黒板の下に貼ってあるカウントダウンカレンダーには「5」の文字。
毎月描く背面黒板には大きく「32HR」の文字。
掲示物と写真で溢れていた壁は真っ白に。
たくさんの写真たちはそれぞれ、クラスの仲間たちの手元へ。
教室が、別れの合図でいっぱいになっていく。
卒業って実感はあんまりなくて
まだまだクラスの仲間と笑い合える毎日が続く気がする。
でも、卒業は確実に私の前にやってくる。
まずは、合格発表の日をを待つこと。
そしてお世話になった先生方や仲間達に良い報告をすること。それが1番の恩返しになるはずだから。
そして力強く、中学校を旅立つんだ。
僕は千葉県民ですが、5年前、震災で祖母の暮らす岩手県北部は津波で壊滅的被害を受けました。幸い、祖母も無事で家も流されなかったけど、無事だという知らせを受けたのも、震災から3週間後くらい。家から2分も歩けば5年たった今も何も無い荒地状態。近くの中学校の敷地内や思い出の公園も仮設住宅が建てられ遊べなくなっていました。
そんな悪夢の日から5年。あした、僕は中学校を卒業します。毎日が楽しくて、毎日馬鹿をして、今日の学年解散式でも号泣してしまいました。学校のみんなに感謝です。悪夢の日でもあり、思い出の日ともなる3月11日。複雑でなんか寂しい気持ちですが、これから先、震災を風化させないために、自分に何が出来るか考えて、生活していきたいです。
本当に3年間早かったです。
最高すぎるクラスメイトとも、もう教室でワイワイできないとなると、悲しいです。みんないい人で居心地最高でした。なので、明日は、最幸の卒業式にしたいです!
受験勉強もようやく報われました!第一志望に無事合格しました!
校長、教頭、そしてレスで励ましてくださった生徒のみなさん、本当にありがとうございました。
もうすぐ群馬のすいーと ぽてとから兵庫のすいーと ぽてとになります。
また新たな環境で、未来の鍵を見つけるために走り出したいと思います!!
これからもよろしくお願いします\(^o^)/
いわき市へ観光へ行った時、アクアマリンふくしまやホテルからの海の景色に癒されました。津波で施設のほとんどがダメになり半年で一から作り直したと聞いてたけど、気持ち良く動く魚の姿をみては想像できませんでした。
また、ホテルの近くには小名浜マリーナがありました。後日周辺の動画を見ると瓦礫の山で胸が痛くなり、風化させないため敢えてそのままにしてあると知りました。
いわきからの帰りにI love you and Ineed you ふくしまを聴いて2年。震災直後は毎日のようにこの曲が流れてました。水族館やホテル等で関わった人・景色を思い出します。
数年前の放送でも取り上げられた千年希望の丘に行ってきました。
宮城県岩沼市の仙台空港の目の前にあるのですが、奥には鶴や手紙が置いてありました。
元々ここには人々が住んでいて住居もあり、木々が生い茂っていました。
しかし津波の被害で多くの人々が亡くなり、家や木々は流されたと思うと心が痛くなりました。
防災の日ということで多くの人々が訪れていたのも印象的でした。
七夕祭りの鳴り止まない花火、海や水族館の綺麗な景色、美味しい料理に癒されたりもしたけど忘れてはいけないものもあると実感しました。
うわー、もう卒業なんて…早すぎ(汗)
空っぽの教室とか見ると悲しくなってくる(>_<)
そして今日は遊びまくりました!!
受験終わってさいこー!!!
私は宮城県仙台市出身で、大学進学で今は沖縄で生活しています。
当時、私は中学3年生で前日に卒業式を控えていました。
クラスのみんなと写真を撮って、卒業式の練習をして学校は午前中で終わりました。私は家に帰ると、母のにぎってくれたおにぎりを食べながら卒業アルバムを見ていたのを覚えています。
そして、14時26分。
悪夢が私たちを襲いました。
地面から突き上げられるような振動。そして激しい横揺れ。最初はすぐに収まるだろうと思っていました。しかし、揺れは激しくなる一方。
食器が割れ、本棚にあった全ての本が落ちてきました。私は自分の身に危険を感じ、走って外に避難しました。今でもあの時のことは鮮明に覚えています。
外に出ると、電信柱が動いていました。遠くの方では消防車やイヌの鳴き声。ヘリコプターやサイレンの音も辺りに響き渡っていました。
気付いたらその場にしゃがみ込んで泣いていました。私はただただそこで泣くことしかできなかったんです。
正直、世界は終わったんだ…とさえも思いました。
日が沈む頃に父と母が帰ってきた時は心からホッとして抱き合ったのを覚えています。ライフラインが閉ざされた環境の中、唯一情報を得られるのがラジオでした。
後に、この震災で多くの尊い命が奪われたことを知りました。私の母の友人も津波に流され、亡くなりました。
また、今もなお仮設住宅で生活を余儀なくされている方々は多くいます。
私は大学を卒業したら地元に戻って地域の復興や貢献、観光、町づくりを中心とした職業に就こうと考えています。
震災を経験した自分にできること。それは多くの人にあの時起こったことを知ってもらい、被災地のためにできるスキルを学ぶこと。
そして、亡くなった方々の分まで毎日精一杯、一生懸命に生きること。
それが生かされた人の使命だと思います。
震災から五年、当時僕は小学五年生で小学校の校舎が大きく揺れたのを覚えているけど、家に帰って東北では尋常じゃないほど大きな被害を受けてることを知った。今でも、五年前の新聞は残してある。
ただ、まだ未熟だった自分はその時、「マグニチュード9.0、想定外の津波が襲い多くの方がなくなった、そして原発事故まで起きてしまった」… そこで終わりだった。完全に一つの「事象」として震災をみていた。本当に情けないし幼かったと思う。次第にニュースの特集や記事を見るようになって、だいぶあとに本当の被害の大きさや抱えている問題の重大さを知った。
だから今年は動く。
学校で自分たちで一つテーマを決めて研究するという行事がある。これを機にもっと東北を知りたい。勉強の一環としてじゃなくて、被災した国の国民として。
どこまで深く活動できるかはわからないけど、現地に行って、復興・減災対策・問題などを自分の目で確かめたい。
今年は動く。
2011年3月11日。この日は普段通り仕事をしていました。
地震が発生した時は結構揺れていたこと、TVの映像をみてしばらくは現実を受け入れることが出来ませんでした。
その後は二週間の休みや節電による土日出勤・木金休みという変則的なスケジュール等先が見えず不安でした。
そんな中3月14日22時。いつも通り校長教頭の声が聞こえ「待たせたな」や東北リスナーの書き込み、曲に励まされました。
とあるイベントで東北の人達のメッセージで「生きる・生き続ける・立て直す」というのを言ってました。
被災して亡くなった方たちの分まで生きること
孤独死などもあるなか生き続ける難しさがあるということ
他県等の募金も嬉しいけど、自分達の生活が戻って落ち着いたら自分達で地元を立て直していきたいという思いがあるとのことです。
これからがそれを見守り伝えていくのをより感じます。
またいつか東北に実際に行ってほしいです。
行くまでは不安でたまらなかったし時間や金銭的都合もありました。
しかし、毎回得る物はあるし気負いせず観光や友人に会う等軽い気持ちで行くでも良いのではと思えるようになりました。