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父からの言葉…

僕は、今はもう今まで通りに話せるようにはならないであろう父から、脳梗塞になる前に部活のことで話していて言われた言葉があります。
「人は人形とか機械みたいのように自分の思い通りにはならない、だからこそどうやって人が自分の思ってるように、なってくれるかを考えてみろ」
です。
僕が入っているサッカー部は新チームになってから、部活動が思うようにいきませんでした。(それは今もなんです。)
それで、十一月ぐらいに父に「一年生も二年生も言うことを聞いてくれない」と相談をしました。するとさっきの言葉を言われました。結構響きました。そのあとに父が続けて、「少しずつで良いから、出来るだけ折れずに、声をかけていけ」とも言われました。
副キャプテンだったけど、キャプテンが少し頼りないので、キャプテンよりもみんなを引っ張ろうとしていて、思ってるようにならなくて、ストレスが溜まりにたまっていたときに言われた一言でした。その時に、改めてサッカー部の副キャプテンとして、一員として、少しずつでも良いからみんなを引っ張れる存在になろうとおもいました。でもそれもあと一ヶ月もなく終わってしまうので、その残りの時間でみんなを一勝でも出来るように、練習から引っ張っていきたいです❗

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あとのこと…

僕は前々から掲示板で言っている通り三月二十五日に転校します。この日は終業式の次の日に当たります。理由は前に逆電で話したお父さんの脳梗塞が原因です。今すんでいる場所はお父さんの実家に当たる場所で、転校するのは母の実家です。これもまた違う逆電で話したところです。転校するのはとてつもなく嫌です。不安なことだらけです。学校は遠いし、もともと小学校では一クラスだったのがさらに二校追加され六クラスになるし、友達も覚えているかすらわからないし、修学旅行も正直楽しめるかわからないし、一番は三年生になるので受験が控えています。向こうの受験の仕組みなどが全くわからない状態で、どんな高校があるのか全く知りません。さらに今いる学校ではサッカー部の副キャプテンです。人数は十二人のみ、新一年生もどのくらい入ってくるかわからないし、正直二年生は誰もまとめれるような人はいません。だから、僕が居なくなることによって、サッカー部に影響が出てしまうのでは、という不安もあります。
目の前の事を楽しまないといけないのはわかってます。だけど、不安将来にはことしかありません。何が聞きたいのかもわかりません。でもこの不安をぶつけたいです。お願いします。

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部活で出来つつある溝、それを埋めなければ…

僕は、終業式の次の日で転校するのですがそれまでにあと一ヶ月あります。僕はサッカー部に所属していて、二年生六人、一年生六人の計十二人です。あと一ヶ月で僕はサッカー部に何かを残していきたいです。しかし、今日短縮五時間授業で、最終下校まで三時間ほどありました。しかし、ある一年生の勘違いで二年生は半分以上部活の用意を持ってきていませんでした。普通なら取りに帰ると思います。僕は取りに帰りました。しかし、キャプテンと一人は帰ってしまいました。その時点で、少しイラつきました。そして、あと一人の二年生と一年生の二人は生徒指導でした。一人の一年生はケガ、一人の一年生は体調不良で部活をせずに帰りました。残ったメンバーで練習をしていて、四時半過ぎに一人が塾があると言って帰ったのをきっかけに他の残ったメンバーも片付けをしていました。すると生徒指導を受けていた他の部員がやって来て、何で終わってんの?と言われました。僕たちは残っていたのが四人だったので、早めに切り上げたことを伝えると、聞こえているようなそぶりを見せたものの、わざと聞こえないようなふりをして聞き返してきました。少し距離もあったので、もう一度言うと、また同じことをしてきました。なので無視をしてかたづけを続けました。そのあと、自分達の靴で汚れた下駄箱を掃除していると、生徒指導を受けていた人たちが帰ろうとしていました。掃除を続けていると、「誰が掃除しようっていったん?」と言いました。イライラが溜まっていて無視をしてしまいました。すると「無視かよ」といって帰っていきました。そのあと残ったメンバーで着替えて帰りました。
これが今日あった話で、明らかに溝ができてしまったように思います。僕にとってみんなとサッカーができるのもあと一ヶ月、こんなところで溝を作っている余裕もなく、明日は用事で行けないし金曜日からはテスト期間として部活ができなくなります。そうなるととてもみんなになにか残せるようなことはできません。今僕はどうしたら良いんでしょうか。
僕はみんなになにか残せるような人間ではないんでしょうか。

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耐えきれない…

先ほど母から母の実家の滋賀に戻りたいという話を聞きました。父が脳梗塞で入院をして手術も終えて目もさましている状態なのですが、僕達の事の理解していない可能性が極めてたかいそうです。かりに父が家に帰ってきたとしても、正直母は僕達子供と父の面倒は見きれないそうです。なので母の実家の滋賀に戻りたいそうです。僕は兄弟が四人います。妹は六年生でもうすぐ卒業です。僕は来年から受験生です。僕はもう少し残りたいと母に話したのですが滋賀に行くしか手段は無いのが現実だと言われました。僕が滋賀に行ったとしても多分学校にも行けないと思います。理由は今住んでいる奈良に来てから四年、ようやくなれてきたところで、サッカー部の服キャプテンです。サッカー部は二年生六人、一年生六人と人数的にも厳しくそう言った面でもどうしても残りたかったし、その思いが強すぎて学校にいく元気も出そうにありません。滋賀は自転車通学となり人数も今より格段に上がります。友達も作れるかわからないし、いじめられる可能性が低いとは言えません。もう耐えきれないです。うちには借金もあり父を施設にいれる余裕もありません。話を聞いてもらうだけで僕の支えになります。少しは楽になるかもしれません。お願いします。皆さんこんな話は嫌いな人多いと思うんですけど、レスなどくれるととても嬉しいです。そして校長、教頭の声がとても支えになるし、元気になります。いつでも構いません。少しの時間でも構いません。どうか逆電などしていただけると、とても嬉しいです。お願いします。長文失礼しました。

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ひとりぼっちじゃないと気づいた日…

僕がひとりぼっちじゃないと気づいた日は今日です。実は今日体育祭がありました。僕たちの学校は賞が三つあって総合優勝、ダンス、そして学級旗です。予行練習などでは僕たち一組が勝つと思っていました。しかしながら五組に僅差で負けてしまいました。
なぜひとりぼっちじゃないと気づいたのかと言うと、百メートル走に出たときにみんなが頑張れって応援してくれたし負けて落ち込んでいた僕に優しく声をかけてくれたからです。僕はあまり人を信じれないところもあり、普通に話してくれてる子にも嫌われてるんじゃないか、嫌々話してくれてるのではないかと常々思います。しかし今日の体育祭で優しく声をかけてもらったりされたことで少しみんなのことを信じてみようと思いその後も僕は助けてもらった分、みんなを必死に応援しました。総合優勝できず、さらに僕たちの担任は体育祭で賞をかならずとってきていたのでそこでも落ち込みました。しかし先生が声をかけてくれたり、友達が抱きついてくれたりもして涙がこぼれました。
そこで僕はひとりぼっちじゃないと思えたし、仲間って良いな~と改めて痛感しました!優勝はできなかったけどとても良い収穫ができた楽しい体育祭を過ごしました!

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