表示件数
1

過去との対峙

お久しぶりです。
数ヶ月前までは毎日のようにホケンシツに頼っていたのが嘘かのように思えるくらいご無沙汰してしまいました苦笑
最近はSOlもあまり聴けていなかったのですが、今日はいじめに関する授業だと聞きホケンシツに顔を出してみることにしました。

私も中学生の頃、軽いいじめを受けていました。
親との関係も上手くいっていない時期だったこともあり、SOLを聴き終わって1人泣くのが毎晩のルーティーンになってしまっていました。

でも、今はとっても楽しいです。
もちろん嫌なことも沢山あるし、未だに泣きじゃくりたくなることもほば毎日のようにあります苦笑

こんな私から皆さんに伝えたいことは、皆さんは本当によく頑張っているということです。
自分が嫌いで、周りが嫌いで、集団が嫌いで、孤独が嫌いで、大人が嫌いで、同い年が嫌いで、年下が嫌いで、…。
色んな事に悩んでいるからこそ、皆さんはこの掲示板を覗いてるんだと思います。
どうしようもなく叫びたい時、泣きたい時、自分を傷つけてしまいたくなった時、ここでは美辞麗句を並べ立てることなく叫んだっていいんです。
泣いていいんです。逃げていいんです。
私たちはいつもしっかり受け取って、見守っています。
私は、思いを吐き出してくれてありがとうって、毎日生きててよく頑張ってるねって、皆さんに伝えたいです。
私は本当に皆さんのことを尊敬しています。
何度も生きるのをやめたくなってもこうして生きている。生きていることが正しいことかどうかは私にはまだ判断出来ないけれど、辛いことに耐えて毎日足を踏んばって瀬戸際で生きてる、それだけで本当に凄いことじゃないですかって言いたいです。
本当に皆さんめちゃくちゃ頑張っているので、週に2日なんて言わず、週に4日くらい休みを設けたっていいじゃんって思うこともあります笑

文章が全くまとまっていなくてごめんなさい。
私は皆さんが気楽に人生を過ごせたらいいなって思っています。
時々ゆっくり休んで、美味しい物食べてゆっくり寝て、自分なりのペースで生きて欲しいです。
私も頼ることが多々あると思うので、その時はよろしくお願いします笑

4

もやもや(´-`)

 先日、人権に関する講演会が学校であったのですが、そのときにどうしても引っ掛かりを覚えたのでここでお話したいです。
 同和問題やSNSいじめなど、さまざまな差別や偏見についてのお話があったのですが、そのうちのひとつ、性的マイノリティーについての話です。
 講師の方が結構な尺を取ってLGBTQ+ついて詳しく説明されていたのですが、その方の最後の一言に違和感を抱きました。
「(急に声を潜めながら)もしあなたたちの周りの子がカミングアウトしてきたら、まずは何があっても受け止めてあげてください。そして、“何かわたしにできることはないかな?”などと積極的に声を掛けてあげてください」
 このように仰っていらしたのですが、これは当事者の方に寄り添っていると言えるのでしょうか。人それぞれ受け取り方は違うと思いますが、わたしは何だか不快な気分になってしまいました。
 この言葉のとおりだと、LGBTQ+の方はまるで特別扱いを受けるべきだと言われているようです。果たして当事者の方は“特別”だと思われたいのでしょうか。わたしはそう思いません。普通一般と同じように扱われたいです。
 LGBTQ+は少数派かもしれませんが、決して珍しいことではありません。左利きの人やAB型の人と同じくらい存在すると言われています。そう思えば、特別ではないですよね。
 それに、「受け止めて“あげて”」や「声を掛けて“あげて”」という表現は上から目線な物言いに聴こえました。マジョリティーだろうとマイノリティーだろうと対等な人間であるはずです。
 わたしが当事者であるがゆえに過敏に反応してしまっただけなのでしょうか。ノンケ(異性愛者)の友人にこの違和感を訴えてもあまり理解してもらえず、もやもやが消えなくて辛いです。
 共感してくださった方、いらっしゃいますか?
 良ければレスにてご意見・ご感想お願いします。
 長文失礼致しました。