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口は災いの元?行動は災いの元?

私は高校3年生の受験生だった時、憧れで目指していた研究者の祖父の末期がんが9月に発覚しました。
日々元気に自身の仕事である研究に80を超えても必死に向き合っていた祖父に死の危機が迫っていることを私も含め家族皆、日々悲しみに暮れていたものの、祖父は諦めず、自身を治してくれる医師を探し続けていました。しかし探している間に祖父の病状は悪化し寝たきりになりました。「おじいちゃん、大丈夫?」というメールを送った私に返してくれたメールには「ワシのことはいいから自分のことを心配しなさい」と書いてあり、それが祖父からの最後のメール、最後の言葉になりました。自分が一番辛いのに孫の受験のことを最後まで心配してくれて祖父に自分は何をしてあげられたのだろう、とこれまでの祖父への我儘な行動や勉強に真面目に取り組まず心配ばかりかけていたこと、そんな私に厳しく怒ってくれた祖父へのひどい言葉の数々に対し、深く後悔しました。しかしながらこれをきっかけに、天国にいる祖父をがっかりさせたくない、目をかけて育てて良かったと思ってもらえるようにと、自分自身が最も楽しい、やりたいと思える選択を取れるようになり、この経験は私に大きな力を与えてくれたと今では良い経験だったと思っています。口や行動による災い、後悔が生じたとしても、それをきっかけに自分がどう変わる、変われるかが大事なのだと、あれから10年ほどたった今でもひしひしと感じています。

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私だけが頑張ってるわけじゃないのに

私は高校生になったら一生懸命部活をすることに憧れていました。理由はスポ根なストーリーが好きなことや、コロナで中学生時代思う存分部活ができなかったからです。
ただ、今の部活は人数が足りず、先輩が引退してから合同チームじゃないと試合に出ることができません。そして、人数が少ないので練習も変わったメニューをすることができません。
さらに、私は部活動紹介のとき、ストーリー仕立てのムービーを全部ひとりでつくりましたが、その時期に怪我や体調不良で休んでいたメンバーはほぼ何もしてくれず、一番練習に出ていた私が作製を頑張った結果風邪を引いてしまいました。
今日もゴールデンウィークに練習試合がある日を言われたのですが、もともとその日部活があるかどうか未定と言われていたにも関わらず、予定を入れた人がいて、私は未定でも例年どうり練習試合になるかもと思い予定を入れていなかったので、私だけが頑張っているような気がしてすごく悲しくなりました。
おとついもキャプテンと副キャプテンの責任感のなさにがっかりして涙目になりながらランニングのメニューをしていたところです。
だから最近は違う部活に入ればよかったと思ってしまうし、部活内で怒ってしまうこともあります。
あと一ヶ月ほどで引退なので気持ちよく活動したいのに「私だけが頑張ってる」と思い込んでしまう瞬間があります。
どうすればいいでしょうか。