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東日本大震災から15年

私は宮城県の沿岸部に生まれ育ち、被災した当時は6歳でした。卒園式間近のことでした。
3倍以上歳を重ね、年齢的には大人になって
今年も黙祷を捧げました。

発災当時はまだ幼稚園生で、余震が強く夜中におばあちゃんの腕の中で泣いたこと、子どもながらに津波の映像を見てすごく衝撃を受けたこと、すぐに近くの公会堂に避難できるように1階の台所で母と隣り合わせで眠った夜のこと、中学1年生のときに亡くなってしまった祖父が、車に不安がる姉と私を乗せて、「じいちゃんが絶対守るからな」と強い眼差しで励ましてくれたこと。
停電で何も人工の明かりがないなか、星はきらきら輝いていたこと、全部全部覚えています。

人生の半分以上を「復興後」の景色を見て育ったので、震災の前の景色を時々恋しいと思います。
パズルのように散らばった断片的な記憶ですが、絶対に忘れずにこの日のことを伝えていきたいです。

今日も生命が誕生したり、天国へと向かう生命もあります。
震災を経験してからは、いのちのことを沢山考えるようにしています。
私の周りは奇跡的にみんな無事でしたが、
そうではない人ともこれまで沢山接してきました。
友人の中には、震災で身内を亡くした方もいます。

皆さんへ
今ある幸せを、大切にしてください。
今ある普段の日常を、大切にしてください。

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3.11

私は震災の日、一歳だったので記憶はありません。しかし自分があの日どのように過ごしていたかは何度か聞いたことがあります。
私は母と市外にお出かけに行っているときに地震が来ました。地震はそこまで大きくは無かったものの、ライフラインが止まっていたため家に帰ることが難しく近くの母方の実家に避難しました。そのとき、おばあちゃんが私や母・親戚がご飯で困らないようにお店に駆け込みおにぎりなど食べやすいご飯を買ってきてくれました。おばあちゃんは普段からおしゃべりでお店の人とも仲が良かったことでご飯を買うことがまだ出来たそうです。「食べ物をたくさん買うこと」がその当時100%良い行動だったかは分かりません。もしかしたら、慌てて買う人がたくさんいたから食べ物がなくなったのかもしれません。(山形県は被災後、多くのスーパーやコンビニの食べ物がなくなりました。)しかしこの行動を良い悪いではなく「事実」として記憶しておくことが、何か次に繋がられるきっかけになるのではと思っています。また父方のおばあちゃんも普段の関わりのおかげで近くのガソリンスタンドでガソリンを獲得できたそうです。
とはいえこの話を聞くと、どれだけ普段の関わりがいざとなったときに力になるのかを感じさせられます。おばあちゃんのように積極的に関わることはできませんが、ゆっくりでも地域との関係を作っていきたいです。

今日の授業で聞く言葉が記憶のない私たちが知る「きっかけ」となりますように。