表示件数
0

櫻坂Night!!

夏鈴先生、天先生、こんばんは。

新曲も本日拝聴いたしました。この新曲「the growing up train」は、私自身の成長を象徴する楽曲となっております。

なぜこの新曲を選ばれたのかと申しますと、現在、私はパソコン専門学校に通学しており、昨年入学し、2年目を迎えております。そして、今年の2年目は就職活動に励む年となります。

私は、面接が苦手で、高校生の時に地元の市役所の筆記試験と面接試験を受験したのですが、どちらも不合格となってしまいました。しかしながら、新たな将来の夢が見えてきており、最近YouTubeでiPhoneに精通した方の動画を視聴することに夢中になっております。私もそのような方になりたいと強く願っております。

そこで、面接官の方に、私の夢をどのように伝えればよいのかが分からずにおります。

夏鈴先生と天先生は、櫻坂46にご加入される前に面接試験を受けられましたか?もし面接試験を受けられたのであれば、ぜひアドバイスを賜り、携帯ショップの店員という夢に向かって精進してまいります。

また、天先生と夏鈴先生の携帯電話を修理したり、データ移行の方法を分かりやすく説明できるような人にもなりたいと考えておりますので、ぜひご連絡をいただけますでしょうか。夏鈴先生、天先生、こんばんは。

新曲「the growing up train」を拝聴しました。この曲は、私の成長を象徴しています。

現在、パソコン専門学校に通学中で、2年目を迎えています。今年は就職活動に励みます。

面接が苦手で、高校生の時に市役所の試験を受けましたが不合格でした。しかし、YouTubeでiPhoneに精通した方の動画を見て、私もそのような人になりたいと思うようになりました。

面接官に夢を伝える方法が分からず、お二人にアドバイスを賜りたいです。櫻坂46にご加入される前に面接を受けられましたか?

また、携帯ショップの店員や、携帯電話を修理したりデータ移行の方法を説明できるような人にもなりたいです。ぜひこの思いを生放送で逆電させてください。

0

15年前の話 その3

その3の続き。

その辺りからどんどんヘリコプターやどこかの定点カメラから撮影された津波の映像が次々とテレビに映されるようになり、“黒い水”に田んぼや畑や街が飲まれ、破壊されていく様子が目に入ってきたのです。
それを自分は、ただ呆然と東京の片隅の家の、テレビの前で見ている他なかった。
見知らぬ街…テレビの画面には“釜石”とか“石巻”とか“大船渡”とか“気仙沼”とか“南三陸”とか“南相馬”とか“いわき”とか表示されていましたが…このときになって初めて知った名前の街が、無惨にも破壊される様子を、家族たちと呆然と見ているしかなかったのです。
中でも黒い水に飲まれゆく気仙沼の街中を、小さな白い小船がすーっと流れていった映像が、特に目に焼きついて離れないですね。
そしてその日はもしもに備えて母方の実家に自分たち姉弟や両親も泊めてもらったことを覚えています。

その後、自分は急にインフルエンザで高熱を出し、しばらく祖父母宅の祖父母の寝室に隔離されていた…ということは話が長くなるので省略して、これが2011年3月11日に自分が経験して覚えているものの全てです。
当時はただ呆然とテレビを見ていて、あまりの衝撃になにも感情が湧き上がらなかったのですが、今思い返すと少しツラいです。
あと東北など津波が来た地域の人たちや(山形の方とはいえ)東北出身で福島に兄弟やその家族が住んでいたウチのじーちゃんやおじちゃんは自分以上にツラかったと思います。
だから東京都民の自分が苦しんだりするわけにゃいかないんだよなぁ…
でもやっぱりおぞましくて、自分の中に今も残っている大きな事象、それがあの“震災”だった。
そしていつか次は自分たちが、東京で“被災者”になるのだろうと、と今は思っています。
なんかまとまりがなくなっちゃったけど、まぁ、自分の昔話でした。

0

15年前の話 その2

その1の続き。

揺れが収まるまで10分かもっとかかったような気がするのですが、気づいたら揺れが収まっていて、戸棚の扉が揺れの勢いで開け放たれたために床に落下し割れていたガラス食器の中にあった、なぜか割れずに落ちていたガラスコップを呆然と拾い上げていましたね。
で、ちょうどそこに1階の工場にいたはずのおじちゃんが居間にやってきて「割れたガラスは危ないから」とガラス片が落ちているところから離されて、おじちゃんがテレビのスイッチを入れた(普段母方の実家はテレビを点けていることが多かったのに、この日は地震が起きた直後までなぜかテレビのスイッチを入れてなかった)んです。
そしたらテレビ画面に日本地図と色のついた四角形に書かれた無数の数字が表示されていました(今思い返すとあれは地震の震度を示す表示でしたね)。
それでおじちゃんの膝の上でぼーっとテレビを見ていたら、地震の瞬間の全国各地の映像が流れるようになり、どこかの高層ビル内でしゃがみ込む人々やどこかの公園のベンチに座るお年寄りたち、激しく揺れるNHK各局(渋谷や水戸だった気がする)のお天気カメラ、東北のどこかの空港で天井板が剥がれ落ちて砕ける映像など、色々見ました。
そしてそれらが何度も流れるうちに、テレビ画面の右端に縁が赤や黄色になっている日本地図が表示され、“津波”というものが来るというアナウンサーの言葉が聞こえてきたんです。
そのうちに、呆然としたままテレビを見ていると画面はどこかの海をヘリコプターから映した映像に切り替わりました。
そこに映されていたのは、青い海をどこまでも果てしなく“長い波”が、陸地に向かってわーっと向かっている様子。
これが自分が初めてテレビで見た“津波”でした。

その3に続く。

0

15年前の話 その1

風呂掃除して、昔話をしようと文章を打っていたらこんな時間になってしまいましたが、15年前の話をしようと思います。
ただ生まれてこの方ずっと東京に住んでいて、15年前ももちろん東京にいたので、みなさんの期待するような話はできません。
だけどまぁ、聞いてやってください。

2011年3月11日金曜日、その日は5時間授業で5時間目は国語の授業、その国語の授業中、ノートに“3がつ11にち金ようび”と記入したことはなぜか鮮明に覚えています。
それでそのままその日の授業が終わって下校して、当時は近所にある母方の家の印刷会社で母親が働いていましたからそっちに帰りました(ただしそのとき母親は年の近い妹の習い事のお迎えで1歳児だった末妹と赤ん坊だった末弟を連れて外出していました)。
で、じーちゃんや“おじちゃん”ことじーちゃんの年の離れた弟が印刷の機械を動かしている1階の工場から階段を上がって2階の居間に行き、そこでちょうど出かけようとしていたばーちゃんに「おかえり、洗濯物畳んどいてくれる?」と言われました。
そこで「トイレ行ってからねー」と答えてランドセルを下ろし、お手洗いに入り便座に座った瞬間…ちょうどその瞬間が午後2時46分でした。
最初は小刻みの揺れを感じ、すぐに「地震だ、珍しいな」と思いながらズボンを履き直してお手洗いの扉を開けた瞬間、急に揺れが波打つような大きなものに変わって、咄嗟に近くのテーブルの下に滑り込みました。
ばーちゃんは揺れの中居間を出て行ってしまったため、居間には自分ひとり。
信じられないほど大きくなっていく揺れの中、自分はたった一人テーブルの下で呆然とする他ありませんでした。
そして一向に揺れが収まらない(いわゆる長周期地震動ってやつ)中、自分は「このまま死ぬんだ」と思って泣いてしまったのをよく覚えています。

その2に続く。

0

後期入試を受ける受験生へ

今日で全ての国公立前期試験の結果が発表されましたね。
合格した受験生の皆さん、本当におめでとう!これまで努力した分、まずは思い切り遊んでほしいです!

でも、気持ちの整理もつかない中で、後期試験に向けて動き出した受験生もきっといると思います。
私は3年前の今日、感情がぐちゃぐちゃの中、初めて1人で飛行機に乗って、涙も出ず放心状態で後期入試に向けて出発しました。あの時の私には、前期のショックとか失敗とかを整理できる状態じゃなかったです。

でも、22時。イヤホンから聞こえてきたのは、いつも通り家で聞くのと同じ「こもり校長の声」でした。
1人で知らない土地にいるはずなのに校長の声を聞いた瞬間、心細かった心がふと軽くなって1人じゃない、って少し安心したのを覚えています。

きっと今日も、最後の戦いに向かってる受験生がいると思います。
今は無理に気持ちを整理しようとしなくて大丈夫です。でも、足を止めずにここまできたみんなは誰よりもかっこいいし、みんなは決して1人じゃない。
そして、今日のことを誇らしく思える日は絶対に来る。
どうか受験生みんなに温かい春が訪れますように。

頑張れ!!
授業テーマと全然違うけど、きっと1人で知らない土地で頑張ってる受験生がいると思うので、応援の声が届くと嬉しいです。
そして、もし1人で不安な受験生いたらレスください。どんな気持ちも受け止めます!

0

ポッポ屋として

この3月に高校を卒業し、地元四国の鉄道会社に就職することになりました。幼い頃からの「列車の運転士になる」という夢に、一歩近づいた気がします。

僕は工業高校に通っておりました。工業高校といえば就職する奴の方が大半なのですが、最初は高専に編入するか、鉄道の専門学校に行こうと思っていました。しかし、会社の待遇が良かったり、早く仕事を始めることで社会経験を積むことができたりする点を鑑みて、就職を選びました。
(正直、進学と就職で滅茶苦茶迷いましたが)

全人口を足しても、横浜の人口に勝てない四国です。都会は次から次へ列車が来ますが、こちらは先発を逃せば次の列車は1時間後。場所によっては1日5、6本しかないようなこともあります。しかし、1人でも利用してくださるお客様のために、僕はこれからの人生を、四国のために働いていくと決めました。四国だからこそできることもあるし、できないこともある。ただ決められたで、全身全霊で働いていくのみだと思います。運転士になるには、最低でも5年はかかります。夢を叶えられるよう、今を大事にしていきたいです。

「四国ってええ所やな」と鉄道面から思ってもらえるように、これからも努力を積み重ねていきたいと思います。時間と予算があって、僕と同じで旅が好きな学生の皆様、お待ちしております。