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なんだろう

正直5年前のことは毎年3月11日にならないと、この日にならないと本当には思い出さない。
本当のこというと、当時わたしは小学6年生で卒業目前だったから5年も経つと鮮明には思い出せない。失礼かもしれないけど…
忘れちゃいけない、とか東京に住んでいて、震災に直接遭ってないわたしが言っていいのか思っていいのかわからない。
ただ、受験が終わって大学生になったら東北に行きたいと思った。何するでもないけど、行きたい。気分悪くしたらごめんなさい。でも綺麗事じゃなくて、絶対に行く。

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使命

2011.3.11。あれから5年。その日、当たり前だった日常が消えた。音、光、そして命が・・・

今も仮設住宅に住み、モニタリングポストの数値を気にしながら生活している方がたくさんいる。

この5年で一歩ずつだけど「土地の復興」は進んでる、けれども心の時計は止まったまま。


僕は思う。

「被災地」は東北3県を指すんじゃない、そこに住む人々の、そしてこの国、この世界に住む人々の心なんだと。

皆が笑って生きられる、そして心の時計が再び進みだした時、本当の「復興」が成し遂げられるんだと。


あの日起きたことは他人ごとなんかじゃない。自分たちの”家”で、”庭”で起きたことなのだ。


授かった命を無駄にすることなく、今日を生きられなかった人たちの分まで、

今日という日を迎えられた喜びを噛み締めて生きる。

それが僕たちにできる、一番大切なことなんだ。

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卒業!!

明日は卒業式があります。
3年間、いろんなことがありました。
楽しいときもあれば、学校に行きたくないと毎日思っていた時期もありました。
それでも、友達に支えられ、最後はちゃんと楽しんで学校生活を送ることができました。
そんな友達に感謝して、15年間支えつづけてくれた親にも感謝して、立派な姿をみせたいと思います。
今ではこのクラスでよかったと思っていて、ばらばらになるのが少し名残惜しいですが、私は明日、卒業してきます!!!

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東日本大震災。あの日から5年。慌ただしく、あっという間に過ぎていった5年の日々。すべてをうしなって0どころかマイナスからスタートした震災後の生活。泥だらけの道、誰かのトロフィー、フェンスを乗り越えて水没した我が家の車。見たくなかった誰かの腕、脚。集るハエ。落ちている鞄を拾っては中身を見て捨てていく人。食べるものもなく、どこで物資の配布をしているのかもわからず、ただひたすらに生きようとしてたあの日。真っ暗なはずの夜に真っ赤に燃える街。山。全てに絶望していたあのとき。それでも、なんとかして生きて、生きて。5年前のことなのに鮮明に覚えている。これからもきっとずっと忘れない。会えなくなってしまった人のためにも。絶対に風化させない。これからもずっと地元で生きていく者として、復興に携わっていきたい。




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5年前

僕はあの時11歳、小学5年生でした。
まだ授業中にも関わらず担任の先生が怖い顔をしてテレビを見せてくれたことを覚えています。地震によってビルの壁が剥がれ落ちるところや津波が容赦なく家を飲み込む映像は小さいながらとても衝撃を受けました。
それから千葉のコンビナートの爆発や、福島の原発事故など、ただ見ているだけしかできませんでした。
高校生になった今は学校の行事の一つとして、被災者が作られた商品を岡山で売り、そのお金を復興支援に役立ててもらう活動をしています。5年経った今でもほとんど復興が進んでいない中で少しでも勇気を持ってもらえるような活動をしていきたいです。

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卒業

本日、中学校を卒業して参りました!
長かったようであっという間だった義務教育も終了です。
今日卒業できることはとても幸せなことだと思います。高校生なってもその気持ちを忘れないで頑張ります。

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5年目ですね。

私は当時、小学四年生で、海に面している街に住んでいました。
津波で港の船は流され、沖の工場の中は空っぽ。
鳴り止まないサイレン。
止まらない余震。
本当に怖かった。
その年に今住んでる街に転校して、友達に震災のことを聞いてみたら、
(海に面してない街だから)津波はなかったけど、いろんなものが倒れてきて怖かった
って言ってた。
被害受けても受けてなくても、みんな怖いものです。

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入試終了

今日一般入試が終わった!!
昨日が学力試験、今日が面接でした。
面接はまあまあできたと思うけどテストが...笑
もうあとは神様に祈るのみ !!!!

これで中学校の行事も残すは卒業式のみか...
いろいろあったけどあっという間だったな
思い残すことはないようやりきって卒業しよう

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受験終わった‼︎

公立受験終わった〜‼️
勉強から開放されたと思うとチョーウレシ〜!
合格しますよーに!

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不安

兄が昨日入試を終えました。
私も来年入試があります。親は私の行きたい高校を反対します。自分の行きたい高校に行かないなら受験なんてしたくない。

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あの日から5年。

今日であの災害から、5年。
自分は地震があったときには学校でふつうに授業をうけていました。
家に帰るまでは何も知らず、テレビをつけたときのしょうげきは今までに経験したことのないものだったと覚えています
大変なとこが、この日本で起きているんだと、思い自分もなんとかしたいと思いながらもまったく今までなにもできずにいる自分。
いまでもなんとかしないといけないといつも考えてるけど、なにもできずにいます。
でも、最近こう思い出しました。
毎日を大切に生きることが一番大切なんだと。
まだ、僕の力では、世界を変えることはできないから自分が持っているたったひとつのいのちを大切に生きようと思います。

これが五年たってようやくたどりついた答えです


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東日本大震災から5年

午後2時46分、後期試験の下見の帰りの電車で1人黙祷してました。黙祷中に、親や中学、高校の仲間、そして好きな人への感謝を込めました。テレビは震災のことばかり。
Twitterのとあるツイートに、「過去のことを振り返りすぎや。もっとこの先の復興のことを伝えろよ」というツイートを見ました。最初は、確かにそうやなと思ったけど、本当にそうなのかと思います。過去を振り返らないと、その後の教訓として伝えられないし、きっと起こりうる南海トラフの巨大地震に活かせるはず。
とにかく今日は、被災地を思いながら過ごしそうです。

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入試が終わりました

今日、僕の受ける高校の入学試験全ての日程が終了しました。
愛知県は他の都道府県より入試の仕組みがややこしいらしく、公立高校も2校受けれるんです。あと、問題もトップクラスの難易度らしく、僕も今年に入ってから勉強漬けでした。
なので今週は一週間ずっとテストと面接続きで、一週間ずっと緊張してないといけなかったので、精神的に全然だいじょばなかったです(笑)

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難しい

原発は危険だからと今も反対のデモを行っている人がいる。原発は地域の活性化には重要なのだと原発のある県の人は話す。これまで私は活性化に必要なことはわかっているけど、危険なことに変わりはないから停止するべきという意見を持っていた。しかし先日読んだ新聞に原発のある地域の人は地域の活性化という理由だけでなく原発を否定されると原発を容認した私たちそのものも否定されることになるという意見もあるという記事を読んで驚いた。そこまで考えが及んでいなかったから今は自分の意見として確固たるものがない状態だ。最近は再生可能エネルギーが出てきている。しかしじゃあこれを原発のあった地域に設置すれば地域の活性化に繋がるのか。この原発の問題は意見の主張だけでなく相手の意見をしっかり理解してわかりあってから一つの決断にもっていくことが大事なのだと思う。

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荷物がおろせた

今日でちゃんと退部しました。
気分は複雑ですが、一番はスッキリしました。
放課後になにもないことに慣れていなく戸惑う部分もありますが、頭を切り替えて勉強に励みたいです。
思い返すと色々あった二年間だったなぁ…
ある意味自分らしい終わり方かもしれません。

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あの日から5年。小学6年生で卒業式の練習に勤しんでたあの日。今でもあの日見たテレビの映像は忘れられません。私は1年に一度、この時期だけ震災のことを思い出して忘れてはいけないと思っている自分に時々疑問を感じます。最近では津波の映像がテレビで流れる時に視聴するか説明がされるようになりました。それほど、人々の心に大きな傷を残した震災に自分はどこか他人事のように感じている自分がいます。そんな自分が嫌なのも今の私です。
私は今看護学生をしています。看護師を志した理由は岡山県ではたくさん病院がありますが、東北には病院がとても少ないと聞いたことがきっかけです。また、あの日けが人に対して医療従事者の数が全く足りなかったことを聞いたからです。自分が看護師になることでなにかが変わるとは思えません。でも、今自分のできることを全力でやっていきたいと思います。

最後にこの震災で被害にあったすべての人々にご冥福をお祈りします。

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初書き込みです!!

初めまして!麻呂ノールです!
4,5年前から聴いていたのですが、やっとパソコンを手に入れ、
書き込むことができました!!
よろしくお願いします!

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5年目を迎えて

今日で東日本大震災から5年目を迎えました。被災者達はあの深く痛ましい傷を癒す事が出来たのでしょうか。被災地の復興を叫んでいるけど、課題はまだ山積みです。津波によって失われた場所がどのようになるかは楽しみであります。しかし、かつての光景が失われてしまうのが寂しい事であり怖い事でもあります。俺たちは前へと進みます。前へ進む事は怖い事ではありません。

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不安...

明日からオーストラリアに短期研修に行ってきます。何ヶ月も前から勉強してきましたが、外国は初めてなので不安でたまりません。応援や海外での生活のアドバイスなどしてくださるととても嬉しいです。

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黙祷するだけで

黙祷するだけで偽善者扱いされるとは正直思ってなかった。偽善と騒ぎ立てる輩は何がしたいのだろうか?大勢の人たちが亡くなったこの時間に逆に何をしていたのか。Twitterのトレンドに偽善者と出ていた事に心を痛めています。

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震災

5年前の今日、私は小学5年生でした。ちょうど音楽のリコーダーのテストをしていたところでした。急に揺れ始め、変な揺れかたで少し気分が悪くなりました。でも東北の方々はこんなものでは無かったのだと思います。友達に仙台の人がいますが、その人も時計が落ちてきたり、とても怖かったと振り返っていました。また、北海道にはとまり原発がありますが、福島第1原発のように半径50㎞が立ち入り禁止区域になったら自分の家も含まれてしまうと気づき、正直、初めて原発の怖さや身近さがわかりました。復興には時間がかかると思いますが、これからも同じ日本人として共に頑張っていこうと思います。1日でも早く復興が出来ることを心から祈っています。

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もっと大事なことあるだろ

黙祷なうって言う人もそんなこというなと言う人もこんな日に○○しては不謹慎だとか‥。もっとそういうことを言う前に自分ができることあるだろ。私は今日という日を今からもさりに勉強とかテレビみるとかして楽しみ考え有意義に過ごすよ。

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今思うこと

震災から今日で5年。自分の住んでいた地元の秋田でも停電し電気のない生活を経験しました。電気が戻ってテレビに映された映像は今まで見たことのないものでした。BUMPLOCKSで藤原先生がガラスのブルースを歌ってく、チャボべLOCKSであっこ先生が泣いていたのも覚えています。きっとまだ復興は進んでいないのが現状なんじゃないかと思います。今年こそは自分でボランティアなどよ行動に起こせたらと思っています。

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最後の金曜日、青春の1ページ。

来週の月曜日中学校を卒業します。
今日学校祭と三学期の終わりに書いている黒板に絵を書く文化?をやってきました。
いつもの黒板には卒業おめでとうの文字。
バカやってる時間も今日食べた給食も今日で終わり。3年間は速すぎたな。
来週、笑って(無理かな、号泣だ。)卒業してきます。

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ラジオ

あの日、俺を支えてくれたのは、ラジオ。まだ携帯も持っていなかったからradikoなんてないけど、入りの悪いラジオを聴きながら被害の状況を知ったっけなー。

テレビよりもあの日は、ラジオが心を落ち着かせてくれた( ´,_ゝ`)

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RADWIMPS先生からのメッセージだと思って。

春灯 今年もこの季節なんだなって思いました。

何気なくとなりにいる友達。
喧嘩したりすることもあるけど、改めて大切だと思いました。

当たり前のように一緒にいる家族。
強くいってしまったり、ぶつかったりしてしまうこともあるけど、
ただ一緒にいることのありがたさがわかりました。

震災から5年。
毎日「普通」の生活が送れるわけじゃない。
あの日も、街はジオラマのように一瞬で壊れてしまった。
私が住んでいるこの街も、いつどうなるかわからない。
いつも支えてくれるあの人が、いついなくなってしまうかわからない。

テレビは震災のことばっかりで、つまらないって思う人はいると思う。
でも他人事だと思わないで。

今なら言える。野田先生の声聞こえました。
いつも一緒にいてくれる、
友達・家族・先生・生徒のみなさん・校長教頭・職員のみなさん
いつもありがとうございます。大好きです。

家族・友達にも伝えよう。
少し恥ずかしいけど、「いつもありがとう」って。

ありがとう野田先生。
ありがとうRADWIMPS。
だいすきです。

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5年前

高校受験を終えて家に帰りテレビをつけるとものすごい津波の映像だった。ただただその映像に驚いて地震の怖さを知った。知り合いがいるわけではないけど、同じsol の生徒である東北の人たちのことを考えた。
毎日なにごともなく生活できることが、自分がとてもありがたい環境にいることを実感させられる。

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5年

東日本大震災から5年
長いと感じるか短いと感じるかそれは人それぞれだと思う。
ただ起こったことを忘れてはいけない。
今も避難している人がいる、昔のように生活できていない人がいる、先が見えていない人がいることを。
今私がこうやって毎日学校に行き授業を受け、自分の好きな部活をとことん出来ていることに感謝をしないといけない。


私が出来ることはちっぽけだけれど出来ることは何でもやっていきたい。
そして、同じことを繰り返さない様にしないといけない。
南海トラフの大地震、1人でも多くの人が生き残るために、1人も被害が出ないようにするにはみんなで真剣になって考えていかないといけない。


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5年

東日本大震災から5年。震災は多くの人々の命を奪いました。また、今もなお原発事故の影響で故郷に帰ることができない方々がたくさんいます。私の住む地域では、幸い被害は大きくなりませんでした。ですが、あの長い長い大きな揺れは今でもよみがえります。本当に怖かった。水が止まってしまったことは辛かった。寒いなか5時間並んだ。早く早くと怒りながら割り込んで来る人もいた。お風呂だって入れない。トイレも流れない。出てくるのは泥水。本当に悲しかった。忘れてはいけない。絶対に。被害にあわれたすべての皆様にご冥福をお祈り申し上げます。

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14時46分。

今日の14時46分は、7限の授業でした。SGHのプログラムで、学年全員が揃っていたので、黙祷を捧げさせてもらいました。今まで、学校で全員で黙祷を捧げるなんてなかったので、5年という節目にできたことが私にとって、とても有意義なものでした。
また、今日は日番でした。それは同時に、日誌を書く、ということです。日誌には、昨日の生放送授業のことを書きました。3.11を忘れないために、私の思いの丈を書きました。昨日の掲示板にも投稿したように今まであの日から逃げていた私が、少しではありますが、向き合っていくことができています。これも昨日の授業や、「未来新聞」、掲示板に投稿してくれたみなさんのおかげです。ありがとう。
これから、秦基博先生のライブに行ってきます。今日という日に、楽しみがあることに感謝です。2016年3月11日は、私にとって特別な1日です。