東日本大震災の時の津波の映像を見ました。
個人撮影の動画だったのだリアルに悲鳴や不安の声。そして映像がショックでした。
昔は小さかったので何も覚えてませんでしたが
今見たら家が流れる、車やトラックが濁流に呑まれていく。
そしてこれが身近に、そしてこの国の何処かで起きたとなると急に現実性を帯び始めました。
でも津波に全てが消えたのを目の前で見た人はどう思ったのでしょうか?
私は頭のどこかで確実な明日なんてない、高確率な安全はあっても、絶対無事の明日なんてない
そう思いました。
東海に地震が来ると予見されている今、この日は大分この先が不安になります
保育所のときだったので詳しくは覚えていないが、当時のことを書いた記事や、一昨年の地震で当時の方の気持ちが少しわかったような気がした。いつ終わるか分からない行き場のない苦しみを感じた。
この国でこれだけ大きな規模の地震が起こったということを常に頭のどこかに入れておくべきだと思います。これからもいつ起こるかわからない地震に備えておくことが大切です。
今も原発で大変だけど…
福島県民はみんな震災から
猪苗代湖ズの
「I love you & I need you ふくしま」
という曲で立ち直りました
県内で超有名になった曲です
ぜひみんなに聞いてほしい
2011年3月11日
当時僕は保育園児で、まだ地震とかのことをわからなっかった時でした。
僕の父方の祖父や祖母は青森県の太平洋側に住んでいたので記憶には残っています。
家では電話をして確認をしたりしていろいろ大変だった。一段落して地震がどのようなものでどのように大変なのかも教えてもらった。
その時にすごく大変なことが起こったことがわかった。
9年たち今、自分が考えることはいつ起きるかわからない自然災害。そのために僕達はしっかりと対策をしなければいけないということ。
最後に、今も復興のために働いている方々。また、今も生活に苦しんでいる方々。お疲れ様です。これからも頑張ってください!
3.11を経験してから、学校の防災キャンプや防災訓練にたくさん参加しました。被災地を見に行った時は津波で流されてしまった地域は自分が想像していた以上のものでした。ここでたくさんの人の命を海が飲んだんだなと思うと何も考えられなくなりました。当時自分は小学生で学校にいて、家に帰ってきたらテレビに写っていた光景が現実離れしすぎていて理解ができませんでした。しかし今YouTubeなどで当時の映像を見ると地震がどれだけ恐ろしいものかわかります。
私は3.11の地震が起きた時、幼稚園の年長でした。
私はちょうどその時は家族と家にいて、混乱はあまりなかったけどでももし何かあった時1人だったらどうしようとか、連絡が出来なかったらどうしようとか絶対混乱すると思う。校長が言ってた通り対策を家族でしようと思った。
中学生の今だから出来ることはきっとあると思う。
自分は九州に住んでて、その当時は小学生だったので、あまり記憶が定かでなかったためわかりませんでしたが、2016年自分が中2の時に熊本地震にあい恐怖を感じました、熊本地震もそう東日本大震災にあった方々にご冥福祈ります。
お願いがあります。
「Never Ending World」を流してください。
この曲はさおり先生のブログを見れば分かる通り、震災の時に作られた曲です。
僕らは出来ることが皆違うから
だからこそ僕らは手を繋ごう
We are with you
私たちはこの歌詞の通り、出来ることは違うけど、だからこそ手を繋いで、みんなで頑張る時だと思います。震災に関しても、コロナに関しても。
よろしくお願いします。
9年前の今日、私は、小学2年生でした。
学校から家に帰ってテレビをつけたら、
東日本大震災のことがあってて、怖くて1人で泣いていました。
実際、9年たった今でも黙祷の時に泣いてしまうほど、その時の恐怖が心に刻まれています。
でも、被災した人は、もっと怖い思いをしただろうし、いきなり日常を奪われた計り知れない悲しみがあると思います。
だから、私は、これからの日常を大切に、もらった命を大切に、生きていきたいです!
他人事じゃない。けどそれを思い知らされたのは熊本地震の時。津波の映像、たくさんの人が亡くなったとの報道、それを見て怖いと思ってたはずなのにどこか自分には関係ない事だと思ってた。いつ災害が起きてしまうか分からない。だから、ちゃんと向き合って、災害に備えていきます。
今日書き込んだことはすべて本心ですけれど
テレビをつけるまで今日という日を忘れていた自分もいたことも事実で自分の中でも風化が進んでいることにショックを受けています
その日いつもの声が聞けた人達は絶対に救われたと思う。不安で仕方ない気持ちをいつも聞いている声、絶対にその判断はただしい!僕は全く被害を受けていないところに住んでましたが当日の記憶、その時のスクールオブロックはとても記憶に残っています。とーやま校長とやしろ教頭の声を届けてくれてありがとう。。
今日、クリアするファイルが届きました!
とーやま校長とあしざわ教頭が2人で写っているバージョンでした!
ありがとうございます!!大切にします。
僕はずっと長崎に住んでいるけど、震災があった日、その時の事はまだ鮮明に覚えています。僕がこんなに大きな地震が起きていたということを知ったのは、習い事の空手の練習が終わった午後9時半頃。テレビを見ようとつけてみると、テレビ各局がニュースをやっていて、そこで初めて被災地の現状を知りました。これから日本はどうなってしまうのだろうかと小学1年生ながらも考えたのを鮮明に覚えています。災害はいつどこで起きるのか分かりません。僕自身も熊本地震で初めて大規模な地震を体験して、死の恐怖を感じました。いつ余震が来るかという恐怖に襲われました。年月が経つにつれ、この出来事を知る人は少なくなります。だからこの出来事を伝えるのは僕たち若者の仕事だと思います。いつかまた同じ災害が起こる時、それがいつになるか分からないけど、たくさんの人が生きることができるようにこれから災害を一から見つめ直そうじゃありませんか。
9年前、私はもう少しで4歳になるという頃でした。
だから、9年前の今日のことは、友達と遊んでいたということしか覚えていません。
他人事のように感じていました。
でも、校長の話を聞いて、感じました。「東京に住んでいた人にも死を意識させるほど恐ろしい出来事だったんだ」と。
だから、私も9年前何があったかをもっとよく知ろうと思います。
学校で次の学年の教科書販売があったから1週間ぶりぐらいに学校に行って、で、教科書が重いから駅の入り口で親を待ってた時、こんなことを思った。
9年前の今日、あんなことが起こった。だけど今、ここでは普通にみんな歩いてて、笑ってる人もいる。
…別に何にもおかしいことじゃないのに、何か変な気分になった。
私は9年前は5歳、住んでいた場所は被災しなかった。覚えていなくてもしょうがないかもしれないけど、知らなくていい、知ろうとしなくていい理由にはならないと思った。自分は知らないことが多すぎた。
誰かが幸せになったりするときには、誰かが不幸になったりする。
皆がずっと笑っていられる世界があれば良かったなって。
今日という日も、トップニュースはコロナウイルスの脅威ばかりだった。震災は2つ目になってた。
コロナウイルスが話題だからなのか、時の流れによって薄れていくものなのか、不信。
あと、今日、震災直後のSCHOOL OF LOCK!!の放送後記を読みました。
わかったことは、SCHOOL OF LOCK!!は「いつも通り」を貫いてた。それによって、生徒は少しかもしれないけれど、安心できたんだと思う。
全国の生徒からの励ましのFAXや掲示版が、言葉にできないけど素晴らしかった。
自分は小1だったな。帰りの会始まる前。電気は全部消えた。同じ県の離れたところだけど、見たことある景色が黒い水で埋もれてた。
その年の8月には兄の関係で仙台に行った。少し海に近づけば、まだそのまんまだった。
岩沼の津波でなんにも無くなった地区も見に行った。石碑に亡くなった人の名前が並んでて、『1歳、3歳』この文字を見て衝撃を受けた。
何より怖いのは原発。自分の住んでる市のすぐ隣の村には原発がある。怖い。もちろん今は止まってるけど。
高校になってそこから通ってる友達もたくさんいる。
全部が当たり前じゃなくなって行く未来がないとは言いきれない。他人事じゃない。すぐ近くにある。
だから、忘れちゃいけない日です。
2011年 3月 11日。
地震発生時刻、午後2時46分
発生してから産まれた子も段々と多く、大きくなり、知らない人達が増えてきている
そういう世代の人たちにもしっかり伝えて、今のうちに負の遺産は無くしていきたい
自分には無力に思われる小さい事しか出来ないけど、やれるだけの事をやっていくしかない
それに、そういう人が一人でも多く居ればきっと大きな力になるはずだから
親父は東日本大震災の後ショベルカーを被災地に持って行って帰ってきて行った言葉を今でも忘れない「本当にやばかった。地獄みたいだった。でも人は暖かった」って。
当時は幼稚園の年長でした。卒園式を1週間後に控えて、9年前の今日も幼稚園で卒園式の練習をしていました。自分の住んでるところは震度6くらいでした。停電になって、ガスも水も止まり、不安ばかりでした。その頃は原発も分からなかったけど、祖父母が住んでいたところは原発の事故で避難区域になり、避難していました。約3年ほど避難していました。体育館で段ボールで仕切られた狭い空間で生活するたくさんの人。ガソリンを求めて長い行列のできるガソリンスタンド。この目でハッキリ見ました。今でも覚えています。このことは100年後、1000年後、ずっとずっと未来に伝えていくことが大切だと思います。私の同級生にも原発事故で避難して、今も自分の家に帰れない友達がいます。でも、その友達は毎日明るく私たちと遊んでくれます。とても強いです。私たちも、そんな人たちを支えていきたいです。
あの出来事があったから今の自分がいる。2度目の震災を経験したからこんなにも人によりそう人になったんだ。
これからもそうありたい。
明日は卒業式です。この中学校生活は、たくさん遊びました。そして、たくさんの友達が出来ました。勉強は、うまく出来なかったけど、とても満足しています。告白したいけど、前日になると無理ーってなってしまう。明日の自分、頑張れw
最近、新型コロナウイルスの流行で世界中のみんなが大変な思いをしています
そんな今こそ、我々日本、そして世界はひとつになるべきではないかと思う
去年あったラグビーW杯で言われた「One team」や「one for all, all for one」という言葉があった
今こそ、国民・人類全員で1つのチームになって、一人一人ができることをやっていきたい
そして、困難を乗り越えてもとの生活を勝ち取ろうよ!
僕は9年前小学4年生でしたが、とても怖かったのん覚えてます。その日は日本?にとってとても大きな被害が起きてしまったことが今日のテレビとかを見てて分かりました。このことはこの後の台?にも受け継いでいかないとダメな事だと思うので、被災した方からの声とかを聞いて受け継いでいかないとなと思いました。
コロナで日常が変わった。電車に揺られ、クラスメイトと喋り、部活して勉強する日常が突然変わった。全然うれしくない。休みなのにうれしくない休みは僕自身初めてだ。家にいることが退屈になる休みはほんとに初めてだ。暇つぶしで体動かしに今日ランニングした。それくらいしかやれることがない自分が今はちょうどいいかもしれない。
この震災があった事により、防災に対する意識が変わった。
3.11この日だけでなく、自分で調べて情報を集めて、被災地の今を知りたいと思う。
9年前の今日、私は小学2年生でした。
この日は、学校があってて家に帰ったら、テレビで東日本大震災のことがあっていました。
1人で家にいたので怖くて親が帰ってくる8時くらいまでずっと1人で泣いていました。
実際、今でもその恐怖が心に刻まれていて黙祷の時に泣いてしまいました。
でも、被災した人は、もっと怖い思いをしただろうし、いきなり日常を奪われた計り知れない悲しみを持っているはずです。
だから、これから1日1日の日常を大切に、もらった命を大切に、生きて行きたいです!
東北の生徒さん、それ以外の生徒さんも震災について色んな思いを書いてくださってありがとうございます。この思いがずっと変わらず続きますように。
私が幼稚園生の日だった。私の誕生日だった。
ちょうど家で家族揃って私のお祝いをしてくれてた時だった。
私がケーキの上にあったろうそくの火を消し終わった後、急に地震が起きて停電になった。
本当は幸せな日だったはずなんだろうけれどもうそれどころじゃなかった。
それから毎年誕生日にはニュースで東日本大震災のことが取り上げられていた。
「私、こんな日におめでとうなんて言われて良いのかな」って何回も思った。
けど、起きたことは仕方ない...から。
3.11 その時不幸が訪れた人たちは沢山いるけど私は確かにその日、幸せにある。
神様って理不尽だ。
とにかく私は今日で15歳だ。ただそれだけ。
スクールオブロックのように9年前の震災みたいな天変地異が起こっても、いつもと変わらず、暖かくて応援してくれる場所があるのは本当に心強いと思います。
2011年3月14日に多くの番組が放送自粛をする中、スクールオブロックは開校したと今日初めて知りました。本当に凄いことだと思います。
そしてスクールオブロックは校長、教頭が変わっても、ずっとそんな場所であって欲しいと思います。
大変な時こそ、生徒に寄り添い続けてほしいです!
知ってる生徒さんが大多数だと思いますが、今Yahoo!で「3.11」と検索すると1人につき10円Yahoo!から募金されるので知らない方は是非、検索してほしいです。
中学3年生、あの日は学年全員で百人一首の授業でした、僕が住んでいる三重県では震度3ほどの揺れでした、後でニュースで知りました、全て知りました。後日CMがポポポポーンだけになりました。アジカンのあの曲で泣きました
今日3.11近辺が、毎年毎年ピックアップされるけど、
2011.3.11が始まりであり、その後今日までの9年、ずっと続いている訳で。今日だけ覚えてればいいってのも違いますね。
私の近々行きたい所が増えました。また東北に遊びに行きたいです。近い未来お金が貯まったらまた遊びに行きます。
一昨年に福島の三春の滝桜を見に行きました。今年もそろそろ咲くのかな。大きくてとても綺麗だったのを覚えています。桃も食べたい!!
3.11にこんな事があったんだよってずっと語り継がなきゃいけない事ですよね。
風化させてはいけないし、それを教訓にしなければいけない。
戦争と同じですね
9年前の今日。私はたまたま家にいた父とニュース速報を見たのを覚えています。
本当にここは日本で、今揺れているのは地面で、流れているのは本当に海なのかという色の水。
壊されていく家。
子供ながらすごく怖かったのを今でも鮮明に覚えています。
あの頃の私はただ、『怖い』という感情しかありませんでした。ですが今はさまざまなことを学び、知識として得ています。だからこそ分かる恐怖がある。
もう、あのような光景は絶対に見たくない。
次は自分かもしれない。
日本に住んでいる限り、どこで大きな災害が起きてもおかしくはない。
地震は寝てるときに起こるかもしれない。
日頃からの心の準備が大切ですね
小学校4年生の時、新5年生として新1年生を迎えるための合唱練習をしていた。
金曜日だったので、「帰ったらNHKのビットワールドを見よう」とか考えていた。
今まで感じたことのない揺れがゆっくり来た。その教室には机がなく、「避難訓練での机の下にもぐれ」が通じない状態だった。縦揺れなのか横揺れなのかわからず外を見たら電柱が回っていた。「縦と横同時?」とおもい、本当に死を覚悟した。結果震度5弱~強だったらしい。6でも7でもなかったが、本当にもうだめかと思った。
どんなに衝撃的なことでも時間がたつと、だんだん危機感が薄れてくる。
当然いい思い出ではないので、あまり思い出したいものじゃないけど、でも忘れちゃいけないと思った。
合唱曲「群青」はこの震災の曲のため、ここ数年3月11日にはこれを聴いている。
今年はまだ聞いていないためこれから聴くつもり。
今日は、東日本大震災が起こった日ですね。ニュースで見るまで忘れていた自分に腹立たしさと申し訳なさを感じました。今日は、卒業式前に最後になるかもしるない友達みんなと遊びました。とても、自分は幸せなんだと思いました。このことを、この日だけでも忘れずそして今の幸せをありがたく思うようにしようと思います。
僕は9年前の今日小学5年生でした。広島なので被害こそありませんでした。僕はテレビで東北の津波の様子を見ました。それはあくまでもテレビの中の世界の話なんだとどこかで思っている自分がいました。それにやっと気付かされたのは2年前の西日本豪雨です。津波とは違いますが洪水で故郷が僕の知っている故郷ではなくなりました。東日本大震災でも西日本豪雨でも被害を受けた地域の人たちは言います。「まさか自分の街が」と。まだ大きな災害を経験したことのない生徒の皆さん!決してこの悲劇を他人事にしないでください!
私は、鹿児島に住んでるので、桜島の大噴火が起こるかもしれないということが、私はすごく不安です。
僕は、毎年3/11はyahooで「3.11」と検索するようにしています。それで10円募金できるらしいです。小さなことですが、熊本から応援しています。