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昨日

昨日は逆電ありがとうございました。
校長の真っ直ぐな言葉と、教頭の優しい声音に救われました。

逆電中には話せなかったのですが、母を大好きだと言えるのには理由があります。
小学校高学年から中学2年の頃までは、母のことが大嫌いでした。正確に言えば、「自分はあの人のことが嫌いなんだ」と思い込んでいました。
しかし、中学2年のある日の夕食中、祖父から「朝お母さんが倒れたの知ってる?」と言われました。その時、母は仕事に出かけていました。後で聞いた話なのですが、実際は倒れたという程ではなく、すぐに病院に行き、特に異常もなかったそうです。しかし、その時はまだ母が「倒れた」としか聞かされていなかったので、自室に戻って一人になった途端とてつもない不安に襲われました。「もしお母さんに何かあったら」という恐怖と「なんで倒れたのに仕事に行ってるの」という心配から、しばらく涙が止まりませんでした。そこで初めて、母は自分にとって大切な存在なんだということに気づくことができました。

逆電中に校長が「8年間も不安を抱き続けてきたのはしんどかったと思う」と言ってくださったとき、それまでは気づかないふりをしていた感情が溢れ出してしまいました。その後、うまく話せなくなってしまってすみませんでした。でもそれと同時に、「わかってくれる人がいるんだ」と、自分の辛さが報われたような気がしました。

また、「お互いに愛が向く瞬間があるのに、それをキャッチし合えないのは辛い」という言葉を聴いて、本当にそうだなと思いました。

そして、「書き込みの言葉が全てだと思う」と言われて、自分の気持ちに気がつきました。愛されたいという思いもありますが、それ以上に自分は"愛されていると思いたい"んだと思います。

(続きます)

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自己肯定感

僕はかなりLAWな状態です。
僕には校外に片思いしてる人がいます。先日、僕の高校で文化祭があったんですけど、その人も来れそうということでめちゃくちゃ会うのが楽しみだったんです。
でも、開催前日にその人からラインで「足の靭帯切っちゃった」と連絡が入り、当日は行けそうにないことが分かりました。
普段は勉強でお互い忙しいこともあり、なかなか会えないことが多かったので余計ショックな気持ちになりました。
その後、せめて当日の写真でも送ろうと思い、再びラインで送ったんですが返信は「楽しそ―」「おつかれ」の二言だけだったんです。
てっきり、もっと文化祭の話題について食いついてくるのかな……と勝手に思い込んでいたので落ち込みました。
そもそもラインを見返してみると、いつも僕の方から会話を始めて、その人は短い返事だけで終わらしているなと気が付きました。
思い上がりなことは自分でも嫌なほどわかっているんですが、それでも好きな人からの反応が自分の予想していたよりも、盛り上がっていない様子だとどうしても悩みこんでしまいます。
自分との会話が面倒なのでは? 自分はあの人にとってどんな印象を持たれてるのか?と内心考え込んで、けれどどこか自分の中で「あの人に、自分が気に入られている」と根拠もないくせに思っているのが嫌で仕方がありません。