琥珀は林檎の首根っこを咥えたまま光の漏れる扉からじりじりと離れる。
「こんな時間に子供?」
人に見つかると捕獲される可能性があるのでできれば見つかりたくはないのだが、生憎この廊下は障害物がなかった。小さな兎の林檎ならいざ知らず、琥珀はかなり大きい大型犬だ。見つからないというのは無理がある。
「…?」
脱兎の如し。琥珀は逃げることを選んだ。長い廊下を大型犬は全力で駆け抜けた。
『こはく、もういいんじゃない?』
林檎がぱたぱたと身体を震わせるので、琥珀は林檎の首根っこを離した。林檎はとてとてと歩きまわり、壁を興味深そうに眺め始めた。
『どうした林檎?』
『これ、え!』
『ああ、絵?そうだな、絵画だな』
どうやらここは画廊であるらしい。
空は雲が1つもなく、どこを撮っても青しか映らないほどの快晴。自分なんか入る隙もない、などと愚痴りながら歩いている。高校生Aの黒い影が気になってーもともと猫のために通っていたあの道へ向かう。下に目を落としてゆっくり歩を進める。いつも以上に街が静かで自分の耳を引っ張ってみた。自動販売機の赤色が見えてくる。自動販売機はいつものように横にリサイクルボックスを携えて、そこにあった。人より遅い一歩がいつもの倍の速さで前に進む。一昨日と同じ景色。昨日と違う景色。車が一台、自転車が一台、過ぎていく。前にも自動販売機で飲み物を買っている人はいた。日々はいつもと同じように過ぎていく。なぜか鮮明に残る昨日のひと時を眺めながら、回れ右をした。靴屋を曲がり重いドアの前に着く。やけに大きく響くドアが閉まる音を後ろに階段を駆け上る。ナップサックを床に投げ捨てた。布団の上に転がり天井を見つめる。いつまでも心臓の動悸が止まらなかった。
「なんで、何でなんだろう。」
今まであの自動販売機の周りで人がいることに気づいても気に留めなかった。トタは何かを責めている。ふとちゃぶ台の上のラジオが目に入った。動くことにすら気が入らない。寝返りをして、電源を入れる。聴き慣れない声に感じる冷たさが今は心に沁みた。相変わらず明るく照らす陽がカーテンの隙間から差し込んでいた。