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わからない

あと、1週間で卒業です!
でも、1ヶ月くらいある友達が私に怒っています…。他の友達に理由を聞いたら、私が話に入るのはいいけど、話を肯定するのが嫌だって言っているらしくて、ちょっと理解できません。私がいるところには来ないし、私が話に入るとわざとらしく他のところに行きます。何もしていないの
に、こっちが気を遣わなきゃいけないし、すごく腹が立ちます。
どうしたらいいと思いますか?

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3月11日になった。

あと14時間あまりで、本当にあれから5年が経とうとしている。もう5年なのか、まだ5年なのか。個人的には、どっちも。あの日のことは克明に覚えているのだけれど、はるか昔のことにも感じてしまって。5年も経って、思うところは山ほどあるけれど、本当に本当に願いたいのは、被害にあわれた皆さんがおだやかな生活を、早く送れるように、そういうことなんだ。そして世間的には、5年が区切りみたいな報道をされがち。でも、そうは思わないでほしい。まだ家族の方が行方不明の方々もおられる、故郷を追われて帰れない人々もおられる。沿岸部では必死な復旧作業が続き、原発では賢明な廃炉作業が行われている。みんな前に向かうために頑張っている。まだまだ終わっちゃいない、これからなんだ。そして直接被害を受けなかった私たちが最低限すべきこと、震災のことを頭の片隅にとどめておくこと。そして、本当にときどきでいいから思い出すこと。忘れてしまったとき、復興は完全にストップする。校長と教頭のリポート見た。そしてともぼーちゃん、元気そうでよかったです。うまくまとまらないけど、こんな感じです。

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未来。

未来新聞、読みました。
3つくらい読んでいたらいつの間にか涙が止まらなくなっていました。
私が震災を経験したのは小学3年生の時。
学校の授業中に地震があり、校庭,道路は液状化でドロドロに。停電が続いたり水が使えなかったり…。不便な事だらけで部屋からでなくなったりしていたけど、未来新聞を読んだらその当時過ごしていた私に1発パンチを入れたくなりました。
東北にいた方は家がなくなり家族、友達がなくなり、私よりも辛い経験をしてきたと思います。まだ辛いと思います。けどこうして、未来新聞に自分の経験した事を書いてくれて私も負けてられない。とか私がここで折れてどうする。って思えるようにしてくれました。まだまだ震災前のような生活は出来ないかもしれないけど同じ空にいる以上、みんなで支えあって頑張りましょう。

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震災を記憶し、記録するということ

とあるテレビ番組で昔の津波の記録(ここに家を建てると流されてしまう、といった)石碑があったという話を聞きました。
昔は石碑によってしか後世に津波のことを伝えられなかったかもしれない。でも今、現代に生きる私たちは例え遠く離れていても、誰でもメディアで情報を知ることができるし、記録を残すこともできます。
今日のようにラジオで被災地の人々の話を聞くこともできる。
今、生きている限り私たちは震災のことを記憶し、記録していかなければならないと思います。

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3.11

とーやま校長に書き込みを読んでもらって、改めて自分の書いたことをやっていこうと「腹をくく」れた。
この学校には、日中に通う学校とは違って、3.11のことを真剣に考えている人がいっぱいいる。掲示板の読み切れないほどの書き込みと今日の授業を聞いて、明日、学校で友達と3.11について話したいと思う。みんなと想いを共有できたらいいなぁ。
ちなみに、明日は日番です。だから、日誌を書く日です。ちゃんと、3.11のこと書きます。今日の授業のことも、考えたことも。
今日は登校できて本当に良かった。何度も何度も、って感じだけど、「未来新聞」に記事を書いてくださったみなさん、掲示板に書き込みをしてくださったみなさん、本当に本当にありがとう。

2011.3.11→2016.3.11

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3.11

3月11日に3.11とYahoo!で検索するだけで募金が出来ます。皆、しようね。数少ない私達が出来る事だから。

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これからも、この先の未来も

未来新聞、少し読ませていただきました。
東北の生徒さんの想いが、願いが伝わってきた感じがしました。
西日本に住む私も当時の現状はメディアでしか知る機会がなかったのですが、この5年間で震災について様々なことを考えました。
でも、まだあれから5年です。この先も、1日も早い復興のために私たちにできることはまだたくさんあるはずだと思っています。



これからも、未来について少しずつ考えていきたいです。

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震災

今日のラジオを聴いて、当たり前に生活できている毎日に感謝をしようと思いました。いずれ、私の住んでいる所にも南海トラフ巨大地震がくると予想されているので、一日一日を大切にし、過ごしていきたいと思いました。