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あしざわ教頭ありがとうございました

私がスクールオブロックを毎日聴き始めたころ、ちょうどあしざわ教頭が新教頭としてこの学校にいらっしゃいました。何度か逆電もいただき、フリーダムも叫ばせてもらいました。全国を回るイベントで熊本のびぷれす広場にいらして生校長と教頭を見れたのもいい思い出です。教頭のいたスクールオブロックが、がっつり10代の私の青春でした。
その日々の中でも特に教頭に感謝していることあります。それは、先輩と仲良くなるきっかけを作ってもらったことです。あしざわ教頭の声をはじめて聴いて数日経ったころ、私は教頭の声が部活のひとつ上の先輩とそっくりなことに気がつきました。私はまだその先輩とそんなに仲良くなかったのですが、ラジオなんか聴いてないかもと思いつつも先輩との雑談の中で教頭の話をしてみたのです。すると、予想以上に先輩は食いついてくれて、そこから沢山スクールオブロックの話をするようになりました。そして徐々に他のことも話せるようになっていき、私は先輩のことを「教頭」というあだ名で呼ぶほどになりました。その人はとても優しくて私が先輩ではなく教頭と呼びはじめどんどん馴れ馴れしくなってきても全然怒らなかったし、私が別の先輩ととても険悪になった時もものすごくやんわりと諭してくれて、その時教えてもらったことは今も自分の中で大事にしています。
卒業してからは大学も違うのでもうほとんど会わなくなってしまいましたが、部活終わりにみんなで遊んでいる時にその先輩が言った「ずっとこうしていたい」というのを私は未だに忘れられなくて、それくらい大切な、大切な思い出です。私はひどいコミュ障で誰かと仲良くなるには時間がかかるし、きっかけがないと話をする勇気も出ない人間です。だから、あしざわ教頭がスクールオブロックに来てくれたおかげで、教頭でいてくれたおかげで、私はとても尊い思い出を得ることができました。本当に感謝しています。ありがとうございました!そして、お疲れ様でした!

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公開インタビュー

ユニゾン先生、「10%roll,10%romance」聴きました!!!最初の音から勢いと色がすごくてまるで、世界中の景色を全部詰めこんで万華鏡にしたらこんな感じだろうな、というようなきらきらした衝撃が飛び込んできました。
この曲のことで質問したいのは、「君がどんなフレームに僕を入れるのか知りたいけど4年くらいは後でもいいか」という歌詞についてです。CDの外側に引っ付いてる紙にも「4年後もどうせ君が好き」とありましたが、何故〈4年〉なのでしょうか?自分で考えた説は2つあって、1つは「オリンピックやワールドカップ、うるう年など4年に一回のものは多いし季節も日本では4つに区切られているため、4というのは節目に丁度いい数字だから4年にした」説で、もう1つは「新婚は3年目くらいまでのことを言うし仕事でも新入社員が3年頑張れって言われるのを聞いたことがあるから3年だとまだ定まらない感じがするし、かといって5年はアーティストによってはベストアルバム出すくらい節目感や長続きしてる感があるからちょっと定まり過ぎな感じがするので間を取って4年くらいが〈君がどんなフレームに僕を入れるのか〉知るのにいい加減」説です。正解は全く違うかもしれませんがぜひどういう〈4年〉なのか聞いてみたいです!

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Fools

今日はバニラズ先生来校!!本っっっっ当に楽しみです!Fools明日フラゲします!ラッキースターもめっちゃ観てます!熊本のライブも行きます!
私は大学生になってからやっと思いきりFoolになれました!ロック研究会というサークルに入って、初めて大好きなロックのことをどれだけでも語り合える友達や先輩にができたからです!みんなロック馬鹿な空間は本当に楽しく、いつかバニラズ先生の曲もコピーしようねと言ってます。
しかし、私はもう1つFoolになりたいことがあります。恋愛です。サークルの同級生にちょっと気になるなーと思っている男の子がいるのですが、どうやって仲良くなればいいのかわかりません。これまでも好きな人がいたことはあるのですが、いつも上手にアプローチにできずにむしろ距離が遠くなってしまうようなことばかりで、今は半ば自分は誰かと付き合ったりは無理なんじゃないかと諦めています。(ラバーズなどを聴くと心臓に刺さって痛くなります笑)でもせっかくの大学4年間、楽しい恋だってしてみたいです!迷いを取っ払っていっそそれこそ馬鹿になるくらいの気持ちでいった方がいいのは分かるのですがどうしても行動ができません…。バニラズ先生、何かアドバイスをください!!!!

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青春サポーターズソング

私を支えてくれるのは、スキマスイッチの「全力少年」です!
私は中学校に上がる時、福岡から熊本に引っ越しました。しかし、上手く友達が出来ずクラスで居場所がなかったので、毎日辛いと感じていました。そして、「自分は悪くない、周りは小学校から仲がいい人同士で集まってるし、一人福岡から来た私が上手くいかないのもしょうがない」と思いこむようになりました。そんな時、スキマスイッチを聴きはじめて好きになり、今までサビしか聴いたことがなかった全力少年を初めてちゃんと全部聴いてみました。
「試されてまでもここにいることを決めたのに 呪文のように仕方ないと呟いていた」
1番のBメロの歌詞が、私の痛いところを狙ったように突き刺さりました。実は、自分が引っ越したその年に熊本に行くかどうかは自分で決めたことでした。次かその次の年に引っ越す可能性は高かったのですが、それでも一人福岡に残る父と一緒にとりあえずは福岡に残るという選択肢も選べたのです。でも、「中学校の途中で引っ越すと、福岡の友達との別れが余計辛そうだし高校受験も大変そうだから小学校卒業のタイミングで熊本に行く」と自分で決めました。そのことを、全力少年を聴いて思いだし、自分で熊本に来ることを決めたのだから頑張らないと、と思えるようになりました。それからは、何をするにしても大変だと思ったり苦しく感じた時にはこの歌詞を思い出して、自分で選んだ責任を意識するようになりました。それは苦しいけど、周りのせいにするよりは不思議と楽だということに気づき、今でも全力少年には、そしてスキマスイッチにはとても感謝しています。