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20周年

2025年10月3日、この日にちに「ラジオの中の学校」SCHOOL OF LOCK!が開校20周年を迎えます。
まずはおめでとうございます。

先日たまたまラジオをつけたら聞く機会があり、学生の頃に聞いていた時のことを思い出しながら「そういえば…」と思い調べたら上記の形でした。
今ではすっかり社会人に染まった私ですが、当時は色んな悩みを抱えていて、激しく葛藤して…。
このラジオを聞いて励ましの言葉を貰ったり、同じ環境の仲間の存在に気づいたり、そこから実生活も「もう少し踏ん張るぞ」「まだまだ頑張れるぞ」と勇気をいただけたような気がします。当時悩んだ上で決めたことは、今は後悔はないです。
そしてあの頃の私に「今は元気にやってるよ」って伝えてあげたいです。

現役の生徒に偉そうに言える立場ではありませんが、沢山悩んで出した結論は、胸を張っていいと思うし、例え今が辛くて苦しくても、数年後には笑い話にできる日も来ます。

でも、どうしても独りで抱えきれない時、学校や親に相談出来ない時は、SCHOOL OF LOCK!に顔を出して下さい。この場所がある限り独りなんてことはないです。当時の私がそうであったように、独りでないことは心の支えになります。

最後に、20年もこの場所を保ち続けてありがとうございました。今の私がいるのは間違いなくこの学校のおかげです。
今後も沢山の生徒の拠り所となってほしいものです。

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9/8から9/12の1週間日記

夏休み終了まで残り大体1週間!
というわけで今週の1週間日記です。

月:母親と一緒に地元のスーパーへ夕飯の買い出しに出かけた。ひたすら荷物を持っていた。
火:朝から左の二の腕が痛むなーと思ったら、前日の夕飯の買い出しでずっと荷物を持っていたための筋肉痛であることがわかった。ショック…
水:昼間はずっと眠かった。結構ゴロゴロしてました。
木:夕飯に野菜炒めを作った。意外と難しいんだよなぁこれが。
金:大学の学生生活課にサークル宛の荷物が届いているらしいので、久々にキャンパスへ行った。でもその荷物はただの広告ハガキと地方の芸術コンテストのチラシが入った封書だった。

〈総括〉
今週はなんだかんだ料理を結構やったなって1週間でした。
豚汁やポトフ、野菜炒めといっぱい野菜を切った記憶がありますね。
自分の場合料理をすると自己肯定感が上がるので大変ではあるけど結構好きです。
あとやっと大学の学生生活課に届いている荷物を引き取れました。
なんとなく大荷物かなーって思ってたけど、実際はただのハガキと封書だったから拍子抜けしちゃった…
また、引き取ったものを部室に持っていったら部室に先日の夏のコミックマーケットに持ち込んだ本が置いてありました。
副会長が、ちゃんと搬入したんだな。
来週は夏休み最終週で履修登録やゼミナールの先輩たちの発表会があるし、観たい舞台のチケットをマジで買わないと観劇し損ねるぞってことで頑張ります。

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★⭐︎今週もありがとう!⭐︎★

今週もたくさんの書き込みをありがとう。
今週は『 しんどー相談室 』の授業を
一週間通して行いました。

勇気を出して、しんどい想いの投稿や
電話で話を聞かせてくれて
本当にありがとう。
そして、そんな生徒に寄り添って
励ましの言葉やアドバイスを送ってくれた生徒、
本当にありがとう。

しんどー相談室の授業は終わってしまったけれど
これからも我が校は、
君の“しんどい想い”に寄り添っていきます。
この掲示板は、みんなの教室です。
いつでも、生徒の君が抱える
色々な想いを書き込んでもらえたらと思います。


さて、来週のSCHOOL OF LOCK!は
◤ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◥
 * 9/1(MON) *
 声優の【 水瀬いのり 】先生が1年ぶりに来校!
 9/3に2nd HALF ALBUM『 Turquoise 』と
 BEST ALBUM『 Travel Record 』を
 リリースする、水瀬いのり先生へ向けた
 メッセージをお待ちしてます!

 * 9/2(TUE) *
 【 YURIYAN RETRIVER 】先生が来校!
 ゆりやんレトリィバァ先生として
 来校されて以来、およそ1年ぶりの来校!
 前回は全国校長審議会で
 こもり校長はお休みだったので
 校長・教頭、2人とも今回が初めまして!?
 9/1に2nd デジタルシングル『Venus』を
 リリースするYURIYAN RETRIVER先生への
 メッセージお待ちしてます!
◣_____________________◢
来週もお楽しみに!

ではではまた来週〜!

★SCHOOL OF LOCK!チームKGB★

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昔話

自分は発達障がいが確定(診断を受けた)したのが高3の時で、それ以前は検診や検査の類では“発達に問題なし”という扱いを受けていたから、ずっと自分を皆と同じ“健常者”だと思っていた。
おそらくそれは今の言葉でいう“発達障がいグレーゾーン”だったんだろうけど、昔はそんな言葉なかったんだ。
だからこそ小学校高学年のときは罵倒されたり、中学時代は陰口叩かれたり、「○ね」とすれ違いざまに吐き捨てられたり、長年の人間不信で人の声や大きな音に敏感になっていることに目をつけられてわざと大きな声を上げたり、身体を触ってきたり…
高校は地元から逃げてどうにかマトモな学校に入ったけど、コロナ禍でマスクを外せなくなった結果他人と余計に喋れなくなって、元々うまくいってなかった親ともどんどんうまくいかなくなって、学力も落ちて、その内に親が「発達障がいかどうか分からない状態にケリをつける」ために心療内科に連れてかれて結局“発達障がい(自閉症)”と言われた。
正直受け入れられなかった。
だって自分は多少おかしい所はあっても“健常者”だと本気で信じて生きてきたから。
それでも親に無理やり説得されて精神障がい者手帳を取得することになったんだけどね。
その後は結局浪人して、色々頑張ったけど親に“もうこれ以上は無理だ”と言われて予備校を辞めさせられそうになった。
でも抵抗した。
だって(おこがましいしアホくさいかもしれないけど)健常者みたいに生きたかったから。
みんなと同じ幸せを享受したかった、たったそれだけ。
まぁ親にはそんなこと言わなかったけどさ、でも全力で抵抗して通っていた高校のレベルよりは学力は落ちるけどなんとか大学に入った。
そこでたまたま学祭実行委員会に入って、たまたま愉快な仲間たちに出会って、やっと多少は喋ったり笑ったりできるくらいにはなってきたんだ。

ここまで随分長かったなって思う。
相変わらず親とは思うように話せないし、怖くて仕方ないし、自分のことを未だに全然わかってくれないんだけどさ。
それでもあの時全力で親に抵抗して、自力で掴み取ったものが自分をここまで引っ張り上げてくれたのだと思う。
学祭実行委員はもう卒業しちゃったけど、それでもあの場所で手にしたものはきっと本物だから。
だから自分の意思で選択するって大事だよなって、今さら思う。