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私の不登校記「どっちでもいいよ」

不登校のとき、というか、学校に行ったりいかなかったりで『健康優良児ではないが、不登校でもない』というような微妙な状態だったとき。
休むのか、行くのか、遅刻するのか。早退するのかしないのか。そういう決断を迫られることが多々ありました。
そういう時、決まって「どっちでもいいよ」と優しく言われました。
そう言っている大人たちとしては、『学校に参加できるならしてほしいし、でも休んじゃって構わないよ』という意味を込めていて、実質8割休んで良かったんだと思います。

でも、今になって思うのは、いっそ有無を言わさず休ませて欲しかったな、ということなんです。

辛い時に、決断を迫られる『これからどうするか考えないといけない状態』はすごくエネルギーを消耗します。それが例え1分先のことなんだとしても。
それに、『学校に行っていない/参加できない』自分がすごく悪い奴なんだと思うことも多々あります。加えて、苦しい渦中にいる時は、仕方のないことだと割り切るのも難しい。だから、どうしても『行かないといけないor行きたくない』で悩むことになります。

ここで苦しむのが本当に辛い。

だから「休んで」って言ってほしいんです。
むしろ強めに「休め」と言ってほしい。自分の中に『学校に行かないといけない』という強迫めいた考え方がずっと棲んでいるから。

そんな私の不登校記「どっちでもいいよ」編でした。

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