表示件数
0

数回

久しぶりの書き込みです。
気づけば2月。あと13回学校にいったら卒業らしいです。実感がない、、あっという間の3年間だったような、やっぱり長かったような。今は特に嬉しさも寂しさも感じていません。私が卒業か…くらいにしか思えません。当日にならないとわからないですよね。
最近は必要な人が必要な講座をとるスタイルなので、教室にいることもなければ、クラスの人と話したりすることもなく、ずっと図書室です。午前中いっぱい自習(私は小説書いたり読書したり、大学の課題進めたり)して、あとは家に帰るの繰り返しです。家でもできるよなーって考えるとなんか複雑です。友だちと話すこともなく、何をするでもなく過ごすためなら登校する意味ないとまで感じています、、今から受験の子がほとんどだからわたし一人そう言ってられないとは思いつつも、あまり学校に行くことに気が進みません。でもそれもあと数回だし、最後まで行こうかなって思います。

そしてふと考えたのですが、岩手県の生徒としてSOLに登校できる時間も残り少ないんだなって。3月の半ばにはこっちを出るから、そしたら後半は岩手県の生徒ではなくなる、、逆電で岩手県/RNモアのすけですって言うの、もしかしたらもうないんじゃないかなって。それはちょっと寂しかったりします…。
(だから)誰にってわけじゃないけど言っておこうかな。岩手県/18歳/RNモアのすけです!
……なんて、空に響くだけだけど。

0

地震のこと

年の初めに地震が起こったこと。自分の中ではまだ信じがたく思っています。僕は地震発生時、新潟市のイオンのゲームセンターにいました。家族4人で行って、弟と母はカードゲーム、僕と父はメダルゲームをしていました。その時、振動のような揺れ(おそらく初期微動)を感じましたが、ゲームセンターはそのような揺れはよくあることだったので、僕は冗談半分で「地震?」父に言った瞬間、大きな横揺れが僕たちを襲いました。揺れは数十秒続き、揺れがおさまるとアナウンスからは「火事です」という声が聞こえ、隣の店の天井からは水が出てきて、シャッターも閉まってきました。弟と母がシャッターの向こうにいたら。そう思い、僕と父は必死で2人を探しました。幸い、2人とはすぐに会え、すぐに屋上の駐車場へ向かいました。車のエンジンを入れて最初に入ってきたのは、「津波」という言葉でした。イオンの屋上では高さが足りないと感じ、すぐに高台に避難しました。親族全員の無事は確認できました。家の被害はあまりなく、ガラス瓶が一つ割れていただけで済みました。僕は震度5強を体験したのですが、石川はもっと大変なことと思います。石川の皆さん、どうか無事を願っています。