のライブを、そして、しのさんの言葉を聞いていたら、いや、違うんだって思えました。もっと、自分に正直であっていいし、自分のために生きることをしたいって思ったんです。

そして、周りを安心させるために、 「元気だよ」と沢山の嘘をついてきたことを、家族に友達に大切な仲間に話しました。

散々泣き、苦しみ、痛かった数日間だけど、大切なことに気づかせてくれた本当に私にとって大切な人たち。それでも世界が続くならさん。

私の大好きな「参加賞」「弱者の行進」
ここにも自分より周りを大切にする優しい生徒さんが沢山います。そんな方に聞いてほしい。
もっと、自分の人生を生きてほしい。もっとわがままになっていい。

年末だからこそ、来年、素敵な年にするためにも、今年頑張ったみんなを讃える意味でも流してください!!校長!教頭!お願いします!!