今日3月11日、あの時小1だった俺は高2に、今日は多くの著名人が宮城に足を運んでくださり、東北を熱く盛り上げてくださいしました。先代のとーやま校長も被災地の南三陸、陸前高田に足を運んでくださり、宮城の良さを発信してくださいました。とても感謝しています。本当に嬉しかったです。10年もたてばもうもと通りになっていると思うかもしれませんが、10年たった今も被災地の問題や、この建物を後世に伝えるために残すかといった問題が起こっています。まだ完璧には復興していません。しかし俺たちは負けません。もっともっと復興するために地域のために頑張ります。それが生き残った俺たちの責任だとおもうから、それがもっと生きたかった人のためになるのなら
被害に遭われた場所は
復興が進んで、完全に元通りにはならない
かもしれないけど、それでも思い出が残ってるって
不謹慎かもしれないけど素敵だなって思った。
いろんな人がいて、二度と住みたいと思わない。という人もいるし、また住みたいけど、今のところでの生活があるから、元の街には戻れないという人もいる。
その中でまた住みたいって思えるっていうのは、凄いと思った。
ふなをさん、DAYS4に載っていた記事を読んだ事があって、ふなをさんの前向きな言葉がすごく記憶に残っていました。
今日はふなを。さんの声を聴くのが目的だったと言っても過言ではないほど、自分の中では印象的な気になる存在でした。声が聴けて本当に良かった!
特別な日だからじゃない
という言葉にハッとさせられました。そうですよね。特別な日は無いんだよね。
震災を経験していない私がこんなこと言っていいかはわからないけれど、きっとふとした時に思い出すんだろうなと思いました。
きっと私には計り知れない悲しい思いをされてる方がたくさんいて、今日11日を特別な思いで迎えている人がいらっしゃるんだろうな。
私は10年前の今日の日を絶対に忘れません。
今日、ここの生徒であり友達である人達と少しだけ10年前のことを話しました。
そして一緒に黙禱をしました。今こうしていられることにも感謝をしないといけないと思いながら。
なんか、10年が経った、ということに実感が持てません。
掲示板に20,30代の方々の書き込みをみたり、逆電を聞いたり、私の見ているYoutuberさんが当時14歳だったという話を聞いたりして、その10年という時間が迫って来ているような感覚です。
上手く言葉に出来ないです。
あの時画面越しにみたものの欠片が、地震などに対する恐怖などを私の心に置いて行った気がします。
亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。
今、大きな地震が起こって
友だちが亡くなってしまったら。家族が津波に奪われてしまったら。
ほんとに想像できない。でも、10年前は実際にあったんだよな…信じられないけど、でも受け入れないと駄目。
トラウマになってたりもするだろうけど、私たちにリアルを伝えてくれて本当にありがとうございます。
被害に遭った人がもう一度その場所に住みたいって思うのってその人たちにしかわからないような気持ちがあるんだろうな…
とーやま校長とやしろ教頭、職員の皆様、高橋優さんへ。10年前、原発事故で散り散りになった同級生ともうひとつの卒業式がしたいという想いを叶えてくださって感謝しています。当時のこと今でも忘れていません。ありがとうございました。
日本列島という土地が非常に不安定なバランスの元成り立っているのは学校の授業でよく分かると思います。
色々なところで災害大国日本と呼ばれるくらいに。
だからこそ日本が中心になって災害について伝えていかないといけないんだと皆さんの話を聞いてヒシヒシと感じています。
さかた校長、こもり教頭、職員の方々、この書き込みを見てくれてる生徒の皆さん、全ての方へ。生きててくれてありがとう…。そして自分と直接ではないにしても、掲示板というネットを介して、出会ってくれて本当にありがとう。
正直生徒の方のほとんどが知らない人、SOLがなければ赤の他人だった(実際にはいまもだけど)。 でもスタンプのひとつとっても「ちゃんと見てくれてるんだ」って思ったり、レスしてくれたら「ほかの人はこう思っているんだ」なんて思ったり色んな人の言葉に支えられてきました。その度に“ひとりじゃない”って思い知らされました。
最後にもう一度。
赤の他人からの一言だと思われるかもしれない。でもそれでもいいから、これだけは言わせてください。
生きていてくれてありがとう。
これは辛いと思います。いつも当たり前のようにあった日常が一瞬にして壊れて。それが人生を共に歩んできた友達ならなおさら。それでも、進めてるっていう事はとてもすごいと思います。
中学1年生の終わり頃、丁度SOLを聴き始めた頃でした。
家に帰るとTVはずっーと地震のことを放送していました。中々現実に起きたこととは思えず過ごしていましたがSOLで避難所から生徒が話しているのを聞いて自分が過ごしている今は当たり前のことじゃないんだ、と1日1日を一生懸命過ごせるようになりました。
今は結婚もして会社員として働きながらUPPER YARDというバンドで活動をしています。
バンドを始めたのもSOLの影響です!!
今日は残業をした帰りに偶然SOLが放送されていたのでつい投稿してしまいました!
当時同世代だったみんなへ
オレたちが未来だ!!!
今、感謝を伝えられるなら伝える、そして話したい人、会いたい人、それは今できること。
と感じた。
今、生きている中でベストを尽くすというのは違うかもしれないけど、後悔がないようにするべきだ。
話し聞いて、すごい。みんなが震災から今まで乗り越えてきたと思うと私もがんばらないとって思った。
もう一度「ありがとう」「ごめんね」「愛してる」って言っておこう、そう思いました。「明日伝えればいいや」は、もう二度と来ないかもしれない。いちばんの宝物はいまそこにあるもの。
気仙沼もかなり大きな被害受けた場所だよね、、
中一の時 先生に、津波の被害受けた当時の写真
見せてもらったけど、津波の惨状を見るのが
めちゃめちゃ辛かったな…
毎年この日が来ると思うことがあります。
絶対にこの日何があったか忘れないように伝えていく必要があると。次世代の人たちに必ず伝えたい。
募金などのお金も確かに必要だが、やはり人たちの中にこの3月11日に起こったことを知らせ、知ってもらうということを第一にしていきたい。将来子供を教育する立場になったら真っ先人数この日のことを伝えていきたい。
私は震災の時は幼稚園生だったけど、弟は2012年生まれだから震災のことを全く経験していない世代です。これからも震災を忘れないために伝え続けることが大切だと思いました。
3.11は、地震がある時や何も考えてない時でもふと思い出します。
それだけ心の中に残っていて、ただそれを言葉にしやすい日が3.11なのかもしれないです。
個人的に。
1万人といっても、1人1人の人生があって、
それが自分の親や親族、友達だったら?
とふと考えてしまうことがあります。
どんどん蘇ってくる。
逃げたい。避けたい。って思っても逃げたり避けたりしては行けない。そして、忘れてはいけない。
でも、月日が経つにつれ経験した人の人数は減り
全く分からない経験したことの無い子供たちが増える。そこで私達、経験した学生達が伝えなければならない。地震という怖さ。津波という怖さ。地震はいつどれだけ大きくて長い地震が来るか分からない。予測できない。津波は最初は3mと予測されていても実際は10mを超えてしまったところもある。自然災害は誰も予測できない。誰も止められない。何も出来ない。ただ備える。命を守る、繋げる。それしかできないということを。
僕は、今年の卒業式で在校生代表として送辞をすることになりました。3.11の当時の卒業式の送辞では、どんなことを言ってたんだろう。でも、なんとなく分かる気がする。その事を思うと、とても悲しくなります。あの時、自分は幼稚園生でした。
僕が話す送辞はそんな大切な想いがつまった文になりました。明日、撮影をします。今日のSOLを聞いて、たくさんの思いを背負って、話したいと思います。
ずっとずっと、もし自分が被災していたら、とか、10年前のみんなはどんな怖い思いで過ごしていたのか、って考えてるけど、考えても考えても分からない。想像もできない。
経験したことがないから分かるわけないんだけど、経験しないと分からない、って、めちゃくちゃ怖い。
そして、分かることができないのが辛い。
1人1人の思いが、形で表せられたらいいと思う。
SOLが聴いている全ての人のその1つの形になっていることが改めてすごいと思う。
10年前の今日悔やむ思いをした人がたくさんいる。その思いを無駄にしないように息をすう。
「日々はそれだけで宝物だから」
ここまで生き抜いたのは当たり前ではないと痛感させられました。生徒の皆さん黙祷はしましたか?これからは私たちは地震を後世に語り継ぎ大人になっても3・11を知らない世代にも教えてこれから同じようなことがあったらどう対処するのかを共に確認しておくことが大事なのかと思いました。もちろんあの時の地震がトラウマで思い出したくないと思う方もいると思います。しかしずっと思い出したくないと、目を背けていては同じことがあったら対処が難しいかもしれません。少しずつでいい。自分のペースでいい。向き合うのも大事なのかなと思います。そうすることが犠牲になった方々への礼儀というかなんというか、生き抜いた俺たちの責任なのかなと勝手に思ったりしています。今があるのは当たり前ではないので1日1日を大切にして、勉強部活を頑張りましょう。生き延びたからにはもっと生きたかった人のために強く生きましょう。生き抜いたからには‥
当時わたしは5歳でしたが、記憶は全くありません。だからこそ、悲しい過去を知りたくなくて、知ろうともしていません でした。
だけど、それを乗り越えたみんなが伝えてくれることを、私は受け取らなければいけない、と思いました。まずは今夜のこの授業を、みんなの声を、しっかりと聴きます。
掲示板を見ていて、掲示板で話したこともない、声を聴いたこともないけれど、
東日本大震災当時のSOL!生徒の先輩たちが帰ってきて掲示板に文字を残してくれていることに、なぜだかわからないけどすごく安心感を覚えてます。
先輩方、帰ってきてくれてありがとうございます。
東日本大震災から今日で10年。
当時私は小学2年生で、小2ながらあの長い地震にとてつもない恐怖を感じて、ニュースで見た津波の映像に衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。今でも故郷に住むことができない人がいると思うと、今自分がこう過ごしていることに対して、申し訳ない気持ちに感じてしまいます。だいぶ復興してきたのかもしれないけれど、まだ元の生活に戻れていない人もいて、早く元の生活に戻ってほしいと思います。
私は単なる学生で、出来ることなんて非常に限られているし、あの時の映像とかを見るとすごく辛くなるけれど、あの日のことを忘れないために、そしてあのような被害をもう起こさないためにも、震災のことを絶対に風化させないようにしていていかなければいけない、そう改めて強く実感しました。
私は絶対に3.11を忘れない
今日の掲示板見て、みんなの
3.11や震災に対する想いが伝わってきて
凄いグッとくる。
みんな当時は私と同じ幼稚園生か
小学生だったんだなって
当時の自分は、幼稚園でなんとも思ってなかったけど今思えば凄く大事な事なんだなと改めて思った。先生や家族から震災の話を聞くととても悲しかった。安心しては行けない。本当に怖い。
僕は家にいてそこで初めて地震という単語を知り、初めてのことなので不安と恐怖でいっぱいでした。
僕は東北には住んでいないですが茨城も結構揺れたので自分も生々しく覚えています。
東日本大震災があったから、東北に行ってみよう。
それでもいいと思う。
真ん中に道路があって周りには建物がない。
水平線上に海が広がる景色。
あれをみた時に、何かを考えてしまう。
でも、東北は自分の生まれた土地であり、東北は好きです。
そして、みんな東北を好きになって欲しい。
そう感じます。
東日本大震災を経験した身として伝えたいこと。
とにかく何もかも妥協はしないこと。
地震の時机の下に隠れることを妥協しない。津波から逃げるのも妥協しない。家や職場で防災をすすめるのも妥協しない。備えは「明日でいいか」と妥協しない。
生きていれば、なんとかなる。
そのためにそれぞれの瞬間で「まあ、大丈夫だろう」と妥協せずに全力を尽くしてほしいと心から願う。
今日は震災のテレビやラジオを聞いてた。
気がついたら涙が出てた。黙祷の時、何故かは分からないけど泣いていた。
私が今日感じた事は被災者の方からしたらとてもちっぽけな事だと思う。震災によって傷ついた人が少しでも笑えたらいいなと思います。
地震って建物とかまちを崩していくだけではないんだな。
人々の日常や心まで崩していく。
でも、そこから人々の手によってまちは復興していく。
まちの復興は、心の復興にも繋がったのではないかな。
地震は強かったけど、精神的な面でもそのときの人々の方が強いなぁというのを感じます。
10年前、私は当時小学2年生。
震災が起きた時、友達と体育館で走り回ってた。
家に帰ってきて、お母さんとお婆ちゃんとテレビで津波の映像を見た時、幼いながら申し訳なくなった。怖くて机の下でお母さんにしがみついて泣いてた。
10年前のことをこんなにもはっきりと覚えてるって、私は被災はしてないけれど私の中でも大きな出来事だったんだなって今日、気付いた。
私はあれから、ちゃんと日々に感謝しているだろうか。周りの人と出会えたキセキを大切にできているだろうか。
今日のSOLで改めて、大切なことが何なのか思い出せた気がします。本当にありがとうございます。
特集されてるテレビとか記事とか、よく見た。お母さんと見ながら話したりもした。さっきの音源も絶句した。でも経験してない私が応援とか悲しい気持ちになった事を言うと、軽くて口先だけに聞こえるというか、分かってないでしょってなるというか。上からに聞こえると言うか。
今15歳以下の子は当時は保育園児とか
10歳以下の子は生まれてない
10年というのは大きい
当時のことを覚えている自分たちが伝えていかなければいけないと思った
10年色々なことがあったけれど、
東日本大震災を、忘れては行けないと思う
当時2歳だった自分に出来ることは、
その時のことを知って、風化させないということ
あとは、毎日の日々を、大切にすること
SOL聞いてたら涙出てきました。私が今感じてる胸が苦しくなる感じなんて地震や津波を経験した人達の辛い気持ちの何分の1になるかならないかくらいちっぽけなものだと思うけど、この気持ちを忘れずに私が今できることを精一杯やっていきたいと思います。