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戻ってきました

中学生の頃、SOL聴いてました。
中1でラジカセをゲットして、ラジオを聴いてみたくて部屋でこっそりドキドキしながらラジオのスイッチを入れて聞こえてきたのが「起立!礼!叫べー!」でした。

掲示板に書き込むのは初めてです。あの頃はアドレスも持ってなかったので。
ラジオ番組はいくつか聴いていましたが、ダントツでSOLが大好きでした。

今は大学院生になりました。インターンで知り合った女の子ととても気が合うなと思っていたら彼女もSOLの元生徒でした。
インターンの後も繋がっていて、この前私の地元まで来る用事があったとき時間をつくってデートしてくれました。
そのときSOLの話もして、懐かしくなってその夜久しぶりに聴き、当時の自分を思い出したりしてエモさが爆発しました。

収入の良い企業に行きたくて大学院に進みましたが、勉強についていけず、研究のモチベーションも上がらず、本当にやりたい仕事を見つけたので通う気力もなくなってしまいました。そのせいもあって精神疾患にかかってしまい、春から休学します。

自分で決めた道なので卒業するのが一番だという思いはありますし、親にも申し訳ないですが精神的な面を考えればできれば退学したいです。先生は私のやりたい仕事に必要な学位ではないので無理して卒業する必要はないと言ってくださっています。しかし両親には大学院を卒業してほしいと言われています。

休学期間、精神疾患の治療をしながら私がやりたい仕事に対する思いがどれだけ強いのか両親に見せていきたいです。
SOLの生徒のみんなは持っているパワーが強くて、聴いていると元気をもらえます。
一回卒業した身ですが、もう一度入学させてください。そしてみんなと夢に向かって頑張っていきたいです。よろしくお願いします。

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進路、決断

3月中ずっと待ち続けていた、補欠合格から補欠が取れる日。
ずっとずっと待ってた。
でもいつまで経っても通知は来ない。どうやってどんな風に通知が来るのかも分からぬまま、ただ時間だけが過ぎていって。
今日、ついに決断を迫られた。先に合格を貰っていた第2志望の学校に書類を届けて、ユニフォームの採寸に今から行く。今は向かっている車の中。
正直もうちょっと待っていたい。期待したい。結果がくるかもしれない。そう思ってる。けど、お母さんは「大学の前期試験の合格発表が終わった後来なかったし、後期で受かる人はラッキーってほどのレベルだから、難しいよ」という。
確かにもし前期で大学に受かり蹴った人がいたら、ある人には合格通知が来ていたかもしれない。後期の発表後には蹴る人なんかいないかもしれない。それでも待ちたい。
お母さんは続けて「ひとつ合格出来たんだから良かったでしょ?学ぶ内容も同じなんだからいいじゃない」といった。学校を決める時、あれだけ距離とお金にうるさかった親が、だ。学ぶ内容が同じでも環境が違えばモチベーションも違ってくる。距離やお金がよりいい条件なら尚更。私があの学校にどうしても行きたい理由は他にもあるけど、両親がそうやって言って、私に勧めてきたのに結果がダメだった途端諦めろだなんてひど過ぎないか。
すごく悔しい。受からなかったことも、補欠から本当の合格を貰えなかったことも、親にこんなことを言われていることも。
だから正直今は第2志望の学校には通いたくない。自分で決めたかった。いつもこんなことばかりだ。期待なんかしなきゃ良かった。

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言葉の刃物

私は昔から目に見えないものを擬人化のようにある身近なものとして考えてたことが多かった。空や太陽を擬人化するみたいな感じで。
その中で今もずっと癖として残っているのが、言葉や音を刃物や他のもので例えること。
私は沢山言葉の刃物を見てきた。それを心臓や体に思いっきり刺されてきた。ブサブサグサグサって。その傷は10年以上前の傷でも未だに治っていない。
さっき、ある先生も言葉は刃物だと言った。マジョリティに流されて、知らないうちに言葉の刃物で人を何度も何度も刺してるって教えてくれた。
こんな先生学校にはいなかった。教えてくれなかった。なんで暴力や暴言がいけないことなのか、ちゃんと向き合って教えてくれる人なんかいなかった。だから、嬉しかった。教えてくれた人がいた。わかってくれていた人がいたんだって。
私も知らないうちに人を傷つけることはあった。絶対あった。気づいていなくても絶対そうだと思う。その証拠に知らず知らずのうちに傷ついた心が、私の中にあったから。
人ひとりがああやって必死に世の中に伝えたとしても、きっと数年、数ヶ月、数週間、数日、いや数時間で、人は変わる。きっと世の中はそんなことはなかったかのようにいつも通りに動く。でも、一瞬でも教えてもらえてよかった。わかってくれてよかった。私も自分を振り返ることが出来てよかった。
先生、ありがとう。先生はしなないよ。命は誰かの心に生きてる限りしなないんだよ。私は絶対忘れない。

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辛かったけどいい思い出

ここ3年間での辛かった思い出を思い出しながら書いています。
1番印象に残っているのは去年の秋に入院をしたことです。1週間という短い時間でしたが久々だったので苦しいのも、寂しいのも、辛いのも、感動も、沢山味わいました。1週間会ってないだけで恋しくなるほど大好きな幼なじみ、1週間会わなかっただけで泣きそうになった家族。久々に食べたお母さんが作るご飯…どれも私には大切なものなんだと再確認出来ました。そして、今出来ていることがどれも当たり前じゃないということを改めて思い知らされました。小学校の頃にも同じようなことがあったのですが、あの時よりは物凄く短い期間だったし、痛いことだってあの時に比べたら少なかったのにその時と同じくらい帰ってきたあとの1週間くらいはずっと色んなものが輝いて見えて、毎回感動していました。
そして、もうひとつ。すごく最近の話なのですが曾祖母が亡くなったことです。身内の不幸というものをあまり経験したことがなかったのもあり、全てのことが初めて見る光景で、しかもお葬式に来てもらう側なので、泣きたいけど泣けない、泣いてる暇もないという状況のまま全てのことに出席しました。記憶に新しいのもあるのですが、相当印象強く残っている出来事です。

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