僕は小6で、体育館でみんなで卒業式の練習をしていました。そんな中、体育館から校庭に出る扉からバンバン音がなり、誰かがボールでも当てて遊んでるのかと思いました。先生が扉を開け確認に行くと誰もおらず。すると揺れが来ました。みんなしゃがみこんで、上を見ると天井にいくつもあるライト達がぐわんぐわん揺れて、なんかの欠片がポロポロ落ちてきたり。揺れはおさまっていなかったのですが、弱くなってきたので校庭に出ると、それでも尚、外では感じたことのない揺れで。家に親と帰りテレビの中継を見て、ことの重大さを認識しました。自分は東京の人間だけど、これを書いていてなんか、涙が出てきました。
東日本大震災の時私は体調を悪くし保健室で寝てました。
突然揺れてとても怖かったことを覚えています。
被災地の皆さん、独りじゃありません‼頑張ってください‼
私は小学5年生でした。
体育館にいて、ちょうど1週間後に行われる卒業式に向けて在校生としてみんなで練習しているところでした。
次の日、おばあちゃんの家でTVで観たあの津波の映像を忘れられません。
もう6年。まだ6年。
私はもう6年だと感じます。
実際に東北に行けてないのが残念ですが、原発の問題とかあれから変わっているのでしょうか?
依然としてたくさんの方が仮設住宅に住まわれていて、原発の影響で避難してきた子どもたちがいじめに逢われていたり....。
復興ってなんだと思いますか?
どこまで行ったら復興したと言えると思いますか?
明後日は東日本大震災から6年が経ちます。私も、テレビで見てびっくりしましたし、去年の4月の熊本の震災でもまさか自分たちの愛している街が未曾有の震災に見舞われるなんて思ってもいなかったけど。今、東北の皆さんが思っていることが共感してます。校長、教頭4月にはまた、熊本からエフエム熊本から生放送授業届けてください。その時は、熊本市内に遊びにいきます。
追伸、私は、熊本市内から離れた所に住んでいて被害は少なかったのですが同じ熊本県内として頑張っていきたいと思います。
昔できていたことが今はできないってのがちょっとつらくてねー、
大丈夫だ。全て進んでるって思えばいいかな
もう6年もたったんだ。
私が言えることはあの日を境に私の中のなにかが変わった。どれだけ私たちの普通の日常が恵まれていたかを知った。当たり前を当たり前と思ってはいけない。これからも生活は続くけど、あの日のことを忘れることはないし忘れてはいけない。記憶は薄くなるけど忘れはいけない。ずっと思い続けたい。
そして、最後にひとつ。私は今年やっと被災地に行こうと思う。今は被災地ではなく、復興地といったほうがいいかもしれないけど。言い訳かもしれないけど今まで、現実を直視するのが怖くてこんなに近いところに行けなかった。でも今年は生徒会のメンバーと石巻にいく予定だ。遅いけど自分の目で見てきたい。共に進もう!
僕は3年前の夏に福島の同い年の人たちと一緒に
ジンギスカンをしたりパークゴルフをしたりして遊びました
僕はどのようにふるまっていけばよいのかわかりませんでしたが
なんと彼らから明るく話しかけてくれました!
結構物知りでとても楽しい時間を過ごせました。
その時思ったのが、「やっぱり人って強いのだな」と言うことです!彼らは僕たちよりもかなり多くのものを失っていると思います。だからこそそれを取り戻すために明るく生きていこうとしているのだと思います。
僕も彼らを見習ってもっと強く生きていきます!
さようならって言った頃だったと思います・・・。
放送が流れて、机の下に隠れたましたね・・・。
時計見てると、主要動だけで1、2分はあった気がします。
小2だったから、記憶違いかもしれませんけどね。
映像見たときは、全く理解できなかった・・・。
今見ると、結構えぐいんだよね。
怖くなって見れないとかは無いけど。
そういうのは、ちゃんと見ないとダメだと思う。
もう6年経ちます。気がつくと6年経っていたという感じです。家は所々にひびが入っています。あの日は学校にいたのですが最初は小さな揺れでした。でも段々と大きくなって言って校庭に避難して校舎を見るとガラスが遠くから見ても分かるくらい揺れていました。311からずっと余震に怯えてました。でも中学生になってからは部活などで忙しくて気が付くと6年が経っていました。被災地はちゃくちゃくと復興しています。今まで支援してくれた皆様ありがとうございますそしてこれからもお願いします。
自分は今日、東北の大学の合格が決まり、これから建築のことについて学ぶことになりました。
東北の復興に関して等、少しでも東北の力になれたらと思っています。少し時間はかかりますが頑張ります。
2011.3.11以降、募金活動とかした記憶があります。
ボーイスカウトの活動だったのですが、その時に札幌の街を歩く人達からたくさん募金してもらい、そのお金は被災地へと送られました。
その次の年になってから岩手県へと引っ越し、実際に沿岸で被災した人と同じクラスになり、震災の大変さを知りました。
現地に行って草むしりなどのボランティア活動をしたことを覚えています。
震災の教訓なども学校や被災者から教えてもらい、その教訓を忘れずにこれから先も広めていこうと思います。
めいめいのお知らせってなんだろ(´・ω・`)
怖いよ...(>_>)
小さかった時に東北に住んでた。震災が起きた時は東京に住んでいて実際に自分が体験したわけではないけど、親戚がたくさん被災した。
震災後すぐに親戚を手伝う為に東北に行った時に小さい時に遊んでいた場所、昔住んでたところを見に行った。
今まであったものが一瞬にして奪われた景色が広がってた。あの衝撃は今でも目に焼きついて離れない。
私思ったんですけど、私が一番なりたい顔は深キョンだなって。
可愛さとクールさを持ち合わせてる顔なんて深キョンくらいしかいませんよね。
あの時僕は小3でした
僕は大分で、その時普通に学校にいて学校で地震が起きたことを知り、急遽下校になりました
僕はその日早く帰れて嬉しい気持ちがあり遊びに行ってしまいました。今はめっちゃ後悔をしてます
その夜僕がテレビで見た映像は今でも脳裏に焼き付いています。その日僕は軽率な行動をしたことを後悔し、泣いてから寝れませんでした
そして次の日僕はその時持っていた小遣いを学校の先生のところに持って行き「これを使って被災地の人に何かを買ってあげてください」と言って、帰ってからも買い物のところで募金をしているところにお母さんからお金をもらい募金をしに行きました
あの日から6年。去年も熊本大分地震がありました。僕は映像のことを思い出して、震えが止まりませんでした
僕のところは被害はなく、大丈夫でしたが怖かったです。
地震を経験したから言えることは当たり前を当たり前と思ってはダメだなと思います
募金をしてたらなるべくした方がいいし、映像を見て怖いなですませるんじゃなく、「怖いな、なにか起きた時のために準備をしておこう」と考えて欲しいです
校長教頭、僕の考えは正しいでしょうか
私は震災地に住んでいないので詳しいことはあまりわかりませんがあの時私は小3でした。
震災のことを知ったのは学校で先生がいま東日本大震災がおきました。と一言言われ知りました。
あんまりその時は震災がどんなに怖いものか知らなかったのでそ〜なんだぐらいにしか思っていませんでした。ですがSCHOOL OF LOCKでこの授業を行うみたいだったので6年前のことを振り返ってみるとあの時テレビで見た風景まだ覚えています。今考えると被災地の方々は6年たった今でもとても不安を抱えていたりするんだろうな…とか今にならないとわからないようなこととても分かりました…私はこれから震災などもし起きてしまったらボランティアを進んでしようと思います。
長文すいません。
田舎とか言うじゃない(。-`ω-)
山形の自慢ヾ(≧▽≦)ノ
食材が何でも揃う。
→前菜からデザートまで、食材が地元だけの野菜で、県内から集められるん だよヾ(≧▽≦)ノ
ユネスコに、食文化で登録されてるんだヾ(≧▽≦)ノ
伝統の日本食だってヾ(≧▽≦)ノ
地元にしかない食材が、他には無い位たくさん残ってるんだってヾ(≧▽≦)ノ
正直に言ってあんまり頑張ろう東北とか熊本とか言えない。被災地の方々はもう十分に努力してるしいろんなものを抱え込んでいるんだから私たちはもっと今の現状に向き合うべきだと思うし、過去の出来事とか思わずに些細なことでもいいから支援していくべきだと思う。
あれは忘れないな。誰が地震に気づいたとか、誰がそばにいたとか、誰が泣いててとか、
どんなふうに泣いてたとか、音楽室にいたこととか、やたら覚えてる。
被害が大きかった関東地方から引っ越したばかりの時で、前の小学校の子たちとかすごく心配だった。
東日本大地震から早くも6年が経った。当時の揺れは鮮明に覚えている。あの時は確か卒業式の練習をしていた。当時の僕はまだ知識も何もなかったせいか、遠い自分たちとは無縁のところで地震が起きてるなーぐらいにしか感じれなかった。でもこうして6年が経ち、知識も蓄えていくうちに、震災についていろんなことを考えるようになった。そして思ったことをいうと、まだまだ課題は山積みだと思う。風評被害、原発のこと、仮設住宅などまだまだ未解決の問題はたくさんだ。
他にも原発のデブリなど新しい問題も出てきて、いろいろごっちゃになってる気がする。それにも関わらず、今の政府の人たちはその問題から目をそらしてる気がする。「自分たちでやって」みたいな問題を丸投げして目を背けてるようにしか思えない。もっとこの問題には注目するべきだし、全国の人たちも他人事とは思わず自分のことのように考えていくべきだと思う。いろんな人がこの問題に注目し、自分ならどうすればいいかを考えて、初めてこの問題は解決していくのかなと感じます。こいつ何を言ってるのか、何を偉そうなことを言ってるのかという人もいるかもしれないが、これだけは言いたかった。
校長!教頭!TOSHI-LOWさん!こんばんは。
私は、岩手の沿岸部に住んでいる高校生です。
震災当時は小4でした。自分は家族や身内に亡くなった人は居ませんでしたが、家族と同じくらい大好きな犬達を2匹、津波で流されてしまいました。一匹は生き延びていてくれて、今も元気です。家族を亡くしてしまった子や、直前まで廊下で話してた友達が子が亡くなってしまった事がとてもその頃の自分には難しく、怖かったです。
沢山そういう思いをした人はいると思います。
被災していない方でも私達と同じ気持ちで寄り添ってくれる方が沢山いてそういう方達の気持ちがとても温かかったことをずっと感謝しています。
TOSHI-LOWさんには、この間地元でアコースティックライブがあって、行かせて頂きました!
とっても嬉しかったです!ちびの時からBRAHMANを聞かされ続けてよかったと思ってます♡FREAKSで待ってます!!!!!!!!!春も行きます!!!!!
私は当時小学5年生でした。帰ってきてテレビをつけたら、ディズニーランドが地盤沈下?してる映像でした。私はその中だけの事故か何かだと思い、「大変だな」と思いながら遊びに行ったのを覚えています。そして帰ってきてから大変なことになっているのを知りました。
それでもやはり九州と東日本ということでどこか他人事だったように感じます。
そして熊本の地震がありました。私の住んでいる地域は何の被害もありませんでした。でも震度3や4の揺れでも私は1人で寝るのが怖いと感じるようになりました。東日本のみなさんはどれほどの恐怖を感じたのでしょうか。
東日本のみなさんの幸せを願うばかりです。
東日本大震災が発生した当時、家に帰ってtvで地震の映像を見て強風はあったものの日本で起きていることが信じられず他人事のように捉えてた。
けど、去年の春に熊本地震で被災して同じ日本で起きていることなんだと気付いた。
今ならよくわかる、東日本大震災で被災してなくても自分のことのように受け止め支援することが大切なんだよね、、、
今、福島の原発の事でいじめられてる人がいるというニュースを結構耳にします。ただただ悲しいです。地震、原発、全てがしょうがない事だったのにな、、
あの日からもう6年か
自分はその時中学一年生でした
その日は学校に帰ってテレビをつけて見たら東北の方がとても大変になっていました
その時自分は何が起きてるかわからなかったです
そんな時自分はには何ができるのだろうどうすれば東北の人たちを救うことができるのだろうかそんなことを思っていました
これからの自分たちの未来
僕はその時小さかった子供達これから生まれてくる人たちにこんなことがあったんだということを伝え続けていけたらいいなと考えています
TOSHI-LOWさんは誰もやってくれないことをやってくれる。でもそれはバンドだからやれることであり、バンドしかやれないこと。時にそれが批判されるけれど試行錯誤していろんなことやってる。カッコいい確か言い表せないと思う。