疼痛の嵐と共に 降り立つ彼は声を持たない 顔も腕も何もかも 本当は在りやしないのだと つまり彼は私自身なのだと そんな事を気付くのに何年も掛かって 気付いた端から忘却を願っている
たぷたぷに詰まった脳みそ。 レヴィンとレヴィナスとレヴィ=ストロースの違いとか。 地雷はオタワ条約で、クラスターはオスロ条約だとか。 ニーチェもフーコーもキルケゴールもフロムも、本居宣長に新井白石に安藤昌益。法然だとか源信だとか。 ウパニシャッドとジャイナとヒンドゥーとか。 そんな知識は、もう、要らないなんて。 この一年、何をしてたのか。 私の一年、何だったのか。 (倫理を一番勉強してた。色んな思想で、頭と心がおかしくなるような受験科目。好きだったのにな。)
少し濡れた、睫毛の先。 赤い頬に溶けた貴方の夢。 その窓から覗く世界を、 好きになってしまった私を その世界の入口まで連れていってくれますか。 何処までも透明な空気を泳ぐ言葉と、 ふわり、漂う貴方だけの色が、 好きだと言ったら、 困ったように笑って、 空をみるのかな。
傘を忘れる雨の日が増えて 化粧を落とし忘れて眠る日が続く 気が付くと床に服が散らばっていて 気が付くと何も食べずに日が暮れている だらしなくなったわけじゃないの ただ 貴方が家から出て行っただけ
遠い何処かで 飢え死ぬ人がいるからなんだっていうの 瞬きの間に 殺された人がいるからなんだっていうの 目の前で苦しむ私のことすら救えない そんな貴方が都合のいい時だけ ポルノとして それを持ち出すことのほうが そうして優越感に浸ることのほうが よっぽど傲慢なんじゃないの
死ぬほど寂しかったよ なんて 泣き笑う貴方は嘘吐きね 私がいなかったからといって 貴方の世界が灰色になるでなし 私がいなかったからといって 貴方の笑顔がくすんでしまうこともなし それなりに賑やかで それなりに楽しい日常生活を 案外 満喫していたくせに 目の眩むような甘い言葉も 情熱的に音を立てるキスも 息が詰まるほどのハグも それなりに本音だけれど 心からのと言ったら真っ赤な嘘だわ 分かるのよ だって 私も すっかり おんなじだから
すぐに行くわと微笑んだ私の 掌が震えていたのに 貴方はきっと気付いてた きっと待っててと微笑んだ私の 瞳が滲んでいたのに 貴方はきっと気付いてた のんびりでいいよと微笑んだ貴方の 掌が頰から剥がれてゆくのを 私は ただただ眺めてた 気を付けておいでと微笑んだ貴方の 瞼がゆっくり下りてゆくのを 私は ただただ眺めてた ごめんなさいと頭を垂れる私を 覗き込むように時を止めた 貴方はきっと知っていた
ぱくり ぱくりと 空を食む 腹の足しに なりもせぬ
振袖に袖を通して 貴方の臆病を一蹴する権利を得るの 美味しいアテの作り方 綺麗なビールの注ぎ方 花嫁修行にしては安っぽいけど 貴方のために覚えたの 水回りのお掃除 洗濯物のアイロン掛け みんな私に任せてね ネクタイだって 毎朝私が選んであげる だから だから 2度目も 気の迷いだなんて そんなふうに誤魔化したりしないで 私の想いを 踏み躙ったりしないで ね、お願いよ 先生
喧騒の切れ間 ふ、と浮かび上がる静寂の中では 覚えてしまった指が 何度も何度も その名を綴って 覚えてしまった唇が 何度も何度も その名を呼んで それは虚空に霧散するのみと その都度 目の当たりにしているくせに その余韻も溶けきらぬうちに指は唇は 懲りずに走り始める