逆電ありがとうございました!!ちゃんと僕のあの日がラジオの前にいる生徒さんまで伝わってるといいです!校長、教頭、ひな所長の温かく受け止め優しく返してくれたのがすごい嬉しいかったです!
今週の土曜にヴォーカルの初レッスンがあるので頑張ってきます!!!!ほんとにありがとうございました!ひな所長また来てくださいね!
私も小学5年の時にちはるさんと似たようなことを経験しました。転校してきた女子が2年でまた別な場所に転校してしまうことになり、かなり仲良くしていたのであの時は本当に悲しかったです。
ちゃんとリアルタイムでは聞いたたんですけど、書き込めてなかったです!とりあえず今週末模試もあって追われてるので簡潔にいきます‼︎アンゼン先生また来週です!アディオス!!
逆電ありがとうございました!
スクールオブロックと出会うまで自分の将来の進路が見つかっておらず、sumika locksと出会ってようやく自分の将来の目標のぼんやりとした形を見つけることができましたが、それに対する努力と覚悟が足りずあの日を迎えてしまいました。浪人した1年は、努力し続けた人からしたら無駄な1年でしょうし、僕も後悔は山のようにありますが、この1年があったからこそ自分の弱さにちゃんと向き合うことができたと思います。
校長が仰った通り、入学できてようやくスタート地点に立てたので、今度は自分の目標に手が届くように今回の経験を生かして努力し続けたいと思います!
過去に好きだった子が転校してしまってすごく寂しかったけど、私の父が学校の先生ということもあって、たまたま父が転校してしまった男の子のいる学校に赴任してまた再会することが出来ました!
だから何かどっかで絶対縁ってあると思います!
大丈夫!
お誕生日おめでとう!
いつも3人が楽しく過ごしてるのがとても好きです!
わかいん!これからも素敵な髪カラーでいてください!赤髪、あの人、、シャン、、に負けずかっこよかったです✨
これはスペイン語で「さよなら」「またな!」を意味する。
違ったらごめんなさい
僕が思うあの日は小学校の時に嫌がらせを受けていた日です。あの時は苦しくてしんどかったけど、あの日自分が耐えることができたからこそ今の気分があると思います。小さいことに折れずに頑張って入れているのは確実にあの日のおかげです。
嫌がらせを受けていた事実は今思い出しても怖くなるくらいトラウマになってしまっているけれど、あの時の自分に耐えてくれてありがとうと感謝を伝えたいです
わざわざ早見さん(確か早見さんだよね)にジングルを新しく録ってもらったなんて、贅沢だね〜
過去を少しだけ気にしなくなった日です。
去年、ゴールデンウイーク明けに学校に行けなくなりました。いじめられていたわけでもなく、学校に居場所もあったのに、どうして私はそんな日々を捨ててしまったんだろうと、ずっと自分を責めたり後悔してめそめそしていました。行事が近づくたび落ち込んだし、勉強もろくにしないで、何も頑張っていない自分は誰にも合わせる顔が無いと本気で思っていて、心配して手紙をくれる友達にも会おうとしませんした。
そんな日々が一年続いて今年の六月、父が読んでいた心理学の本を借りてみたんです。その本を少しかじって影響を受け、不登校になったのを失敗だと捉えるのをやめました。
無駄なものは何もなかったと思えました。私は学校での日々を失ったと思っていたけれど、こうして悩むこともなければ音楽やラジオをここまで好きになることもなかったし、全ては経験になると考えて、自分が選んだ道を正解にするしかないな、と。
その日から吹っ切れたというか、すぐに別室ではありますが学校に行くようになり、二年生の時はもちろん受けていなかったテストを受けることもできて、確実に前進できました。
今受験や卒業が迫ってきてまたそんな後悔がぶり返してきたのですが、あの日の窓が開くような気持ちを思い出して自分のペースで進んでいこうと思います。
第1歩を進めてよかった!!!
ここからがまた大変だと思いますが、応援しています!!!
夢に向かって頑張ってください!!!
まだ逆電したことないので上手く喋れるか分からないけど話してみたいです。
私が幼稚園ぐらいの頃にデビューして、私が小2ぐらいから推しってなって小3で初ライブに行きました。
ザベスにも行きました。最近辛いことがあって、自分に自信がもてなかったときにGENERATIONS先生にとても支えてもらいました。GENEの音楽はなんてったって歌詞が良くてつい聞いただけで泣いてしまいます笑また、皆のかっこいいダンスに背中押してもらい、勇気を貰いました。本当にGENEと出会え無かったら今はどん底だったかもです笑
こんなにも、ラジオを聴き、イベントのために遠くまで遊びにいき、エリアフリーにも登録して、、
ってなったのも、たった一日のことなのです。
去年9月
暇人おジジは、ハードオフに来ていましたw
ジャンクコーナーを漁るのが趣味なので
(宝が良く見つかる)色々見てましたw
そしたら、小型のラジオが500円で売ってたのです!(その頃スマホ持ってなかった)
これで、暇な時間に聴くぞ!っと買いました!
電池を入れて、、適当にツマミ回して、
いつも車で聴く、聞き覚えのある声でした!
何日か、聞いてたとき、深夜ラジオってどんなんやってんのかなってラジオつけたら、
SCHOOL OF LOCK!がやってました!
なんかすごい元気な人と、面白い関西弁やら英語やら言う人
僕はあっという間に気に入って毎日聴くようになりました!
今では他にも色々聞いてて、
Bluetooth付きラジオも買ってもらい
エリアフリーに登録してもらい
(他県の10代番組を聴き)
イベントで会いに行き、
楽しい時間や新たな出会いがありました!
みなさんも!ハードオフに行ってみては?
新しい出会いが見つかりますよ!w
ステッカーめちゃんこ欲しいです♡
Xやってないんですよ、(泣)
僕は小2の時にiPod nanoを買ってもらいました。
買ってもらってからしばらくは音楽を入れて聴いていました。
ですが小6の秋、ふとラジオってどんな感じなんだろうと思いラジオのボタンを押して聴いてみると…男の人が大きい声で叫んでいて聴き入ってしまいました。(それがとーやま校長です笑)「あ、ラジオって古いものだと思ってたけどこんなに面白いんだ」という衝撃を覚えました。
それから時間がある時に少しずつ聴いて、その年のクリスマスにはラジカセも買ってもらいました。
そこからコロナが始まり、家にいる時間が増えた時、ラジオをたくさん聴くようになりました。そしてそれが習慣になりました。
もし小6の時にラジオのボタンに触れることがなければ、小2の誕生日にiPodを買ってもらっていなければ、おじさんが叫んでいなければ、そしてコロナが無ければ、今こうやってラジオを聴いている自分も書き込みをしている自分もラジオ業界を目指している自分もいませんでした。また、全く出会わなかった人もいます。
そんな自分を想像することは全くできませんが、当時の自分には感謝しかありません!!
あの日iPodのボタンを押したから今があります!
私は中学最後の試合がすごく今でも心に残ってます。簡単に言うと、「努力も報われないことがある」ということを身をもって実感できたからです。県大会に出場すること、ピッチャーとして投げることを目標に2年半努力してきました。部活も早く行って、自主練とか自分のできることを最大限にやっていました。でも最終的にピッチャーで出場出来ず、県大会も惜しくも逃してしまいました。スポーツは実力世界ということは知っていたけど、自分の身でその厳しい世界を実感すると辛い部分が多かったです。でもその日があったから、受験とかも報われるように努力できたし、今も試合でピッチャーで登板できるように努力しようと思えました。その時は辛かったし、積み上げできたものが一瞬で壊れたように感じたけど、貴重な経験をできてよかったと今は思っています。
私はむかし、めっちゃ静かでザ・真面目生徒って感じで、ずっと心を誰にも開かずに過ごしていました。でも、小5で学級崩壊になり、溜め込みすぎた結果、担任の先生の胸元で一時間くらい泣きじゃくりました。少し黒歴史っぽいけれど、あの日があったから今は自分らしく過ごせて、はるかに楽です!
去年の中学校最後の野球の大会で、
市の決勝戦で自分のエラーでサヨナラ
負けしてしまったこと。1週間くらい立ち直れない
くらい落ち込んだけど、その失敗より大きい失敗は
ないから、たいていの失敗ではなんとも
思わなくなれた。
あしざわ元教頭が描いてくださったリサイクル部のステッカーイラストを見てきたんですけど、めっちゃ上手い!欲しい!って思ったと同時にCOCO教頭だけ主婦感が半端なくて爆笑してきました(笑)
僕の大切な僕のあの日は兄弟に初めて本気で怒った日です。ずっと兄弟いじめみたいなのをされていてそして本気で怒るとそこからいじめはなくなりました。
小学生の頃、私は水泳教室に通っていました。
その水泳教室は私が通っていた小学校と違う学区にあったので、当然友達もいませんでした。
他の人達は友達と楽しく話しているのに、一人でいるのは自分だけでした。
ある日、ゴーグルを無くしてしまいました。
更衣室や広場などを焦りながら探していると、ある男の子が話しかけてきました。
その男の子は見覚えのあるゴーグルを差し出してきました。
それは私のものでした。
「ありがとう!」と私は言い、そこから少しずつその男の子と話すようになりました。
いつも1人でしていた準備運動も、点呼も、唱和も、2人でしました。
その男の子を通して、他にも色々な友達ができました。
名前は知っているけど、何歳かも、どこに住んでいるのかも知らない、優しい男の子。
その男の子は何も言わずに急に水泳教室を辞めてしまって、もうその男の子と会うことありません。ですが、あの日のお陰で水泳教室に通うのがより楽しくなりました。あの日のお陰でたくさん友達ができまし
た。
元気してました!?!?インスタのストーリーすっっっごい楽しそうでしたけど何がいちばん楽しかったです!?
自分のあの日は学校の強面の先生に話しかけに行ったときです。そこまで自分は学校の先生と関わると言うことが苦手であまり関わってきませんでした。なのでもちろん強面先生とは関わりたくありませんでした。しかし、教科担任がその強面の先生で自分はその係になってしまったのです。けれども話しかけると意外と優しくF1と言う趣味も合致してすぐに仲良く喋れる仲になりました。この事件がきっかけで今では先生と積極的に関わるようにしています!
僕は中学校の卒業式がきっかけで物事の考え方が変わりました。中学時代、生徒会役員をしていて仕事を頑張っていました。仕事をたくさんしていたんですが、達成したかった目標を叶えることができませんでした。他の役員が上手くいっているのを見て悔しい気持ちともっと頑張れたかなという気持ちでした。
卒業式の日、担任の先生がクラスの一人一人にメッセージカードを書いてくれていて僕ももらいました。僕の担任は生徒会の顧問でもあっていつも相談にのってくれてました。そのメッセージカードには、『 お前には沢山の難しいことを言ってきた。でも、期待を超えることをいつもしてくれた。頼りすぎだったかもしれないけど、ありがとう』と書いてありました。その時に、自分のやってきたことは間違いじゃなかったって思わせてくれました。
そこからは小さなことでも一生懸命取り組み、特に誰かのためになることを進んで行うようにしてます
あの時この言葉をくれた担任の先生、ありがとうございます
20年も生きていれば「あの日があったから今がある」というエピソードはいくつかあるのですが、今回は「あの日」の出来事は一番小さいけど大きく今に繋がったエピソードを書こうと思います!(前にも掲示板に書いたことある話なんですけどね笑)
2022年の1月某日です。そのとき私はYoutubeを見ていて、ふとオススメに流れてきた動画を再生しました。その動画は豆柴の大群のメンバーがクロちゃんの家にピンポンダッシュをするというものでした。そこから、豆柴のYoutubeにハマり、大丈夫サンライズという曲を聞いて、私の推しグループになりました。そして、何かレギュラー番組とかはないのかなと調べて出てきたのがSCHOOL OF LOCK!でした。その後、4月には掲示板登録をし、その1年後には廊下にも出没するようになり、今ではたくさんの生徒さんと交流するようになりました。
あの日あの動画を見てなければ、こも書き込みをすること、たくさんの生徒さんと交流することはなかったかもしれません。
あの日やったことは「おすすめに流れてきた動画を見る」たったそれだけでず。しかし、この出来事は私の人生(特に今)に大きな影響を与えたのです!!!
僕は、ラジオに出会ってから人生が変わりました。
ラジオに出会う前は、特に、これといった趣味もなく、
単調な日々を過ごしていたのですが、
あの日、ラジオに出会ってから、
毎日ラジオに情熱をそそぐようになり、
毎日ラジオで馬鹿みたいに笑うようになり、
ラジオがキッカケで、趣味も増えて、
ラジオがキッカケで、推しも出来て、
ラジオがキッカケで、将来の夢も出来て、
ラジオのおかげで、毎日が、忙しく、楽しくなりました。
あの日、ラジオに、出会っていなければ、
僕の人生は、つまらいものになっていたかもしれないです。
ただ、身長が161センチしか無いのも、
深夜ラジオのせいです。
そこだけは、ラジオが許せません。
おいラジオ!身長よこせや!!
私の「あの日」はもちろん、スクールオブロックと出会った2023年9月5日火曜日です。日付まで覚えてます。
結構な頻度で書き込ませてもらってる内容なのですが、あの日はコロナにかかって1週間ほど家族と離れて過ごすことになって数日経った日で、部屋の外から聞こえてくる賑やかな声ひとつひとつに憂鬱になったりしていました。その日の夕方、受験期にラジオを聴いていたという父が、暇だろう、と防災用で買っていた小さなラジオを私に貸してくれました。
正直、最初はラジオがすごく遠いものだと感じていて、聴いても変わらないんじゃないかな…と思っていたのですが、毎日同じ時間に同じ声が流れていると不思議と耳にすっと入ってくるようになって、いつの間にかスクールオブロックが毎日の楽しみになって今では大切な心の拠り所です。
スクールオブロックのことを知らなかったけどスマホを使っていい時間が夜の9時までだったので授業中に出てくる、「ボカロLOCKS」とか「未来の鍵を握る」とかを紙に書いて次の日調べたのを覚えています笑。
あの日があったからこそ、「今日の授業楽しみだから頑張ろう!」って思えるようになったし、色んな音楽を聴くようになったし、人生のターニングポイントにもできる日です。
校長、教頭、景井ひな所長こんばんわ!
先週から色々と秘密にされていたリサイクル部が今日から始まるのでとても楽しみにしています!
私にとってのあの日は、幼稚園の時に父の職場に入らせてもらったことです。
あの日、父が働いている場所や雰囲気、父の同僚の方々を見て、かっこいいと感じたから自分の夢が決まり、今通っている高校に入学をしようと決めました。
時間にしたらたった数分のことだったかもしれませんが、そこで自分の将来への大きな道が開いたかもしれません!
僕は、部活最後の日に、仲の良かった友達と、ファミレスで、ご飯を食べました。
色々な、部活での思い出話に花を咲かせたあと、
最後は、お互いにアツい言葉を交わして、別れました。
あの日、友達から言われた、
「ここが、俺たちのターニングポイントだな」
という言葉を胸に、
今、頑張って自分の人生を生きています。
「ここが、俺たちのターニングポイントだな」って、言葉、
めちゃくちゃカッコいいですよね。
マンガかよ!ってくらいのキザなセリフで、
あの時の自分たちのノリが、ちょっと恥ずかしいのですが、
あの日の、あの言葉があったから、
今、なまけたくなっても、
頑張ろう!って思えています。
校長、COCO教頭、ひな所長、こんばんは。私は今大学に通っていますが、高校の時も最初は誰とも話す気にはなりませんでした。まわりはほとんどが初対面で自分はコミュ障、なので話しかけるのは到底無理なのではないかと思いました。しかし、高3になってから僕に話しかけてくる人がたくさん増えました。あの時話しかけてくれた人たちには、本当に感謝しかありません。そして高校を卒業した今も、その時の友達とはたまにですが話しています。
あの時話しかけてくれなければ、高校、大学とずっと孤独な日々を過ごしていたと思います。これからも高校の時にできた友達を大切にしていきたいと思っています!!
あの日と言われて思い出したのがありました!
それは学校の技術の時間に作ったラジオを試しにいじってみた日です。ラジオなんて聞かないんだけどな〜と思いながら手作りポータブルラジオを眺めて、FMを合わせるところをクルクルしてました。そしたら急にCOCO教頭の声が自分の作ったラジオから流れてきました。その日、ラジオをクルクルしてなかったらSCHOOLOFLOCKに出会えなかったと思っています。そこから聴くようになって、逆電して、お話して、イベント行って、友達できて、生徒の友達と一緒にCOCO教頭のイベントに行って、閃光ライオットに出会って、、、、
ほんとにラジオをいじっただけなのにこんなにもすごい人生というか世界に出会えたことに一番ビックリしてます。これからも大切に手作りラジオ使っていきます!
人生のターニングポイントである“あの日”はいくつかあるけど…今の所1番デカいのが中3の時にその当時1番行きたい高校に出会った日かな。
たまたま説明会に行って、そこで直感的に「ここだ‼︎」と思って第1志望にしたんだよね。
ただ学力的にはかなり手が届かず、周囲からは猛反発を受けたんだ。
それでも当時は幼かったから「いっぱい頑張ったらきっとなんとかなる」と信じて自分なりに頑張ったのよ。
ただ結局は落ちたんだけど(笑)
でもその後滑り止めの私立校に進学して、それなりに頑張ってたんだけど高1の終わりにコロナ禍がやってきたことで何も手につかなくなって、学力も希望も何もかも失って、発達障がいの診断を受けて、浪人して、親からは就職を迫られたりもしたけど、生放送教室で逆電したことがキッカケで受験を続けることを選んで今いる大学に辿り着いた。
正直無茶苦茶な人生を歩んできたけど、今は(私立文系だから身内にちょっとディスられたりもするけど)周囲に恵まれてすごく楽しいから今までの過去は何も間違ってないと思えてる。
だから、あの夏の日にあの高校を目指すことを選んだことに後悔してないよ。
自分はミセス先生との出会いがあるから今エレキギターをしています!ほぼミセス先生の曲のみ弾いてます!
私はこの中学校生活です。
小学校と同じように明るく中学に入りおおこけした4月。そこからいろんなことを経験しました。今思っても辛いことのほうが多いしもう一度やり直したいか?と聞かれると「嫌だ!」と思うくらい戻りたくないです笑。
だけどおかげでいろんな人の痛みをしれたし大人としてとても大きくなれたと思います。周りより大人な考え方をしてしまい苦しむこともありますが成長は嬉しいです。そして何よりこのschooloflockが好きなのも成長したからだと思います。
遅れましたが20周年おめでとうございます!!!私は聞いてまだ一年も立ちませんが毎日この掲示板・学校が大好きです。これからも応援してますしよろしくお願いします!!
こもり校長、COCO教頭こんばんは
僕は今高校でテニスをしています。中学の頃の部活は顧問の先生がガチな人だったため練習もきつく、辞めたいなと思うこともあったのですが、まわりのなかまたちと挫けることなく頑張ったおかげで、高校でも強豪とは言えないですけど精一杯頑張れています!
3年前の夏「ゴン攻めエピソード大集結!10代、真夏の大冒険!」という授業テーマの時に、その時のさかた校長、こもり教頭から初めて書き込みを読んでもらった日を境に、書き込みを読んでもらう時の「県名・年齢・ラジオネーム」がビタッとハマるあの快感が忘れられなくてラジオにのめり込みました。そんなあの日があったから、たくさん書き込んで、奇跡的に読んでもらえて、逆電もできて、あの日のおかげで出来た思い出がたくさんあります!
去年、受験勉強真っ只中のなか全然勉強のやる気が出なくて悩んでいた時に「作ったラジオをつけてみよう」とふと、思ってラジオをつけてみました。その時たまたま流れていたのがスクールオブロックで、こもり校長の言葉やCOCO教頭の言葉ですごい背中を押されました。今JKをめいいっぱい楽しめているのは校長と教頭のおかげです!
ありがとうございます!
これは僕が小学校に入学したての頃でした。
当時の僕は乗り物が大好きな少年で、乗り物に乗る時は、先頭か窓側の席を必ずといっていいほど座っていました。
夏休みのあの日、僕は自宅の最寄り駅からおばあちゃん家まで1人で電車に乗っていくことになっていました。それも普通列車とは違う観光列車に乗車して向かう予定でした。観光列車の始発駅に向かう列車を待っているとそこには通過待ちをしていた乗車予定の観光列車が止まっていたのです。色鮮やかな観光列車に僕は夢中になっていると当時常務していた運転士さんが降りてきて、写真を撮ってくれました。ここまでは一般的な優しい鉄道員だと思います。ですが、その時の運転士さんは普段は入ることの出来ない運転台に案内してくれ、車掌体験やブレーキ操作、警笛を鳴らさせてくれました。そして、運転士の証であり、憧れである制帽を被せてくれました。
僕はあの日、あの時から鉄道員になり、僕が夢を貰ったように今度は多くの子供たちに夢を与える鉄道員(運転士)になると決め、今、憧れであった第1志望の鉄道会社に内定をいただくことが出来ました。