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東日本大震災から15年

今日は3月11日です
東日本大震災から15年経ちました
職場の後輩と話してたら当時は中学生だったと言ってたので、時の流れを実感します

発生当時は19歳で社会人1年目でした
工場で測定作業してた時だったけど、2分程の縦揺れで地震酔いしました

休憩室のTVで見た津波が現実に起きてることと受け入れなかったです
2週間仕事が休みになったり、計画停電の影響で土日に仕事したりと忙しく過ごしてました

それでも聞き続けてたのがこの番組です
当時はとーやま校長とやしろ教頭でした
BUMP OF CHICKENのメロディーフラッグを流したりガラスのブルースの弾き語り、サカナクション山口一郎さんの上を向いて歩こうを泣きながら歌う等覚えてます
一時期は震災直後や関連した授業の録音を聞いてました

20代からは東北に3回行きました
宮城県の仙台空港近くにある千年希望の丘では津波10m地点に記念碑やベンチが置いてあり、家があった場所が広い公園に変わってる現実をみました

福島県いわき市のマリンタワーから海を眺めたり小名浜港から花火大会を見る、片平里菜さんの10周年ライブで猪苗代湖から磐梯山をみて波音や夕日など自然に癒されました

辛いこともあるけど、前を向いて歩いていきたいです

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OB訪問

この学校に入学して20年、高校やここを卒業して15年になります
夜勤で聞けない、少しずつ聞く頻度が減る、イベントに足を運んでも仲の良い生徒や職員と話す等目的が変わってきたと思います
遠山校長が退任発表してからの半年、リモートでの放送・委員会が終了するまで等時々聞いてました

この15年はやしろ本部長のスカロケ、あしざわ教頭が3年担当した静岡のラジオk-mixの番組、遠山校長のJA全農CDJや他の番組、やましげ校長のワンモや舞台等歴代校長教頭の皆さんにお世話になりました

自分が周りより仕事が遅く不器用な点についてできてないことを自覚しているのが凄い、休職している時にも心と体をを休みたい時もある等励ましてくれました
当時は体が動かない・何も見聞きしたくない・悪い関わりを断ち切りたい・目の持病の悪化等で落ち込んでたので必至でした

そんな時に家族や幼馴染の友人やお世話になった人が支えてくれました
自分の時間や都合よりも私に対して親身に話を聞いてくれました
仲のいい同年代のリスナーもライン等で励ましてくれました
やましげ校長が言っていた一人一人のことをちゃんと見ている、辛い時に逃げるというのを身をもって感じました

今は復職し1年経ち仕事に苦労しながらも、一人旅や友人と遊んででカメラで写真を撮ったり、ライブに足を運んだり等してます
持病が悪化するまでは自転車を漕いで出かけた時期もありました

好きな事を楽しみつつ学生時代や20代から今も関わってる人達を大切にしていきたいです

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この学校と出会った日

明日で開校20周年を迎えるということで久々に書き込みます
私がこの学校に出会ったのは2005年10月3日のことでした
当時は中2でラジオを朝から夜まで聞くのが好きで、新聞のラジオ欄を見るのが習慣になっていました

そこには「未来のカギを握る学校」と書いてました
茂木さんが口上として毎回話している言葉ですね
学校生活に悩んでいたのもあり、興味本位で夜10時にラジオをつけました

やましげ校長とやしろ教頭が大声で叫ぶことに最初はついていけなかったです
でも、生徒ちゃんのために数十秒黙る程真剣に寄り添ったり本音を話してくれたことで恩師のように信頼するようになりました

生きるのが辛い時は逃げること、愛しているからこの世界自体から逃げることはよくないと話していたのを今でも覚えています
またDAYSという書籍には大人になったら一緒に飲もうみたいなことが書いてありましたが、スカロケの親睦会で実現した時は感慨深い気持ちになりました

公開生放送や閃光ライオット等のイベントを通してお二人含めとーやま校長・あしざわ教頭・よしだ教頭・こもり校長とお会いし感謝を伝えることが出来ました
また生徒ちゃん達とお会いして食事をしたり、持病や誰にも話せない悩みを聞いてくれて励まされたこともありました

自転車で50km以上漕いだり、一人旅をして東北や各地を観光したりライブを見る等で生活の幅が広がりました

私にとってこの学校はもう一つの母校です
今後も一人一人に寄り添う場所であり続けてほしいです