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私の不登校記「どっちでもいいよ」

不登校のとき、というか、学校に行ったりいかなかったりで『健康優良児ではないが、不登校でもない』というような微妙な状態だったとき。
休むのか、行くのか、遅刻するのか。早退するのかしないのか。そういう決断を迫られることが多々ありました。
そういう時、決まって「どっちでもいいよ」と優しく言われました。
そう言っている大人たちとしては、『学校に参加できるならしてほしいし、でも休んじゃって構わないよ』という意味を込めていて、実質8割休んで良かったんだと思います。

でも、今になって思うのは、いっそ有無を言わさず休ませて欲しかったな、ということなんです。

辛い時に、決断を迫られる『これからどうするか考えないといけない状態』はすごくエネルギーを消耗します。それが例え1分先のことなんだとしても。
それに、『学校に行っていない/参加できない』自分がすごく悪い奴なんだと思うことも多々あります。加えて、苦しい渦中にいる時は、仕方のないことだと割り切るのも難しい。だから、どうしても『行かないといけないor行きたくない』で悩むことになります。

ここで苦しむのが本当に辛い。

だから「休んで」って言ってほしいんです。
むしろ強めに「休め」と言ってほしい。自分の中に『学校に行かないといけない』という強迫めいた考え方がずっと棲んでいるから。

そんな私の不登校記「どっちでもいいよ」編でした。

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さっきの続き

母が私に求めているのは「普通であること」だということはわかっています。ここで言う“普通”は、恐らく母の主観に合った“普通”です。
母は私自身のことには関心がありません。あの人が何よりも気にしているのは世間体です。だから私は普通である必要があります。でも今の私は、恐らく母にとっては普通ではありません。
冬季講習については詳しい話は割愛しますが、通常授業とは訳が違い、とにかく行きたくありません。今この状態で行けるとも思えません。でも10月から11月の間に模試も学力診断テストも学校の定期テストも全て点数が大幅に下がっているため、講習にいかないわけにはいきません。先日母に行きたくないと言ったときも、少し正論をぶつけられただけで覚悟もないのに「行く」と言ってしまいました。そのため、今更やっぱり行けないとも言えません。
この時、母は寝る直前で布団に入っていたのですが、起き上がることもなく、スマホでゲームをしていました。以前からわかっていたことではありますが母が私に無関心であることを痛感し、私は考えただけでも呼吸が荒くなり苦しくなるのに母にとってはその程度なんだと思いました。でも、それもそのはずです。こんな出来損ないの失敗作みたいな奴と向き合おうなんて、自分でも思いません。もう少し真剣に考えてほしいと思うのは、私のわがままなんだと今更ながら気がつきました。
だけどやっぱり、講習には行きたくありません。学校なら保健室に逃げることも不可能ではありませんが、塾ではそれができません。言うなら今日しかないのですが、またすぐに折れてしまいそうで怖いです。
よく、自分はどうしてこうなのかと思います。以前から自分のことはあまり好きではありませんでしたが、最近は日に日にその思いが強くなっている気がします。
弱い自分にイライラして、人に迷惑をかけてばかりいる自分に腹がたって、楽しみたいことも楽しめなくなって、笑い方もわからなくなって、大好きな人たちの顔を観るのも、声を聴くのも苦しくて、とにかく申し訳なくて、2年前はあの人たちに救われたのに、どうしてこうなっちゃったんだろうって。だけどやっぱり、離れられなくて。離れたくなくて。

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「助けて」って叫びたい…

長くなると思うので分けて書きます。
私は現在、不登校です。厳密に言うと欠席日数はまだそこまで達していないと思うので不登校とは言えないかもしれませんが、先週から学校に行っていません。
10月半ば頃から些細なことをきっかけに人(特に同級生)が怖くなり、気がつけば学校に行きたくないと思うようになっていたのですが、それでもほとんど毎日通っていました(数日サボりましたが)。
ところが、先週からなぜか突然その思いが強くなり、学校に行かなくなりました。それからというもの、毎日自己嫌悪と罪悪感に押し潰されそうになっています。
今は塾に行くのも嫌だと思うようになり、人に会うのも嫌だと思うことさえあります。
そして、明日は学校での三者懇談があり、塾では冬期講習が始まります。正直、どちらも行きたくないです。
三者懇談では通知表を渡され、進路についての話をされることは確実と言えるでしょうし、学校を休み続けていることについても何を言われるかわかりません。担任にも会いたくないです。学校という場所にも行きたくありません。それに何より、今は進路の話をしたくありません。併願校を決めないといけないということはわかっているのですが、そもそも今この状態で仮に全日制の高校に受かったとしてもちゃんと通えるのかという不安もあります。でも通信制の高校に通うという選択肢は私にはないということもわかっています。
今のように学校に行かなくなる少し前に、もう限界に近いと思ったので2学期は終業式の日までちゃんと通うつもりで、3学期は学力診断テストがある日以外は休みたいと母に言いました。すると母は、欠席日数が多いと高校に入った時に理由を聞かれるけどそれでもいいのかと私に尋ねました。私はそれを「ちゃんと通え」と言われているように感じてしまい、「じゃあ行く」としか言えませんでした。だからきっと、3学期になるとまた学校に通うことになると思います。そう思うと、得体の知れない不安と恐怖に襲われます。

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気になって調べて思った

人間 人
この二つの言葉は同じようで示すものが違うみたい
ざっくりいうと
人間は 人と人が関係し合って出来てる人間社会
人は 人間の中にある本能のようなもの
つまり本当の自分は人である自分
人間の自分は作り物ってことでいいと思う

人間は多分人間社会で生きていくために僕らが知らない間に着せられた鎧みたいな物だと思う
社会常識とかいうその他の色んなものはきっと僕らを人間にするための鎧

本音と建前
っていう本音にあたるのが人で
建前は人間 という解釈をした
多分日本人なのか世界中なのか分からないけど
個人的には日本は建前全面の世の中な気がしてる
つまり人間が全面に出てる社会
だから本音を見失う 人である自分を見失う
ような気がする

どう生きようかな?
どう生きればいいのかな?
この二つの悩みは同じようで違うと思ってて
どう生きようかなは主導権は自分にあるきっと人としての悩み だからこの悩みに染まることは全然健全だとおもう
でも どう生きればいいか?
この悩みって人間としての悩みで
この悩みで溢れた時 多分人は壊れるんじゃないかなと思う
だからどう生きようか 主導権は自分のまま
人として悩み抜くことが多分幸せに向かっていくことになるんだと思う

だだ今の人間社会は 人であると異物とみなされる
周りが人間なのにお前だけ人なのはなぜ?
というような無言のメッセージが送られているようだ

そしてこんな風に他人が気になるのは人としての自分と人間としての自分の境界線を見失ってるようにも思える