3度目で目覚ましを止める
スライドした画面が去年の桜を映す
寝起きの顔に覚えたてのメイクを
街で買った安物のハイヒールは
慣れない足をひりひり痛める
あの町から履いてきた白いスニーカーは
とっくに捨てた。
なんだっていいんだ
この街に染まれば
なんだっていいんだ
忘れてしまえば
【この前書いた、上京という詩の続きです】
好きな人に 会った時 胸が 痛かった
「どんな風に?」
好きっていう 硬くて まっすぐで 重い アメみたいな棒が 心っていう 部分に まっすぐ 突き刺さるように
同じ気持ちで 別の人を 好きになる時が また 来るだろうか…?
大人の正しいと子供の正しいは違う。
その正しいが本当に正しいかどうかなんて誰にもわからない。
正しいことでもみんなが正しくないと思えば正しくないのだ。
ここはそういう世界だ。
みんなをよく見てすり抜ける人はここをうまく生きていける人。
今日も私達は必死に自分の半径5cmを守りながら生きていく。
人見知りのはずの親友が新しい学校でうまく生きてる。
人付き合いの苦手な友達が友達をたくさん作っていた。
ついこないだまで隣にいた友達の隣には知らない子達。
なんかさみしいなぁ。
戻りたい。私だけですか?
今日も綺麗な星が見える
でもいつもと違う
なぜだろう
そうか
1人で見てるからじゃないからだ
世の中の声
そう思う
そうは思わない
どちらとも言えない
どちらとも言えない なんていらない
yes か no で答えなきゃ
きっとこの答は 矛盾 している
午前3時は、夜明けにとても近い癖に、夜は永遠だと錯覚させる、まるで神様のようだ。
岡っ引きが持っていた縄で相手の手首を後ろで巻き、先の場所へ戻る。既に蒼はいて、その横でお縄となっているもう一人は気を失っている。頬からは紅いものが垂れ、乾ききっていない。
「物騒な…。」
こう呟く朔を視界に入れた蒼は、少々驚いて見せる。
「怪我無し?お前凄いな。」
「凄いというか…武術だって顔に一発入れるようなものはなかったはずだけれど。」
苦笑いする朔。
岡っ引き二人を並べ、
「姐さん迎えにいくか。」
「そうだね、」
一先ず落ち着いたかと思った矢先だ。
『―――!?』
藤が出てきたのだが、もう一人、知らない男がいる。
その男は、手で藤の口を塞ぎ、首筋には包丁を当てている。抵抗できない状態で、藤はぐったりしているようにみえた。
「男二人も揃っているってのに、女一人守れないとはなあ。」
もう一人いるとは聞いていない。
「おい朔、どういうことだ。」
相手からは視線を外さないものの、多少の焦りが窺える。朔も同様に。
「まずはそいつ等二人を連れてこい。
この女がどうなってもいいのか!?早く!」
人質を取られてしまっては。
まず先決は藤の安全だが――
きこきこ、きこきこ。
私は生糸を紡ぐ。
そう、見えない布を創るために。
ノスタルジックな気持ちの時ほど出かけたい時はない。
足は自然とペダルを踏む。
その時私はこう思うのだ。
はるか先まで見える直線の線路を見たい、
誰もいない田園の稲穂に囲まれたい、
河川敷で自分の住んでいる街を見たい、と。
当然、
直線の線路を見たからと言って、
稲穂に囲まれたからと言って、
街を眺めたからって、何かが起こるわけじゃない。
そこに言った時に思うことは一つ。
ああ、来るところまで来てしまったな。
それだけである。
達成感と言えば片付くのだろうか。
否、それはきっと違う。
私が自ら体験したかったのは達成感等ではなく、
時間という名の虚無感、それにつきる。
時間というのは幾つものレイヤーの重なりだというのは自明の理であろう。
私はその景色にきっと死んでしまったレイヤーを見つけようとしているのだろう。
もし時間というモノを死んでしまったレイヤーの重なりと定義するならば、死んでしまったレイヤーを確認できない時間とは、そのレゾンデートルを満たしていないということだろう。
つまり、私はそのノスタルジックな気分に動かされ見に行く景色に、今を生きる時間のレゾンデートルを求めているのである。
しかし、私は何処かで真逆の思いを求めてはいないであろうか。
つまり、
そのレイヤーが生きているという期待である。
何処かでこんな話があった。
『もし、亡くなった家族が居たとして、その家族が急に朝に「やあ、元気かい?」ってドアを開けて来ても私達は何の違和感も感じない。
つまり、私達は心の何処かで諦めとともに叶うはずもない願いに無意識に期待しているのだ。』と。
私は期待しているのであろうか。
もし期待しているならば、私は先に定義した時間が壊れることを望んでいるのか。
私はそれに、イエスともノウとも応える。
此処で私は筆を置くことにする。
後は君たちが考える番だ。
私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば世界が酷いからだ。だってこの世はあの世に決まっている。この目で見たことがなくたって、引きこもりの私にだって、そのくらいのことはわかるのだ。
私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば世界が憎いからだ。申し遅れたが私はニワトリなのであった。時間と絶望は同義である。私の体は日に日に育ち、産まれてもいないくせに、ヒヨコのままではいられなかったのだ。
私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば世界が怖いからだ。意味なく頬を伝っていた涙は、いつの間にかかわいていた。人の目を気にせず泣きっぱなしでいられるのは、独りぼっちの特権だ。
私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば私が臆病者だからだ。飛べない空も泳げない海も見たくはなかった。広い世界の中のちっぽけな存在でいるよりも、狭い殻の中にいっぱいの存在でいた方がいいじゃないか。
私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るゆうきなど、ない。「現実」以外のどこかで幸せになりたかった。殻の中で生きている。殻の中で生きていく。きみのこえも、きこえないけれど。
四月の風は優しい 頬を撫でていく風を追いかけながら 明日 あの丘に行ってみよう
きっと何かが 俺を待ってる
結局、すべてをさらけ出すことも、上手く取り繕うことも出来ずに、ただ顔を赤くして俯くことしかできなかった。
What can I do if tomorrow is the last day of my life?
What can I do for myself?
I believe that I have a chance to do it all.
I believe all what I did is the proof of my effortーthe road toward success.
I believe in myself!
I decide...decide...
... to believe in my possibility!!
自分の可能性に気づけたことに感謝。
そんな自分を見出してくれたsolに感謝。
働くことは人を楽にすること。
でも、働いてる人はいつまでも、楽にはならない。
いや苦労することで人は成長できる。
だから、皆働くのかもしれない。