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そして彼女の口角があがるのを僕は見た。

「なんで僕と付き合ってくれたの?」
そう聞くと彼女は一瞥もくれずに、すんか、と言った。付き合って一年と半年になる日曜の昼下がりだ。
「すんか?」僕は聞き返す。すんか……寸暇? それとも何かと間違えてるのかな。す、す、す……すし……あーお寿司食べたい……じゃなくって!
「どういう意味?」
「メールで。変換ミスして」
聞くところによると、彼女を初めてデートに誘った時の僕のメールが、「もし良かったら今度一緒にご飯行きますんか」だったらしい。あんまり記憶にないけれど恥ずかしい。当時気付いていたら二度と顔も合わせられなかったくらいの恥ずかしさだ。ちなみに交際の申し込みを切り出せたのは、それから3ヶ月は経っていた気がする。
「じゃあそこで変換ミスしてなかったら付き合ってなかったの?」とこれは冗談だったのだけど、「うん」と真顔で彼女。
「ええぇ! そんな! 僕ってそこだけなの?!」
「でもそんなもんでしょ」
「そんなもん?」
「そんなもん」
強引にまるめこまれたような。釈然としないままごろんと体を床に投げ出す。この会話の流れなら今度は彼女があの質問をしてくるべきではないか。そう思ったけれど一向に彼女が口を開く気配がない。畜生、聞かなくたってお見通しだって? そりゃ確かに僕の方はベタ惚れだけどさ。悔しいから向こうが聞いてくるまでは黙ってやろう。そんな、報復になるのか分からない報復を試みる。
と、その時彼女がこちらを向いた。やっぱり? 参った? 僕は少し鼻高々に待ち構えた。
「好きよ」
勝者、彼女。

4

どうかこの歌が、君に届きませんように

酒の空き缶と煙草の空き箱の散らばった、空っぽ検定1級相当、僕の部屋。深く眠っていたはずだった。時刻は午後11時35分。

今日と明日の境目、世界は終わる。

つまり突如観測されたとかいう小惑星が地球にぶつかるまで、残り30分足らず。目覚めなきゃ良かった。寝返りを打つと背中で何かを踏んだような気がした。どうせ彼女へ渡せなかった恋文もどき、だろう。

ま、どうでもいい。



「ライター貸して頂けます?」

一目惚れだった。

返事の1つもできないままその掌にライターを乗せると、彼女はありがとうと笑って、キスをするように煙草をくわえた。見慣れた喫煙所がまるで天界だ。

視線が絡んでいると苦しいのに、横顔を盗み見ているのはもっと苦しい。脳内へ浮かんでは消えを繰り返す、何の気休めにもならないあれこれが、牛乳と一緒にかき混ぜられているようだ。こんなカフェオレは飲みたくない。

「あの」
「はいっ」

背を伸ばすと、彼女はまた笑う。僕が彼女へそうしたように、彼女は僕の掌へそっとライターを乗せた。助かりました、って。何だか堪らなくなって、ポケットへ入れっぱなしだったレシートを引っ張り出し、ペンを走らせた。人生一熱を込めて記す連絡先。

が、最後のpの字を書き始めたところで、彼女は喫煙所の外へ向かって「はぁい」と返事をした。どうやら誰かに呼ばれたらしい。

私もう行かないと。あっさり向けられた背中。ちょっと待って。僕はペンを投げ出し、彼女の左手を握った。

あとは察してほしい。僕がライターを乗せたのは彼女の右掌。彼女が僕の掌へライターを乗せたのも右手。彼女の左掌なんて、左手なんて、知らなかったのだ。

―――薬指に、何が光っているのかも。

彼女とは、それきり。



生まれてすぐに死んだ恋だった。

pの成り損ないが目立つそれを背中に感じながら、考える。彼女と彼女の男は、今日をどのように過ごしたのだろう。弁当なんかを持って、海岸へでも行ったのだろうか。

ま、どうでもいい。

僕は足の指でピンク色の円盤をたぐり寄せる。「エロいお姉さんはお好き?」。イエス。時刻は午後11時40分。世界が終わるまであと20分。1回くらいは気持ち良くなれるだろうか。君が好きだと、呟けるだろうか。