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Specter children:人形遣いと水潜り その㉕

「私の腕?」
蒼依は天邪鬼が逃げ出してから気を失うまでの経緯を、冰華に説明した。
「えっ頭大丈夫⁉」
「言い方ぁ」
「良いから! ぶつけたところ見せて!」
「別に……この程度よくあることだし……」
言いながら、蒼依は濡れた前髪を掻き上げる。彼女の前頭部、やや左寄りの場所には、浅く抉れたような傷が残っていた。
「結構ひどい怪我じゃん!」
「だからこの程度平気だって……」
「平気ではないよ⁉ きちんと手当てしよう⁉」
「分かったよ……取り敢えず、冰華ちゃん家に戻らせてもらっても良い?」
「もちろん! 手当もちゃんとしなきゃだね」
冰華は川の方を向き、大声で呼びかける。
「それじゃあみんなー、鬼の死骸の処理、お願いできるー?」
その問いには、多くの泡沫や飛沫が応えた。
「よし、これで後始末もオッケー!」
「ありがとう。あっそうだ、私も人形回収しなきゃ」
蒼依が川に向けて手招きすると、水中から大きく広がった網状の物体が持ち上がった。
「わぁっ、それも人形が変形したやつなの?」
「そうそう」
気絶する寸前、蒼依が“奇混人形”に授けた命令は、『下流方向100mまで移動した後、網状に再変形して川を塞ぐこと』。水流に巻き込まれるように逃亡していた天邪鬼は、その網目に絡まったために不運にも水上に顔を出すことができず、呼吸不能の状態で川に潜む河童たちの襲撃を受けて絶命したのだった。更に、“奇混人形”の網は蒼依の手を離れた『冰華の腕』もまた、網目に絡め取られ、河童が回収することを可能としていたのである。
「……いやぁ……しかしまぁ」
歩き出しながら、蒼依は大きく伸びをし、小さな欠伸をした。
「どしたの蒼依ちゃん」
「……疲れた」
「お疲れ様。帰ったらお風呂入って、ご飯食べて、しっかり寝ようね」

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Specter children:人形遣いと水潜り その㉔

瞼の向こうに光を感じて、蒼依は意識を取り戻した。
「…………? 腹が、重い……?」
蒼依の視界に最初に入ったのは、彼女の腹部を膝で押している冰華の姿だった。彼女の両腕は、未だその肩から抜けたままである。
「……冰華ちゃん、何やってんの?」
「あ、蒼依ちゃん起きた。いやぁ、追いかけてきたら蒼依ちゃんが川に下半身突っ込んで動かなくなってたから、溺れたのかと思って水吐き出させてたの」
「もう平気だから退いて?」
「うん」
冰華が身体の上から退いたことで、蒼依も身体を起こす。周囲を見回すと、空は既に白み始めていた。
「もう朝か……」
「うん。……あ、あの鬼は⁉」
忙しなく身体を揺らしながら尋ねる冰華に、蒼依は立ち上がりながら答える。
「見に行こうか」

下流に向けて並んで歩いていると、川の途中に不自然に木片や木の葉などの浮遊物が滞留している地点があった。
「なるほど……あの辺か」
二人がその場所に近づくと、水面に小さなあぶくが浮かび、1体の河童が姿を現した。その手には、流されたはずの『冰華の腕』を掲げている。
「あっ、私の腕! ありがとー」
冰華が腕を肩に嵌め直している横で、蒼依は腰ほどまで川に踏み入り、水中を手探りし始めた。
「蒼依ちゃーん? 何してるのー?」
「んー……あ、いた」
蒼依が再び川から上がる。その手には、ぐったりと動かない天邪鬼を引きずっていた。
「死んでる?」
「脈は無かったよ。溺死かな。あるいは冰華ちゃんの腕が偶然掠ったか」

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Specter children:人形遣いと水潜り その㉓

天邪鬼を追って木立を抜けた先は、河原だった。
(この河原……冰華ちゃんが河童たちと会ってたあの川か! 気付かなかった……)
「……そんなことより!」
蒼依が下流方向に目をやると、天邪鬼の長い腕が浮き沈みしながら流されていくのが確認された。
(野郎……流れを使って逃げる気か!)
蒼依は四足獣化した“奇混人形”から降り、天邪鬼の流される方向に向けて駆け出した。更に手の中で“奇混人形”を短槍の形状に変化させ、投擲できるように構える。
「……いや。どうせなら」
蒼依は大きく跳躍し、そのまま川に飛び込んだ。同時に“奇混人形”をスイムフィンのような形状に変形させて自らの両脚に装着し、水を蹴って水中から追跡を再開した。
ただ藻掻き続けるだけの天邪鬼と、明確な意思を持って泳ぐ蒼依の距離は少しずつ縮んでいく。両者の距離が5mを切ったその時だった。
「ぐっ……ぁっ……⁉」
天邪鬼が水中で振り回していた右腕が、川辺に転がっていた倒木にぶつかった。更にその衝撃が倒木を動かし、水中へと転げ入ったうえ、タイミングよく蒼依に直撃したのだ。
そのダメージで蒼依は肺の中に残っていた空気をすべて吐き出してしまい、同時に緩んだ掌から『冰華の腕』がすり抜け、水流に浚われてしまった。
(クソッ、しくじった……武器が……冰華ちゃんの腕が……)
衝突の勢いで回転しながら、蒼依は天邪鬼と『腕』が流されていった方向を見やる。
(クソ……頭痛い……変に打ったか……? ……これ、私は追えないな)
蒼依は最後の力を振り絞って水面に浮かび上がり、どうにか息を吸い込む。そして――
「っ……冰華ちゃんの腕が持ってかれたァッ!」
掠れた声で叫び、態勢を崩して再び水底に沈んだ。
(もう駄目だ……『私には』追えない…………だから)
蒼依は薄れゆく意識の中、“奇混人形”を変形させ、魚のような形状で下流方向に送り出す。
(『友達』、なんでしょ……? 何とかしてよ、“河童”ども)
“奇混人形”の行動プログラムを設定し終えた蒼依は、酸欠によって完全に意識を喪失した。

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Specter children:人形遣いと水潜り その㉒

天邪鬼の爪に切り裂かれるより早く、冰華は腕を片側に伸ばして手近の木の幹を掴み、身体を引き寄せるように回避した。更にその慣性を利用して腕を完全に肩から引き抜き、素早く距離を取る。
「蒼依ちゃん、残しといたから!」
「助かる!」
蒼依は“奇混人形”を走らせ木の枝に掴まっていた『冰華の腕』を掴んだ。そのまま掌を天邪鬼に向けるように『腕』を突き出し、魂の奪取を狙う。天邪鬼は大きく身体を反らせて回避し、バランスを崩して倒れかけたところを尻尾で身体を支えることで持ち堪えた。
天邪鬼が身体を起こした次の瞬間、蒼依が突撃を仕掛けた。跳躍し、天邪鬼の角を掴み膝蹴りを喰らわせようとする。しかし、天邪鬼は上体を伏せるようにして躱し、尖った角の先端が蒼依の左上腕を掠める。
「っ……」
蒼依は左腕を背中に庇うように体を捩じりながら、天邪鬼の左肩を蹴って距離を取った。折れた腕に衝撃を受けたことで、天邪鬼は奇声をあげて右手を地面に付き、両脚と右手の合計三足で獣のように木々の間に逃げ込んだ。その退路を塞ごうと“奇混人形”が『冰華の腕』を叩きつけるが、天邪鬼は地面すれすれにまで身体を這わせ、その指先を回避する。
「逃げんなクソ鬼がぁっ!」
そう叫び、蒼依は即座に追跡を開始した。“奇混人形”が隣を並走しながら冰華の腕を蒼依に投げ渡し、自らは大型四足獣のような形状に変形する。蒼依はその背に飛び乗り、身を伏せながら後を追った。変形した人形の四肢の先端に生えた鉤爪が地面を掴み、みるみるうちに天邪鬼との距離を詰めていく。
(届く……ッ!)
至近距離まで追い縋り、蒼依は『冰華の腕』を振り抜いた。しかし、直撃の寸前で天邪鬼はバランスを崩し、地面を転げることで蒼依の攻撃は外れてしまった。
天邪鬼は慣性に従い、地面を転げながら前方へ前方へと進み続ける。
張り出した木の根に乗り上げたことで跳ね上げられた天邪鬼の身体は宙を舞い、木々の向こうで『水音』を立てながら落下した。

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Specter children:人形遣いと水潜り その㉑

全身を泥と出血に汚した鬼が、芋虫のように五体を蠢かせ、ふらふらと立ち上がる。
『おおおォォォ……グッ、うウゥゥゥ……! 逃げ……なくては……! 体力を……回復サセなくては……!』
呻き声をあげる鬼の両腕は力なく垂れ下がり、全身の傷からは止め処なく血液が噴き出している。
(……右腕は、ピクピク動いてる。多分まだ動かせるな。左腕は完全にイってる……それなら……)
刀剣を握り締め、蒼依は鬼に向けて駆け出した。刃の間合いに入る直前、鬼の右腕側――蒼依から見て左側に大きく踏み込み、鬼の顔が彼女に向いたのを確認したのと同時に次の一歩で大きく鬼の左手側――蒼依から見て右側に飛び込んだ。フェイントである。
(いける……!)
しかし刃が脇腹を捉える寸前、鬼は上体を前屈させ、『折れている左腕で』殴りつけたのだ。
「ぐッ……!」
蒼依は刀剣型だった“奇混人形”を人型に再変形させて、身体を支えさせる。
「……折れてたろ」
『ハアアァァァ? 一向に動かせるンダガァ?』
不自然な方向に曲がり青紫色に鬱血した左腕を、胴体を揺らす慣性によって振り回しながら、鬼は主張する。
「天邪鬼がよぉ……」
蒼依の呟きに、鬼の動きが止まった。
「……? ……おい、まさか」
『違ェぞ! 誰が天邪鬼なモンカ!』
「お前……鬼は鬼でも“天邪鬼”かよォ!」
“天邪鬼”は不意に蒼依に背中を向け、森の奥へと逃げ込もうと試みた。しかし、交戦中に背後に回っていた冰華が道を塞いでおり、退路が潰されている。
『退ケェ!』
「退かない!」
『なら退クナ!』
「退かない!」
『コノ餓鬼ガァ!』
天邪鬼は右腕を振り上げ、長く鋭い爪を冰華に向けて振り下ろした。

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Specter children:人形遣いと水潜り その⑳

樹上の枝葉に身を隠していた鬼が、飛び降りるようにして二人に飛び掛かった。蒼依は咄嗟に冰華の背中を蹴飛ばしながら飛び退き、結果として鬼は二人の間を通過して地面に転がった。
「わあっ……とっ、とぉ。助かったよ、蒼依ちゃん」
冰華はバランスを崩しかけたもののどうにか転倒を堪えて振り返る。
二人の間には、奇襲を失敗した鬼が俯せに転がっており、起き上がろうと藻掻いていた。
「よく見えたね蒼依ちゃん⁉」
「人形がちらっと見てたからね……!」
手元に“感情人形”を再生成して攻撃に移ろうとした蒼依のすぐ横を、背後から白い影がすり抜けた。
「…………?」
蒼依が反応するより早く、それは一直線に地面に伏せる鬼に飛び掛かった。
「あ、蒼依ちゃん……あれって……!」
「……まさか、この辺まで縄張りだったなんて……冰華ちゃん、よくさっき転ばなかったね」
影の正体は、体長2mを超える巨大なイヌのような姿の妖獣だった。それは鬼を組み伏せ、爪を突き立て、容赦なく噛み付き牙を立てている。
「こいつ……“送り狼”だ……!」
送り狼に襲われながら、鬼は金切り声をあげて抵抗する。しかし、送り狼の膂力に負け、肉を裂かれ骨を砕かれ、全身あらゆる部位を牙で穿たれていく。
『おいコラ! ヤメロ! 犬野郎が! 俺は転んでネェ! 寝ッ転がったダケだゼ! オイ退きヤガレ!』
そう喚きながら鬼が暴れると、送り狼は急に攻撃を止め、鬼の背中から降りて闇の奥へと消えてしまった。
「あ、蒼依ちゃん⁉ 狼さん攻撃止めちゃったけど⁉」
「そりゃ、『転んだ奴』を獲物にするんだから、『そうじゃない』と言い張られれば……」
蒼依は《奇混人形》を発動し、刀剣の形状に変化させて鬼に斬りつける。
(あれだけのダメージ、手足も胴体もズタズタだ。勝てる……!)
しかし、振り下ろされた刃は鬼の肉体には届かず、地面に突き刺さった。鬼は全身を使って転がるようにして移動していたのだ。

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Specter children:人形遣いと水潜り その⑲

深夜の森の中を、蒼依と冰華の二人は周囲の気配を警戒しながら慎重に進んでいた。
「っとと……」
「蒼依ちゃん大丈夫?」
「うん」
足元の小さな凹凸に足を取られて転びそうになった蒼依を、冰華が支える。鬼を逃がしてから、このやり取りは既に5度目だった。
「どしたの蒼依ちゃん。疲れた? ずっと戦ってくれてたもんね」
「いや、それは大丈夫。ちょっと注意力が散漫になってて」
「暗いんだから気を付けなきゃ」
「いやぁ……さっき、人形たちを先に森に突っ込ませたじゃん?」
「うん」
「私、あれと感覚共有できんのよ……人形たちの見聞きしてるものが、ぼんやりと分かるの。『ぼんやりと』ね」
「へー?」
「ただ……あまりにもぼんやり過ぎて、めちゃくちゃ意識集中させないと分からないんだよね。だからちょっと、足元に注意払う余裕が……」
「おんぶしたげよっか?」
「重いよ?」
「大丈夫、私の腕は“河童”なんだから!」
「おんぶって腕だけでするものじゃないじゃん」
「良いから! 蒼依ちゃんは鬼見つけるのに集中して!」
「……じゃ、お言葉に甘えて」
蒼依が恐る恐る、冰華の背中に覆い被さる。
「……重い」
「だろうね」
冰華がよたよたと歩き出して1分も経たないうちに、背中の蒼依が声を上げた。
「止まって」
「何?」
「来る」

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Specter children:人形遣いと水潜り その⑱

地面に俯せに倒れ、ぴくぴくと痙攣する鬼を見下ろしながら、冰華は再接続された両腕の挙動を確かめる。
「“河童の尻子玉”の話ってあるじゃない?」
「どしたのいきなり」
冰華の不意の発言に、蒼依は網状に変形させた“奇混人形”で鬼を拘束しながら答える。
「河童が溺れた子供から“尻子玉”を抜いて殺しちゃうの」
「あるねぇ」
「尻子玉っていうのは架空の内臓らしいんだけどね。……もし、『本当に何かを奪っているとしたら』?」
「…………何を?」
「“魂”」
冰華の淡々とした答えに、蒼依の眉が僅かに上がる。
「河童の手は、“尻子玉”……つまり、“魂”を標的の肉体から掠め取るの。しかも、『末端部からほどより多く』。多分、尻尾にでも掠ったんじゃないかな?余計なパーツが多いと大変だねぇ」
「物騒な能力だなぁ……」
「…………あれ?」
冰華のあげた素っ頓狂な声に、蒼依は捕縛しようとしていた鬼を見下ろした。そこに、鬼の姿は無かった。
「……冰華ちゃん? 魂を奪って動けなくさせたはずじゃ?」
「流石に1発で全部は無理だよ。感触的に、多分奪えたのは半分くらい。タフなやつなら十分動くもの」
「半分なら結構な痛手かな」
「うん」
「じゃ、この勢いで押し切っちゃおう」
蒼依は“奇混人形”を3体の“感情人形”に解体すると、森に向けて解き放った。

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