僕は、部活最後の日に、仲の良かった友達と、ファミレスで、ご飯を食べました。
色々な、部活での思い出話に花を咲かせたあと、
最後は、お互いにアツい言葉を交わして、別れました。
あの日、友達から言われた、
「ここが、俺たちのターニングポイントだな」
という言葉を胸に、
今、頑張って自分の人生を生きています。
「ここが、俺たちのターニングポイントだな」って、言葉、
めちゃくちゃカッコいいですよね。
マンガかよ!ってくらいのキザなセリフで、
あの時の自分たちのノリが、ちょっと恥ずかしいのですが、
あの日の、あの言葉があったから、
今、なまけたくなっても、
頑張ろう!って思えています。
校長、COCO教頭、ひな所長、こんばんは。私は今大学に通っていますが、高校の時も最初は誰とも話す気にはなりませんでした。まわりはほとんどが初対面で自分はコミュ障、なので話しかけるのは到底無理なのではないかと思いました。しかし、高3になってから僕に話しかけてくる人がたくさん増えました。あの時話しかけてくれた人たちには、本当に感謝しかありません。そして高校を卒業した今も、その時の友達とはたまにですが話しています。
あの時話しかけてくれなければ、高校、大学とずっと孤独な日々を過ごしていたと思います。これからも高校の時にできた友達を大切にしていきたいと思っています!!
あの日と言われて思い出したのがありました!
それは学校の技術の時間に作ったラジオを試しにいじってみた日です。ラジオなんて聞かないんだけどな〜と思いながら手作りポータブルラジオを眺めて、FMを合わせるところをクルクルしてました。そしたら急にCOCO教頭の声が自分の作ったラジオから流れてきました。その日、ラジオをクルクルしてなかったらSCHOOLOFLOCKに出会えなかったと思っています。そこから聴くようになって、逆電して、お話して、イベント行って、友達できて、生徒の友達と一緒にCOCO教頭のイベントに行って、閃光ライオットに出会って、、、、
ほんとにラジオをいじっただけなのにこんなにもすごい人生というか世界に出会えたことに一番ビックリしてます。これからも大切に手作りラジオ使っていきます!
人生のターニングポイントである“あの日”はいくつかあるけど…今の所1番デカいのが中3の時にその当時1番行きたい高校に出会った日かな。
たまたま説明会に行って、そこで直感的に「ここだ‼︎」と思って第1志望にしたんだよね。
ただ学力的にはかなり手が届かず、周囲からは猛反発を受けたんだ。
それでも当時は幼かったから「いっぱい頑張ったらきっとなんとかなる」と信じて自分なりに頑張ったのよ。
ただ結局は落ちたんだけど(笑)
でもその後滑り止めの私立校に進学して、それなりに頑張ってたんだけど高1の終わりにコロナ禍がやってきたことで何も手につかなくなって、学力も希望も何もかも失って、発達障がいの診断を受けて、浪人して、親からは就職を迫られたりもしたけど、生放送教室で逆電したことがキッカケで受験を続けることを選んで今いる大学に辿り着いた。
正直無茶苦茶な人生を歩んできたけど、今は(私立文系だから身内にちょっとディスられたりもするけど)周囲に恵まれてすごく楽しいから今までの過去は何も間違ってないと思えてる。
だから、あの夏の日にあの高校を目指すことを選んだことに後悔してないよ。
自分はミセス先生との出会いがあるから今エレキギターをしています!ほぼミセス先生の曲のみ弾いてます!
私はこの中学校生活です。
小学校と同じように明るく中学に入りおおこけした4月。そこからいろんなことを経験しました。今思っても辛いことのほうが多いしもう一度やり直したいか?と聞かれると「嫌だ!」と思うくらい戻りたくないです笑。
だけどおかげでいろんな人の痛みをしれたし大人としてとても大きくなれたと思います。周りより大人な考え方をしてしまい苦しむこともありますが成長は嬉しいです。そして何よりこのschooloflockが好きなのも成長したからだと思います。
遅れましたが20周年おめでとうございます!!!私は聞いてまだ一年も立ちませんが毎日この掲示板・学校が大好きです。これからも応援してますしよろしくお願いします!!
こもり校長、COCO教頭こんばんは
僕は今高校でテニスをしています。中学の頃の部活は顧問の先生がガチな人だったため練習もきつく、辞めたいなと思うこともあったのですが、まわりのなかまたちと挫けることなく頑張ったおかげで、高校でも強豪とは言えないですけど精一杯頑張れています!
3年前の夏「ゴン攻めエピソード大集結!10代、真夏の大冒険!」という授業テーマの時に、その時のさかた校長、こもり教頭から初めて書き込みを読んでもらった日を境に、書き込みを読んでもらう時の「県名・年齢・ラジオネーム」がビタッとハマるあの快感が忘れられなくてラジオにのめり込みました。そんなあの日があったから、たくさん書き込んで、奇跡的に読んでもらえて、逆電もできて、あの日のおかげで出来た思い出がたくさんあります!
去年、受験勉強真っ只中のなか全然勉強のやる気が出なくて悩んでいた時に「作ったラジオをつけてみよう」とふと、思ってラジオをつけてみました。その時たまたま流れていたのがスクールオブロックで、こもり校長の言葉やCOCO教頭の言葉ですごい背中を押されました。今JKをめいいっぱい楽しめているのは校長と教頭のおかげです!
ありがとうございます!
これは僕が小学校に入学したての頃でした。
当時の僕は乗り物が大好きな少年で、乗り物に乗る時は、先頭か窓側の席を必ずといっていいほど座っていました。
夏休みのあの日、僕は自宅の最寄り駅からおばあちゃん家まで1人で電車に乗っていくことになっていました。それも普通列車とは違う観光列車に乗車して向かう予定でした。観光列車の始発駅に向かう列車を待っているとそこには通過待ちをしていた乗車予定の観光列車が止まっていたのです。色鮮やかな観光列車に僕は夢中になっていると当時常務していた運転士さんが降りてきて、写真を撮ってくれました。ここまでは一般的な優しい鉄道員だと思います。ですが、その時の運転士さんは普段は入ることの出来ない運転台に案内してくれ、車掌体験やブレーキ操作、警笛を鳴らさせてくれました。そして、運転士の証であり、憧れである制帽を被せてくれました。
僕はあの日、あの時から鉄道員になり、僕が夢を貰ったように今度は多くの子供たちに夢を与える鉄道員(運転士)になると決め、今、憧れであった第1志望の鉄道会社に内定をいただくことが出来ました。