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三毛猫

 いつものように作業着に着替え、部屋から出て階段を下りたら、三毛猫がいた。
 あー、三毛猫だー、と思ってしばしぼんやり見てたら。
 どこからか、きゃーっという叫び声がした。
 ああそういえば今日は日曜日だったと気づいて部屋に戻った。
 
 夕刻、空腹を覚え、中華料理店へ。
 厨房に、明らかに中国人とわかる男が三人。ホールに、女の店員が二人。一人は、茶色い髪の巨乳。もう一人は銀縁の薄いフレームのメガネをかけた黒髪の背の高い美人。カウンター席に案内される。
 隣のじいさんがやたらとからんでくる。客がはけてきてカウンター席に俺とじいさんだけになったタイミングで美人店員が訛りのない日本語で、奥の席に移りますかと言ってきたが、いや大丈夫だとこたえた。厨房では中国語でやりとりをしていたので、おや、と思い、紹興酒のロックを追加注文したときに、中国語上手だね、と言ってみたら、笑って、中国人です、と言った。
 バイト終わりは一一時だと言った。近くのバーで待ち合わせることに。
「日本に知り合いもなく一人なんて、寂しくないのか?」
 彼女は笑って言った。
「寂しいというのは感情です。人間だったら感情ではなく心を持たなくては」
 そうか。そうだな。

「お客様、起きてくださーい。閉店です」
 目を開けると、メガネ美女が俺の顔をのぞき込んでいた。俺は、ああ、すまん、と言って顔をこすった。俺の顔は、潤いがなく、かさかさしていた。
 スマホのカメラで顔を見てみようかと思ったがやめた。どうあがいても、きゃーっという叫び声からは逃れられないからだ。

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先輩

 いくら自然が好きだといっても鬱蒼としたジャングルのなかに身を置きたい人間はいない。
 現代人が最も好むのは人間のコントロール下にある自然。つまり人工的な自然なのだ。
 田舎の山奥によくある緑のなかにぽつんとたたずむ廃墟と化したドライブイン。こうした人工物がなぜ普通の人工物より悲しく感じられるかというと──もちろん自然とのコントラストから来る視覚的インパクトのせいもあるが──人は自然との競合に負けてしまうということを象徴しているからである。
 そんな人間も自然の一部なわけだが、一般的には自然と人間は分けて考えられている。もちろんこれは単なる定義の問題だ。何をもって人は自然を自然と認識するのか。いや、ばかばかしい問題提起だ。結論から言うと人間は自然のヒエラルキーの最下位にある。適当なピラミッドを即席で描いてみると、トップに来るのが気象、地殻変動、次が植物、次が人間以外の動物か、これは地球の誕生からの歴史を当てはめているわけではない。人間が畏怖する順のヒエラルキーだ。バクテリアを畏怖する人間はそうはいない。人間が自然と日常的に意識しているのは自然の先輩のことなのだ。
 いちいち先輩づらするしょうもないやからに辟易している人もこの時期多いかと思うが、先輩づらされたときは思い出してほしい。どうあがいても自然という先輩にかなう奴はいないのだということを。