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3.11

僕は震災の日は秋田県にいました。
当時は、一つ下の階の友達の家で遊んでいたところでした。
テレビはミヤネ屋を付けており、今時のガキンチョっぽくリビングらしきところにあったソファーをトランポリン代わりにして遊んでいた記憶があります。
断水はなかったものの、停電が起こったため水がタンクから蛇口までは電気がないと送られてこない仕組みであったことから僕の母親が地上の蛇口まで給水をしに行くために1Fから4Fまで何度も往復をしていたというお話を聞いたこともあります。
また、母親の実家が太平洋側に位置しており、地震も僕が住んでいた場所よりもとてもひどかったそうです。また、祖父がその都度くる余震に吐きそうになったという話をしてくれたことも覚えています。
自分がちょうど高校受験をするときにもがっつり地震がきたのですが、その時が自分が記憶している中で1番強かった覚えがあり、その後起こったちょろっとした地震が連鎖したことで、少し気分が悪くなりました。祖父が言っていたことは、まさにこの事なんだなとも思いましたし、改めて自身の脅威を知った瞬間でもあります。
そして昨年お世話になっているNPO法人で、宮城から福島の沿岸部にかけて震災関連の学習をしてきました。
実際に沿岸部の市や町を訪問してみて、過去に自分が新聞で見てきた光景よりを遥かに上回るほど街が発展しており、震災がなかったものではないかと思わせています。
このような出来事があったということは絶対に後世に伝えていかなければならないものだと僕は思いました。

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”スクールオブロックの生徒”という看板を下ろす時期

昨日の授業で”卒業”という言葉が大きく印象に残ったのではないかと思います。
僕は2週間後に大台の20になります。スクールオブロックのコンセプトは”未来のカギを握るラジオの中の学校”でもあり、それは10代に向けてのピースでもあるようなものだと感じています。
自分でいうのもなんか違うと思うので、ここから先は興味を持った人が読んでもらえればなと思っています。
個人的な話ではありますが、20となるとやっぱり社会人の自覚を思わせるようなことがいっぱいあるような気がします。それはどんなお仕事に就くのか、どんな人と結婚をするのか、どんな生活を送るのか。それは人によってさまざまなものだと思います。
どうしても”未来のカギを握るラジオの中の学校”というと、その道を模索し続ける人もいれば、もう見つかったけど、校長・教頭を含めた教師陣になにかしらの御恩があってずっと聞いているという人もいるかと思ったなかで、自分はもう社会人の手前まで来ているんだから鍵なんか見つけないとやばいのではないかと少し焦りも感じています。
僕はやっぱりこのラジオが好きで聞いているところも多いです。
でもいつかは卒業しないと、自分に成長という面でブーストがかからないのではないかと危惧しているところもあります。
こればっかりは難しい話でもあった中で、先日の授業を通して、改めて”卒業”という文字を意識させられた気がしました。

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