東日本大震災から9年。
小1の私が見たのはテレビに映る悲惨な映像。
津波。
地震発生時の映像。
気味の悪いサイレンの音。
私は佐賀に住んでて、実際に体験した訳では無い。でも、これだけ記憶に残っている。
東日本に住んでいた人がどれだけ辛かっただろう、想像するだけで胸が苦しくなる。
どれだけ年月が経っても、心の傷は癒えない。
私に出来ることは、この日を絶対に忘れないこと。
東日本大震災、忘れてはいけません。
当時、小学2年生でした。地震が起きたという実感はありませんでした。
私が中2の時鳥取県でも地震が起きました。その時はじめて大きな地震が本当に起こることを知りました。
でもそれではダメです。ここは大丈夫だろうと思っているといざという時にどうにも出来ません。
東日本大震災のことを地震を経験した人もしてない人にも伝えて常日頃から意識をしていく必要があると思います。
皆さんより年上ですが書き込みします。
私が震災の考え方を変えるきっかけをくれたのはやしろ初代教頭の言葉でした。
9年前、私は高校2年生でした。テスト期間中だった事もあり自宅でテレビを見ていました。
すると、ニュースで「スタジオが揺れています。」というのを聞いて「地震か?大きいな」とは思ったもののあまり気にも留めていませんでした。
しかし、次々とテレビから流れてくる映像に福岡に住んでいる私は、「これは本当に日本で起きている事なのか?どこか違う国で起きている事なのではないか?」と思ってしまいました。
震災後、最初のスクールオブロックの放送の最後の黒板でやしろ教頭が「昔、ラジオで無意味に悲しい事をしちゃいけないと言われたことがあるが言わないと一度も思わないままかもしれないから言うけれどこの学校の生徒がもし、亡くなってしまって「僕は死んでしまいました。」と掲示板に書き込むことは出来ないからみんなずっと覚えてろとは言わないけれど夜が来たらたまにでもいいから思い浮かべてほしい。」と言う言葉を聞いて震災を身近に感じ考えるきっかけになりました。
この時期になると思い出す言葉です。涙を流しながらやしろ教頭が伝えてくれた言葉です。
この言葉が無ければ震災を身近に感じたり考える事もなかったと思っています。
長くなってしまいすみません。
9年前の今日、当時小学1年生だった私を悪夢が襲った。
いつも通り掃除をしてたら、急に大きな揺れを感じた。
教室の明かりは消え、机や照明はガタガタ音を立てる。
今まで経験したことない事態に、思考回路が停止した。
電気は付かず、水道から水も出ない。
ガスが使えず料理も出来ない家もあった。
私たちが日常どんなに身の回りのものに頼っていたかを
思い知らされた。
父は仕事で福島に行っており、1週間は帰って来なかった。
久しぶりに見れたとき、顔は髭だらけで正気を失っていた
気がする。
9年経った今も、あの日の恐怖を忘れることはない。
私は宮城に住んでいることもあり、定期的に家族で
被災地を訪れている。
先日も南三陸に行ってきたが、新しい商店街が出来た
裏には、未だに建物の骨組みのみが残っていた。
私は思う。
人々が思っているより、復興は進んでいない。
表向きでは、新たな建物が出来て、少しずつ街に人が
戻ってきて、活気に溢れているかもしれない。
しかし、それはほんの1部に過ぎないのだ。
福島には、まだ住んでいた場所に戻れていない人は
たくさんいる。
震災による風評被害も、完全になくなった訳ではない。
だからこそ、知ってほしい。
今はコロナのこともあるから強くは言えないけど、
1度でいい。
被災地を訪れて、自分のその目で確かめてほしい。
ニュースやネット、写真で見るより、それが1番みんなに
この状況を理解してもらえる方法だと思うから。
そして、支援を続けてほしい。
少しの募金でもいい。
被災地のものを買うでもいい。
訪れることもこの中に入るかもしれない。
東日本大震災は、たくさんのものを奪った。
しかし、それによって映し出された人々の優しさもある。
みんなには、そのことを決して忘れてほしくない。
2020.3.11
忘れてはいけないし、風化させてはいけない。
絶対に。
あの日は鮮明に覚えています。
小1で学校から帰ってきたところで揺れ始めた。
経験したことない大きい揺れからすぐさまテーブルの下に。
動いたりした家具はテレビくらいでタンス、食器棚が倒れる、破損するといったことはありませんでした。
たまたま母が在宅していて、父も翌日に帰ってきて家族全員無事だった。
高校生の今、電車で通学したり、学校もかなり遅い時間までいます。
もし家にいないときに被災したら?当時以上に父母と家にいる時間が少ないからこそもしもの時の対策を考えなくてはいけないと思います。
これから起きると危惧されてる大地震の減災の為にもこの日のことは絶対に風化させたり忘れてはいけないと思います。
とーやま校長、こんばんはです!
今日、コンタクトをはめる練習をして来ました。最初ははめ外しが難しく、特に外すのに時間がかかりました。
でも慣れちゃえば簡単に出来るので、大丈夫かなと思います。コンタクトをつけると、新しい世界に入ったような気分になります。
皆さんこんにちは。次世代のクイズ王です。
昨日のクイズの答えは「いわて沼宮内駅」でした。わかりましたか?
さて、今日は前にとーやま校長がラジオで話していたものをクイズにしました。では、問題です。
3、漢字で書くと「胡椒」が入るのに、胡椒は使われていない、唐辛子を泡盛につけた調味料を何という?
答えはレスでお願いします。頑張ってください。
沖縄県民の方ならわかるかもしれません。
今日は中学校の卒業式でした。コロナウイルス対策のため卒業生、先生のみで行いました。校長先生が可愛そうだからと昨日予定していたお楽しみ会を卒業式の前にやりました。なのでこれはこれで思い出に残る卒業式でした。 9年前の今日、私の住んでいる所も震度5弱の揺れ、数日後に予定していた卒園式も今日のように規模を縮小してやりました。 今日、先生が言っていた「必ず予定通りに物事が進むということはない。」という言葉は本当にこの出来事のことだと実感しました。 震災も、ウイルスも、誰かのせいではないし、誰が悪いという話でもないので偉そうな事は言えないけど、当たり前って本当にないからこそ毎日を大切にしていきたいです。
今日、訳あって少しだけ学校に行きました。
私は学校が特別好きって言う訳じゃないけど、久しぶりって言うのが少し嬉しかった。ような気がしてる。
なにかに対して、好きか嫌いかわからなくなるような複雑な気持ちになることがたまにある。
でも、普通とはちがうっていうか。
それをうまく言い表せる言葉ってないんですか校長。
とーやま校長、ヤフーの記事読みました。僕は9年前、まだ5歳でした。当時のことは大きな地震が起きて津波がきたそしてたくさんの方々が亡くなった。その程度しか当時の僕は思っていませんでした。ただ年を重ねていくと、東日本大震災は大変な事だったんだと思い知りました。そして僕の住んでいる静岡は、南海トラフ地震がいつか起こると言われています。とーやま校長の取材を読み小さな事からでも対策を始めようと思いました。
寂しいよーーーーーー人に会いたいよーーーーー友だちと喋りたいし一緒に帰りたいし部活やりたいし遊びたいし…。
コロナもう引いてくれても良くない!?
9年前の3月11日。
私は風邪で保育園の遠足を休み祖母と二人でEテレを見ていました。すると突然知らない町が波にどんどん襲われていく様子がテレビに映りました。まだ保育園児だった私には津波ということ自体何も知らなかったのですがただただ怖かったです。数日後津波のことを知り何人もの方がなくなったと聞いて何とも言えない感情がこみ上げてきました。実際に見たわけではないけどテレビで津波の絵移動を見ているときたくさんの命が失われていったのだと考えると怖くて恐ろしかったです。
あれから9年。私の弟はこの地震のことなんて何一つ知りません。ですが、これを知らないままはいけないと思い、今朝弟にこのことを教えました。どこまで理解してくれているのかは分かりません。それでも、自然災害の怖さや命の尊さなど小さい子なりに感じてくれればいいなと思います。
遠く離れた広島からですがこの地震で家族や大切なものを失った方、被害に遭われた方たちの傷が少しでも癒えますように応援しています。私たちはこの地震のことを一生忘れてはいけません。この地震を教訓にこれからも生きていきましょう!
頑張るぞーーーーーーーー!
実は、昨日が最後のバイトでした(。>﹏<。)
いざとなるとやっぱり寂しいです( > < )
後輩のみんなからお菓子もをらいました( > < )♡
嬉しくて泣きそうでした(;;)
正直、辞めたいって思ったことも何度かありました。
でも、なんだかんだ楽しくて、続けてきて良かったって思いました。
いい経験が出来たのももちろんそうですが、たくさんの素敵なバイト仲間にも出会えて、本当に本当に幸せでした♡♡
バイトでの経験を生かして、4月から社会人頑張っていきます!!(*`・ω・´)
約3年半、お世話になりました!!
ありがとうございました!!!!
新型コロナウイルスによって、たくさんのひとたちが暗い状況におちいってます。家で待機といわれてもやれることは限られてるし、ストレスがたまっていくばかりです。はやく日常生活に戻りたいです。
うちの母親軍隊の教官並みに厳しいのに、さらに感情論でものを言ってくるからほんとにむかつく。
それに対してハイ以外ほとんど言わない俺っていい子ですよね。アハ
家で、久しぶりに、楽器を吹きました。
楽しい。音楽すごく楽しい。でも、友だちと吹きたかった。部活の時みたいに、みんなで吹きたかった。
部活は、今は、そんな好きじゃないのに、こんなにも長い時間みんなに会わないで楽器も吹けなくなると、寂しいなと思うようになった。
やっぱり私は楽器が好きだなぁと感じる。
高校生活最後の一年が始まろうとしてるのに、すっかり始まらない気がして、なんかむしゃくしゃする。
今日が3.11だってことを知ってあれから9年か〜と思い返して、最近はコロナ、コロナで薄れているけど、やっぱり忘れてちゃいけないなど、感じました
震災に遭われた方々にご冥福をお祈りします
インフルの学級閉鎖で早い時間から家に帰っていました。学区外の家から遠い小学校に通っていたので、もし学校で地震に遭っていたら、どうなってしまってたんだろうか…と、いつもこわくなります。
そんなこと言っても、実際学校で地震に遭われた人も多いと思います。
もうこんな怖い思いはしたくないから、事前にできることは全てやっておきたいなぁと思う。
忘れてはいけない。あの日の出来事を。
これから生まれてくる人たちに伝えていく必要がある。対策をしてこれから起こる災害の被害を少しでも少なくするために。減災対策をしよう!
ついに明日高校入試です。正直あまり勉強できなかったです。今日事前指導だったのですが、周りはちゃんと勉強していました。僕の第一希望高は倍率が高いため、落ちる可能性が高いです。勉強の時は『好きな人は今何してるかなー』と考えるばかりです。コロナの影響で塾が休みのため、会えません。辛い。明日大丈夫かな?そして、あの人と付き合えるかな?不安で疲れた,,,
私は震災が起きた9年前、小学3年生であの時間は図工の授業をしていました。
揺れが起きた時は本当に怖くて三回も続けてきたので泣いていたことを思い出します。
家も部屋のものがほとんど落ちたりして壊れてしまったものがありました。
学校で揺れが強い時、当時小学校の教務系の先生が放送で必死に「地震です!地震です!机の下に潜りなさい!」と言っていたことを思い出します。
あの時のことは千葉に住んでいた私でも忘れません。帰ったらテレビで東北で大きな津波があったことを知って、驚いてあの夜は怖くて余震も何度もくるし寝れなかったです。
復興を願うばかりです。
SOLで卒業式がしたい!!
卒業式学校でしてない!って人も居るわけだし、今年度の卒業生&とーやま校長の卒業式したいな
9年前は小学1年生だった。
家に帰って、テレビをつけるとニュースばかり。普段やってる番組は全部無くなって、延々と同じ映像が流れた。その時はあまりわからなかった。東北がどんな状況にあるのか。今東北にいる人がどんなことを感じていたのか。
4年前の4月14日、大きな地震を感じた。当たり前が当たり前でなくなった。当たり前が幸せだったことを知った。ずっと前に知ったはずなのに。知っていたはずなのに。
そんな時に平気で嘘をつく人の醜さを知った。
「大丈夫?」そう言ってくれる人、自分だって大変なのに気にかけてくれる人の温かさを知った。
面と向かって誰かと笑い合えること、中身のないくだらない話ができることがいかに幸せか。
また忘れかけていた。知ってるはずなのに。4年前に身を持って知ったはずなのに。
支えあって生きていかなきゃならない。誰もがわかってるはずなのに、今回はうまくいかなかった。情報は錯綜し、何が本当かもわからなくなった。
前例のないことだから、なにもわからなくて当たり前である。でも、今まであったいろんな事から何回も学んでることがあるはずだ。
何で同じことを繰り返した?
人という生き物のなかで一番わからない生き物の事も、当たり前という幸せの事も、僕たちは何度も学び、忘れ、また学んでいく。
この混乱から卒業のとき、すなわち、抜け出すとき、大切な人とまた、笑い合えるように。
どんな昨日さえもあってよかったと讃え合おう。呆れるほど。
そんなことを考えた、2020年3月11日。
今日はまだ、家の中で、ラジオを聴いて、スピーカーの向こうの校長と、スマホの向こうのたくさんの生徒のみんなと笑おうじゃないか!
9年前の今日、僕は幼稚園の音楽発表会に出て、その後小学校受験関連のイベントに参加していたらしい。その後、キリスト教の小学校で毎朝東日本大震災の復興の為のお祈りを毎朝していた。今日、そのお祈りを久しぶりにしたところです。
改めて、一日でも早い復興をお祈りしています。
ずっと家にいると気分が塞がってきます……昨日母が妹のママ友に父の職業を差別されたと憤っていました。多分こういう文化は関西の方が残っている気がするんですが、どうなんですかね……職業に重い軽いなど無いと僕は思うんですけど……
9年経った今でも忘れません。
あんな大地震、忘れられる訳がありません。
とは言っても、私は地震が来てから1日停電になっただけですが、、。それだけでも怖かったです。
被災地にいる方々、大切な方を失った方々に比べたら私が感じた恐怖はちっぽけですが、小さかった私にとってそれは大きな恐怖だったし、被災地の様子を見てもっと心が苦しくなりました。
ですが、“頑張ろう、東北”という言葉も忘れてはいけません。
過去を振り返るのも大切。前を向くのも大切。
少し偉そうに聞こえたら申し訳ありませんが、
もっとたくさん前進できるように東北民全員で頑張っていきましょう!
今日、休校中の第一回目の登校日でした。
プリントがいろいろ渡され、卒業アルバムも今日もらいました。友達とメッセージを交換したりして、楽しい時間を過ごせました。
そして、次の登校日までの課題が少しですが出たので、とりあえず暇な時間をつぶすものができて、少しホッとしました。
早く終わらせるとまた暇な時間ができてしまうため、数日に分けて課題を終わらせるつもりです。