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薄情先生

この間道徳の授業がありました。
副読本があるのに、おはなしが書いてあるコピー用紙を渡されて、なんか変だな、と思っていたところ、ピンときました。担任の作文だったんです。

その話のあらすじ:
7年前担任だった子(当時15歳)がガンでした。闘病生活は辛いものでしたが、彼は一生懸命勉強しました。公立はダメでしたが、私立は合格。高校1年生になった年の5月に旅立ちました。そんな彼の夢はなんとミュージシャン。

担任、朗読中に泣き出しました。んで、私声は出してないけど、笑っちゃったんです。だってうちの担任、問題起こして校長室に呼ばれては言い逃れして、自分の間違い生徒に指摘されたら無視だし、「肩組め」って強制して「うちの子たちすごく仲良しなんです」って言って歩くような奴ですよ。笑っちゃうじゃないすか。
でも「感動したぁ…」って泣きそうな奴も居るわ「先生!僕が代わりに読みます!」とか言う奴も居るわ(その間担任は机に突っ伏。しかし息は聞こえず、肩も動いてない。顔を上げた瞬間、呼吸が荒くなる。)…いやいや、ただの良い人アピールでしょー⁈この話をスローペースちゃんにすると「ミステリーファン予備群」と診断された。よくわかんないけど綾辻行人にハマれだそうです。よくわかんないけど。

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愛とは

今日のテーマは「愛」だそうですが、厳密に言えば、むしろ「恋」ないし「恋愛」と言うべきでしょう。個人的にはこれはあくまで狭義の「愛」なのだと考えています。
「愛」は、どんな対象にも向けられます。人間でも動物でも、国や組織といった抽象的な概念さえも。そして、その気持ちさえあれば、周囲の物事を無償で、すべて同等に愛することもできます。
「恋」はそのうちで、多くの場合人間の異性に対する思いに用いられる言葉(これに当てはまらない人を非難・排斥する意図はありません)。そして、その相手はその中でもごく一部に限定されてきます。またそこには自ずと、自分の感情が関わらざるを得ません。
もちろん恋愛は、人間として自然なことであり、僕自身も持ちますが、個人的には前者の「愛」を重視したいと思っています。「愛する」とまではできなくとも、一つ一つのことに対する感謝や肯定の気持ちを持つことができれば、自分の気の持ち方も変わり、周りとのつき合い方もずっと良いものになると信じています。
自分でも、何が言いたいのかわからなくなってきましたが、自分と接するすべてに対して、最大限の愛を向けることができる者でありたい、僕の最終的な願いです。