私の令和2年は、ずっと孤独との戦いだった。大好きな人たちと会えなくなって、限界が来た。死にたい、消えたいって思った。
そして、春馬くんが亡くなった。私も一緒に逝きたいって正直思った。
でも、周りにいる職場の人たちに支えられながら今も生きてる。
今でも消えたいって思うけど、でも一つ言えることは、今、私は生きてる。
クレイジーだったけど楽しかった
来年もクレイジーな令和三年期待してます
令和二年万歳
校長先生に自分達からお願いをしに行くってすごい
辛いよね 私も3年生全員で大会に出れなくて悔しかったな
今までずっと過ごしてきた『当たり前』が簡単に無くなってしまう怖さを実感した1年でした。
それこそ、楽しみにしていたamazarashiのライブツアーもすべて中止になり、会社も交代勤務になって会社と家以外どこにも行けない日々。感染に怯えながら独りで耐えたあの頃は、本当に辛かったです。
でも、その我慢ばかりの生活があったからこそ、忘ていた、『当たり前』の尊さを思い出せた1年でもありました。大人になっていっちょまえに一人で生きてるつもりでいましたが、本当は家族や恋人や友人、会社の苦手な上司にも支えられていたんだと気付きました。みんなが恋しくなってたまらなかったです。令和2年を過ごすのは二度とごめんですが、この1年は私の人生に必要だったと思います。
大学受験に失敗し浪人した一年。社会からはぐれた疎外感を感じて苦しい一方で、他県に引っ越せない地元の友達と会えた。ライバルの高校生は満足に授業を受けられず、大学生は大学に行けず、浪人生は予備校に通えた。自分にとっては好都合で、大切な友達や下級生には不都合だった一年。
曲を聴いててこの令和2年の出来事や、身近なことを考えたなー
すごい考えさせられる曲
不安だらけの令和2年。私は、辛いこと、しんどいことたくさんあります。病気も親とのこともしんどいし、不安。親のことで傷ついてる。悩み抱えてます。話し聞いてほしい。初逆電ください。
令和2年、沢山の「たら」と「れば」ばかりでした。
もしコロナでアウトドアが流行しなければ、従兄弟は死ななかったかもしれない。
もしコロナがなければ、もっとゆっくり従兄弟を送り出せたのかもしれない。
やるせない、数え切れない「たら」と「れば」は心に降り積もるばかりで、今も嗚咽を漏らして泣いてしまうことがあります。
そんなとき、秋田先生の「エンディングテーマ」は他の曲以上に寄り添ってくれました。やはり私達は今日も雨曝しですが、それでも生きていきたいと、そう思っています。
10年前。東日本大震災の真っ暗な夜の中。あの頃も死にそうな顔をしながらひたすらラジオで耳を塞いでいた。もうすぐ30代が来ようとしている今も、世の中でいつもと違うことが起こっていて、私は相変わらず死にそうなんだけど、それでも、今は、必死に生きようとしているよ。未曾有の事態に大量のストレス。当時も、今も、ここにたくさんいる生徒の皆さんもきっと、いつもと違う日常にいろんなものを抱えたりして、苦しくなってないかな。無力さばかり際立って仕方ない今みたいな時間はこんな短い人生でも何度もやってきたけど、生きててよかったと思う。10年前の私へ。あの時死なないでいてくれてありがとう。今になってようやく言えるようになった、令和2年の私より。
昨日は櫻坂46から田村保乃さんと藤吉夏鈴さんが来校されましたが櫻坂46のデビュー日でもありました。そこで昨日放送された櫻坂46の楽曲を言います。
1.Nobody’s fault
2.なぜ 恋をして来なかったんだのだろう?
3.半信半疑
4.Buddies
5.Nobody’s fault
6.ブルームーンキス
櫻坂46の楽曲で解禁されている楽曲は全部で8曲でそれはNobody’s fault、なぜ 恋をして来なかったんだのだろう?、半信半疑、Plastic regret、最終の地下鉄に乗って、Buddies、ブルームーンキスとなってますが来校された前日の櫻坂46のデビューカウントダウンライブの為に秋元康先生が書き下ろした楽曲がありそれは櫻坂の詩でこれで8曲です。
高校を卒業して、大学にもいかないで、何もやることがなくて。少ない予定すらもなくなって。
空白に自分が染まっていくようにも感じて、だらだらとした毎日に埋もれてしまいそうにもなって、とはいっても新しいことを始めるきっかけすらもなくなって。
僕にとっての令和二年は、空白に満ちた年でした。
埋めるものを、探しています。
社会人1年目。卒業式を行わないまま友人たちと別れ、不安だらけの新世界。右も左もわからないまま社会へ出た。職場では上司から理不尽なことで怒られたり、休む間もなくひたすら働く毎日。何度も死にたくなった。でも、amazarashi先生の歌を聴いてもう少し頑張ろうと思い、今も生きている。友人たちも頑張っている。それなのに自分だけ逃げるわけにはいかない。今ここで逃げても何も残らない。そう思えるようになったのも、先生のおかげ。ありがとうございます。これからも沢山の歌を作って、多くの人を救ってください。
最近調子が良くなくて、薬とかめちゃくちゃなことに逃げてばっかで、学校に行くと頑張っているクラスメートがいて、家にいると家のことをやってくれる親がいて、こんな自分がいるのが申し訳なくてっていうのがずっと続いていたけど、今日ラジオ聞けたことだけは自分、よくやったな、と思うことにしよ〜っと!!
休校になったり何処へ行くにもマスク必須になったり、なかなか遠出できなくなったり、色々あった令和2年だけど、もう終わりに近づいていますね。マスク生活にも慣れたけど、表情が見えないのは寂しく思います。令和3年は笑顔が見れますように。
令和2年いろんなことがあったな。。高校を転校しようと決めた令和2年。
大切な友達ができた令和2年。
疫病が流行する以前から、僕は空っぽに生きていました。おぼろげに抱いていた夢は自分から遠く離れていった。何をしたいのか、わからなくなった。周りとの比較、親からの重圧、世間体、先行き不透明な未来。あれ?僕は生きてる意味ないんじゃないか?
それから、うだうだ生きつつ、なんだかんだで歩いています。時に立ち止まり、頭を抱えて、また死にたくなるけれど、その時amazarashiの曲にまた救われるのです。ありがとうございます。
solに励ましてもらった令和2年。辛いことがたくさんあります。生徒思いで優しくて一緒に泣いてくれるさかた校長、こもり教頭の言葉聞いて励ましてもらったり、支えてもらってます。でも、今、生きていくのもしんどい。病気もしんどい。話し聞いてほしい。初逆電ください。
初めは受験生の年で入試制度が変わり、コロナ禍に陥り、とんでもない年にあたってしまったと思っていましたが、いまとなっては自分をまた一つ成長させてくれた一年でした。まさに今は物語主人公じゃないですか!多くの困難が押し寄せてくる今の社会の中で一人一人が物語の主人公だとふと思いました。この先に待ち受けるのは今年のことなんてちっぽけに見えるほどの出来事、まだまだ人生はこれから!
自分にとって本当に大変で凄い年になった。自分は学校での文化祭、体育祭などやりたいことが制限されながらこの令和二年を過ごして来ました。人生としてはある意味でいいけどちょっと悔しいです。
失礼とか、侮辱じゃなくて
amazarashiの曲を知らなかった人、好きじゃない人は
幸せな人
amazarashi曲をを好きな人は頑張ってる人
amazarashiを知らない人に言うとそんな感じの曲達です
ずっと家にいて自分の嫌な部分を実感した1年でした。もちろん楽しいこともありましたが……
でも正直、あまり今年のことを思い出せないです
令和2年はこれからの自分について沢山悩みました。
どれを続けて、どれを諦めなければいけないのか。
本当に分からなくて体調が大きく崩れてしまったこともありました。
今も分からない事しかないけどただ進むしかない。
そう思いました。
早く収まって曇っているこの気持ちも世界も晴れますように。
ボイスメッセージ!
なんかいろいろなこと考える。
今年はなんにもなかったな~。
令和2年。めっちゃささる。
今年も3週間。早い。しんどい令和2年。私は、辛いこと、しんどいことたくさんあります。親の顔色うかがったり、バイトの店長の顔色うかがうのがしんどい。生きていくのもしんどい。話し聞いてほしい。初逆電ください。
辛い苦しいところばかりピックアップされがちな今年だけど個人的には最高の1年だった。自分の時間がいつも以上にたくさんできて気づけたこと、学べたこと、考えたことがたくさんたくさんあった。時間があったからこそ新しい出会いがあったりもした。いろいろ理由がありますが令和2年は最高でした。来年も最高の1年にしたいといつも以上に思った。
同じ仲間のリアルな声、私は令和2年に何を得ることが出来ただろうと、改めて考えています。
悪いことばかりではなかったと感じたり、それでも笑顔が減ったと感じたり、でも私を孤独感から救ってくれたのは他の何でもないスクールオブロックだったと感じています。
自分の「令和2年」を一言で表すなら
「希望と絶望の狭間で」かな。
学校に行けなくなったり、親の仕事の都合だけで京都の祖父母の家に8ヶ月もいされられたり、病気が再発して入院したり、辛いことは例年の100倍はあったけど、
自粛期間にこの学校で部活を立ち上げたり、廊下で仲間と語り合ったり、こんな状況だからこその楽しかったこともあった。
いろいろあったけど、もう1年か。
来年はいい年になってるといいな。
なんだろう、ボイスメッセージで始まるラジオも曲も
本来ならすごく異質なのに、amazarashiの曲だと
すごいマッチしてる。
こう思ってる人がいる、って本当に身近に感じる
みんなのボイスメッセージから始まる今日の授業。何だか不思議な気持ちになるけど、素敵だなと思った。
ボイスメッセージ送ったけど、最初にラジオネームとか
言ってなかったー!
あとみんか一言サイズですごい心にくるのに、俺だけ
一分ぐらいやっちゃったー!
amazarashi先生が来校すると聞いて、めちゃくちゃ久しぶりにSOLを聴きに来ました!
今年は大学の授業も通常通りに行えなかったり、大学祭が中止になったりして思うように行かない事が多過ぎる年でしたが、12月に入ってからは今年もなんだか終わるのが早かったなあと思いました。
上手くいかなかったり、悩み過ぎて苦しくなった時はいつもamazarashi先生の曲を聴いて癒されています。
なので今日の授業をとても楽しみにしています!
今日はいろんなことを考えた1日でした。とりあえず思ったのは、今日こうして生きていられる自分は本当に幸せなんだなって。
ドーモ、今日はDCD「ドラゴンボールヒーローズ」(スーパーじゃないよ)よりJM弾初期のみんなのトラウマSR「HJ2-238 ロボット兵」を紹介します。
まずはスペックから。ヒーロータイプで必殺エナジー6、HP3000/P1900/G2000の敵ダメージ軽減50%ダウンのバースト持ち。
問題がそのアビリティである「超装甲」。永続で気力ダメ無効のダメージ半減(ゲーム設定上、ダメージ軽減50%と同義) というパッと見てわかる雑に強いやつ。
初手に出してワンショット防止から決めきれなかった時の耐久にまで使える防御特化ロボ。
昔、某猫のゲームセンターで行われた大会に友達共々出たのだがものの見事にどのデッキにもこいつがいる(当てられなかった我々を除く)わけで、まぁとにかくダメージが入らない。CIに勝ったところで相手とのダメージが開いて結局負けるなんてことが。何が面白いって大会後に同じアビリティを持ったプロモを友人が当てるという。
運営もさすがに流行り過ぎたと反省したのか数弾後に初期にありはしたが埋もれていた「無慈悲な攻撃」というこいつのガンメタアビリティ(効果が軽減30%以上を攻撃したらダメージ5倍)を定期的に再録するという対策に。
それで数こそ減ったが隙を見て使われることがあるのでとても対策に困る。
今日はこんなカードを紹介しました。
受験勉強の時amazarashi先生のジュブナイルの歌詞に励まされました。
明後日は弟が中学校受験があります‼️
今年1年間我が弟は一生懸命勉強を頑張っていました。是非頑張って欲しいです‼️そこで校長と教頭にお願いします
私は今年で社会人二年目になります。私事ながら、社会人一年目の去年は特に、本当につらい毎日でした。言葉で傷つき、態度で傷つき、みんな敵なのではないかと感じていました。悲劇的に言うと、もうあまり楽しいことも感じられなくなりました。でもそんなとき、今年の2月ごろ、amazarashi先生に出会いました。厳密にいうと、中学生か、高校生のときにamazarashi先生を知りましたが、そのときの私は幼すぎて、秋田先生の歌詞はまだ少し難しくて、描写にインパクトがあったのを覚えています。時間を経て、いろんなことを経験し、社会人としての日々を過ごした今、秋田先生の歌詞に、毎日を救われています。声、メロディー、歌詞、好きです。この前オンエアされた「令和二年」もめちゃくちゃかっこよかったです。これからも、amazarashi先生の曲を楽しみにしております。いつもありがとう。
秋田ひろむ先生、本当にお久しぶりの来校ですね・・・・ただでさえメディアに出られるイメージがないだけにSOL!は過去に出られてましたからね・・・・
amazarashi先生こんばんは!
私はamazarashi先生の
『名前』が大好きで
登下校時にいつも聞いて元気を
もらっています!
amazarashi先生の作る曲は
強さと優しさとしなやかさを持っていると
思うし、ものすごく心に響いて
言霊ってほんとにあるんだなと感じます。
大好きです!
私にとっての令和二年は、浪人して1年目で
心も体もボロボロになった年です。
一生忘れないと思います。
どんなに辛くて下を向いていても
ふと見上げた時に見える星空に
感動します。
写真は載せられないけど、田舎の星空はほんとに
綺麗です。青森の星空も綺麗ですか?