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青春サポーターズソング

私を支えてくれるのは、スキマスイッチの「全力少年」です!
私は中学校に上がる時、福岡から熊本に引っ越しました。しかし、上手く友達が出来ずクラスで居場所がなかったので、毎日辛いと感じていました。そして、「自分は悪くない、周りは小学校から仲がいい人同士で集まってるし、一人福岡から来た私が上手くいかないのもしょうがない」と思いこむようになりました。そんな時、スキマスイッチを聴きはじめて好きになり、今までサビしか聴いたことがなかった全力少年を初めてちゃんと全部聴いてみました。
「試されてまでもここにいることを決めたのに 呪文のように仕方ないと呟いていた」
1番のBメロの歌詞が、私の痛いところを狙ったように突き刺さりました。実は、自分が引っ越したその年に熊本に行くかどうかは自分で決めたことでした。次かその次の年に引っ越す可能性は高かったのですが、それでも一人福岡に残る父と一緒にとりあえずは福岡に残るという選択肢も選べたのです。でも、「中学校の途中で引っ越すと、福岡の友達との別れが余計辛そうだし高校受験も大変そうだから小学校卒業のタイミングで熊本に行く」と自分で決めました。そのことを、全力少年を聴いて思いだし、自分で熊本に来ることを決めたのだから頑張らないと、と思えるようになりました。それからは、何をするにしても大変だと思ったり苦しく感じた時にはこの歌詞を思い出して、自分で選んだ責任を意識するようになりました。それは苦しいけど、周りのせいにするよりは不思議と楽だということに気づき、今でも全力少年には、そしてスキマスイッチにはとても感謝しています。

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芸人のネタをマネた結果…

忘れもしない、小学校2年生の時です。私の小学校では毎週火曜日、お昼の放送でビンゴをやっていました。クラスごとにビンゴカードが配られ、揃ったらクラス代表が放送室に行ってよろこびを伝える、という仕組みでした。その日は私ともう1人男の子が代表で、ビンゴになったら当時流行っていたレイザーラモンHGさんのモノマネをしようと話していました。そして無事ビンゴになって放送室に行くと、まずは名前を言ってと言われ、放送の仕組みをわかっていなかった私はありったけの大声を出してしまいました。放送委員の先輩は苦笑いしただけで済ませてくれたのですが、偶然そこに居合わせていた校長が何かのレバーを一番下までぐっと下げるのが見えました。その時は特に気にせず、二人で楽しみにしていたレイザーラモンHGさんのモノマネを精一杯やって帰りました。しかし、教室に戻って、ねえ面白かった?と友達に聞くと、えー何も聞こえなかったよと言われました。その時私は初めて、校長が下げたのは音量のレバーで、何故か一番下、つまり0にされたということに気付きました。一生懸命モノマネしたのに…と、感じたことがないくらい悔しさがこみ上げてきて、絶対リベンジしてやる!と決めました。そしてとった手段は、放送委員になるということでした。自分で音量をいじって好きなことを話したいという一心で入ったのですが、やってみるとそれ以外の面白さも沢山あることに気付いて、結局私は8年間、放送委員(5、6年生)→放送部(中学校)→放送部(高校)と続けました。悔しいことも失敗も多かったし、目立つ結果は残せなかったけど、長く続けた唯一のことです。あのときモノマネで消化不良していなかったら、放送をやっていなかったと思います。あのこと自体は今思い出してもムカつきますが(笑)、感謝もできるようになりました!